無理ゲー社会(小学館新書) [Kindle]

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  • 小学館
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感想・レビュー・書評

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  • 「上級国民/下級国民」の続編的な書。タイトル中の「無理ゲー」はゲームマニアの間で使われている俗語で、攻略が極めて困難なゲームのこと。

    「リベラルの潮流」=世の中努力すればどんな夢もかなうのであり、すべての人は夢をもって「自分らしく」生きるべき、とする思想の潮流。社会のリベラル化は、メリトクラシー(能力主義)による格差を拡大させ、各個人に夢を持つことを強要し、世界が複雑化し、中間共同体が解体され、 自己責任が強調され…。女性が「自分らしさ」を追求すると結婚出来ない貧乏な男が増え、人口減少が加速し…、とかく生きにくい「無理ゲー社会」が出現する。その鬱憤の捌け口が、右派では「ディープステイト」(闇の政府が世界を支配しているという陰謀論)なのであり、左派では資本主義悪玉論などなど。

    本書、いろいろ書いてあるけど要するに「日本でもアメリカでも(おそらく世界じゅうで)低所得の男を苦境に追い込んでいるのが、「自分らしく生きたい」というリベラル化であることがわかる」というのがキモかな。救いのない見方だが真実を突いているんだろうな。

    マイケル・ヤングのディストピア小説「メリトクラシー」、読んでみたくなった。

  • 社会が無理ゲーになっている全ての元凶は社会のリベラル化(それぞれが自分らしく生きられる社会)ではあるんだけど、リベラル化は良いもので不可逆的な流れだ。

    リベラル化した社会では出自や、人種、信仰、性別、年齢によって評価することはタブーなので、学歴や、実績で評価されるようになる。

    学歴は、家庭環境などによっても差が出てしまうため、平等な条件が求められるリベラルな社会ではその差が徐々に無くなっていくことが考えられる(家庭環境が学習環境に影響を及ぼしづらくなる施策が取られる)

    その後に残るのは単純な知能の差だが。知能は遺伝するため条件を平等にすることはできない。

    リベラル化が進めば進むほど、生まれたときの差が社会的に評価に直結するようになってくる。そういう話。

  • 努力すればなんとかなると言っておけば、公平な世の中になる。うまくいかないのは努力が足りないだけ。
    確かにこれでは生きるのが苦しい世の中になって当然だと思った。
    努力してもどうにもならないこともあるなんてことは、全ての大人が知っていると思う。ただ私のように元々どうしても叶えたい夢がない人は、そこまでの努力を必要としなかったので、努力すればなんとかなるかもと思っているのも否定はできない。

  • 学問的な研究結果を元に社会の現状を解説しています。

    まず公平(機会平等)と平等(結果平等)について

    50メートル競走で例えると、「公平」とは、全員が同じスタートラインに立ち、同時に走り始めること。
    しかし足の速さには違いがあるため順位がつく。
    その結果「平等」とはならない。

    それに対して、足の遅い人を前、速い人を後ろからスタートさせて全員を同時にゴールさせる。、
    結果は「平等」になるが、「公平」ではなくなる。

    幼稚園児でも同じスタートラインに立って順位付けされても、負けた子は容認する。
    人は「不平等」について憤りを感じるのではなく、「不公平」に対して理不尽だと感じる。


    これを踏まえて格差には2つの問題がある。

    1.競走の条件が公平でない
    アメリカを例にすると、黒人には不公平な機会しか与えられないなど

    2.競争の結果は受け入れるが、自分がその競争に参加させられるのが理不尽
    極端な例えになるが、大谷翔平と野球で、藤井聡太と将棋で競争を強いられる理不尽。

    2がまさに現代社会で、いうなれば無理ゲーに同意なく参加させられている。

    現代人は「社会的・経済的に成功し、評判と性愛を獲得する」という無理ゲーを攻略しなくてはならない。
    これがリベラルな社会のルール。
    リベラルになるほど不自由で生きづらくなる矛盾

    "誰もが「知能と努力」によって成功できる。努力次第で能力はいくらでも上がる。"
    この考えは幻想。

    これまでの研究によると、知力だけでなく努力できるかも遺伝により決定する。
    それにもかかわらず、うまくいかないのは努力しないから自己責任だと切り捨てられる。

    「自分らしく生きる」というのは上級国民の特権で、下級国民は「自分らしく生きるべきだ」という社会からの強い圧力を受けながら、そうできないひとたち。

  • 最後はもう、どーやっても無理になったらオランダ行って安楽死しよう。その分の渡航費と費用だけは取っておこう。

    なんて思ってた私。
    まじで冒頭それが書いてあったのでど真ん中ストレートな読者だった自分…恐ろしい。

    でも、読み終わってみると、無理ゲーというのは確かにわかりやすいけど、無理ゲーって軽いもんじゃないやんって感じでうすら寒くなる。

    え、どうやって生きるの?!

