母親になって後悔してる [Kindle]

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感想・レビュー・書評

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  • 途中までは、自分(母親としての)の考え方との違いばかりが目に付いて、わかるけど、わかる部分もあるけど、、と思いながら読み進めていた。

    終盤になるにつれ、その読み方自体が「世間」そのものなのかもしれないと気づいた。

    「別の考えが私たちの生活に入るときはいつでも、別の考え方自体を教えてくれるだけではなく、それを別の考え方にしている共通の考え方を浮き彫りにしてくれる。それは普段私たちが当たり前のこととして気付いていない透明な概念だ」

    23人、イスラエル人という、限定的なデータから導き出される非常にパーソナル且つ強固な、後悔の念。それを読む仕方として私たちは、先ずそれらの後悔に対して、それは必ず存在していて、今も苦しんでいる人が居るという事実がある。といことを認めることから始めないといけない。

    一人の人間が母親になると、個が公になる感