    そんな答えが解説してあるところはなく、
    解決策なんて、置かれた状況で千差満別でピンポイントにかけるわけないやん、せやったせやった!と、納得しつつ、敵をまず知ること!と肝に銘じつつ薄寒くなってください。

    どうするこの世界線……!
    で終わる。

  • 難易度の設定が異常に高く、どうやってもゴールにたどり着けないゲームを「無理ゲー」と呼ぶ。現代の若者にとって、今の社会は「無理ゲー」だ。限られた資産、資金は遺伝と教育に恵まれた一部のエリートが独占している中、増え続ける高齢者を支え続ける。そして、自らは80年以上の平均寿命を全うしなければならない。

    時に無理ゲーのクリアをあきらめた若者は、安楽死を望むこともあれば、刑務所に入るために無関係な人を巻き込むこともある。

    そんな絶望的な無理ゲー社会を著者は冷静に冷酷に分析する。が、無理ゲーの攻略法を考えることはない。この社会は無理ゲーなのだから、という理由で身も蓋もない話を重ねることも結構。が、ゲーム必勝法は必ずある、と信じることも大事だ。無理ゲーという言葉が定着することで、人々が何もかもあきらめてしまうことが一番恐ろしい。

  • 国民一人当たりGDPが増える国ほどリベラル化、自分らしく生きる権利、自由に生きる権利が高まる。リベラル化が進むと世界は複雑化する。個人主義が広がれば町内会や会社等中間共同体は弱体化する。成功も失敗も自己責任となる。 能力制(メリトクラシー)とは人種や性別によらず誰もが才能と努力(学力・資格・経験・実績)で評価される社会であるが、そもそも能力(知能)に違いがあれば公平(機会平等)と平等(結果平等)は両立しない。能力のある人には良いが、それがない人には無理ゲーな社会となる。

  • 社会的・経済的に成功し評判と性愛を獲得する困難なゲーム(無理ゲー社会)を一人で攻略しなければならない。これがリベラルな社会(=自分らしく生きる)ことのルールである。

    ■混同されやすい用語の整理 *50メートル走のたとえが秀逸
    公平:機会平等
    平等:結果平等
    ⇒人は不平等を容認しやすく、不公平をずるいと感じる。
     公平と平等は両立しない。

    ■格差の問題点
    ・競争条件が公平ではない。
    ・意に反した競争をさせられること

    ■所感
    ・「自分らしく生きる」ことも一つの特権であることを改めて認識できた。
    ・資本主義社会から能力主義社会への移行に関しては、常に学び続けることの必要性を強く感じた。これは切り口は違えど、100年時代を生き抜くLIFE SHIFT2でも言われている「探索(学習と変身の繰り返し)」に近い主張ではないかと思った。
    ・自分が今の生活にもし満足しているというのであれば、筆者の言う上級国民・下級国民という定義下においては、「自分らしく生きる」特権を奪われた人の上に成り立っているのだという。この視点での切り口は鋭いと思った。何故なら自分自身がこの視点を持っていなかったからだ。

    ■ToDO
    ・与えられた現状・今いる現状に「感謝」するということも、心の中の無意識の中で、「下方比較」をしているのかもしれないと思うとゾッとした。この認識を押えたうえで日々何事にも感謝する。
    ・橘玲さんの他の本を読む
    ・相手にわかりやすく伝わっているかのセルフチェックのためにも以下を実施。
     言葉の定義/主張のロジック/具体事例

  • (2021/197)久しぶりに橘玲氏の著書を読む。統計から小説まで、様々なものを引っ張ってきて自説を読ませる手法が参考になるし、元ネタになった本などは小説含めて読んでみたいところ。ただ「はあ、それで?」なんだよなぁ。先進国社会から距離ができ、なんだが人々がギラギラしている国での生活が長くなった弊害か。ある日突然こういう社会に戻った時の感覚のギャップが怖いな。

  • 人生を無理ゲーと感じる元凶が社会のリベラル化にあることを論じている

    でも個人や少数派の意見も尊重されるリベラル化は必要で必然だ

    そんな現代で、個より大衆を重視する民主主義というイデオロギーはもはや為す術ない気がする

    ———

    以下、面白かった第1,5章のまとめ


    ●第1章
    世界はますますリベラル化していく
    これはイデオロギーとしての話ではなく、「自分の人生は自分で決める」とか「全ての人が自分らしく生きられる社会を目指すべき」という価値観のことだ。
    私が自由に生きるならあなたも自由に生きる権利がある、だからこの「自由の普遍性」はリベラリズム(自由主義)の根拠となる。
    この自分らしさの追求は、自分だけの夢を持つべきだという風潮になり、最近の自己啓発ブームにつながる。

    誰もが自分らしく生きる社会では、社会の繋がりは弱くなり私たちはバラバラになっていく。
    人は自由な選択にのみ責任を負うべきであり、責任のないところに自由はない。日本をはじめ世界のほとんどの国の刑法では、自由意志によって(故意か故意でないかで)違法行為の量刑を決めている。
    リベラリズムと自己責任論は表裏一体。なぜなら自由な選択に責任を取らなくて良いのなら、それは「好き勝手」であり、みんながそんなことをすれば社会は崩壊する。それを防ごうと個人の選択に国家が介入するならこれは「全体主義(ファシズム)」以外のなにものでもない。

    そしてこのリベラルな社会では、村や学校や会社のような共同体に全人格的に所属する必要がなくなり、人々は多様で分散したコミュニティに部分的に所属することになる。その結果重層的で密着した濃い人間関係が減少する一方で、アドホックのその場限りの人間関係が広がる。テクノロジーの進歩はこれをどんどん可能にしてきた。ITの進歩によって人間は孤独になったのではなくより誰とでも繋がれるようになり人間関係は過剰になっているのに対してそのアドホックな人間関係の希薄さが相対的に際立つからだ。

    みんなが自分らしく生きればそれぞれの利害関係は衝突しやすくなり、社会は複雑化する。江戸時代のように身分制度があれば、相手が武士なのか百姓・商人なのかによってどのように振る舞えば良いか自動的に決まった。
    全ての人が平等になれば一人一人の個性に合わせて最適な振る舞いが変わるため大きな認知的負荷が伴う。人間関係を面倒くさいと思う人が増えてくる。これが政治(=他者との関係)空間が縮小する一つの理由。

    政治空間が狭くなればその分だけ愛情空間が拡大し、家族や恋人との関係、すなわち性愛が重要なものとして意識されてくる。最近の小説やアニメなどは半径10メートル以内の世界をひたすら描くものばかりだが、これは人々のつながりの範囲が狭くなっている証拠だ。

    それと同時に政治(友情)空間が狭くなれば、その外側にある貨幣空間が拡大する。これまで共同体の濃密なつながりに依存していた子供の面倒とかペットの世話などを、私たちはどんどん貨幣経済で代替するようになってきた。濃い繋がりは心理的コストが大きいので、それを金銭的コストで済ませようとするのだ。産業構造のサービス化によって友情空間が貨幣空間にアウトソースされ、それによって愛情空間が肥大化すれば、友情はいずれ不要なものとされてしまう。

    まとめ
    リベラル化した社会では、
    ・世界が複雑になる
    ・中間共同体が解体する
    ・自己責任が強調される

    ●第5章
    映画「ジョーカー」仕事をなくした30代の白人男性。精神疾患を患って抗うつ薬が必要で、母親は認知症。何度か黒人と会話するシーンがあり、全て”幾分”恵まれた黒人。
    マジョリティである白人男性の主人公は、マイノリティである黒人のさらに下にいる。
    トランプの支持基盤である白人至上主義は、自分たちの人種的優越性を主張しているわけではなく、白人の「逆差別」を訴えている。

    アメリカの非大卒の白人は(白人のブルーカラー、ホワイトワーキングクラス)は平均寿命がどんどん短くなっている。絶望死が多い。ドラッグ、アルコール、自殺。
    70年代から80年代にかけて、都市部の黒人が経験したことを今白人が遅れて経験している。知識社会の高度化によって最初に黒人の雇用が破壊され、ついで非大卒の白人の雇用が今、破壊されている。その結果現在では、黒人が白人よりうまくやっている、という奇妙なことが起きている

    努力して現実を変えるのが難しいなら、あとは現実を否認し自分の認知を変えるしかない。ここに、陰謀論が生まれる素地がある。

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著者プロフィール

2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。著書に『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)、『日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル』『橘玲の中国私論』(以上ダイヤモンド社)『「言ってはいけない? --残酷すぎる真実』(新潮新書)などがある。メルマガ『世の中の仕組みと人生のデザイン』配信など精力的に活動の場を広げている。

「2023年 『シンプルで合理的な人生設計』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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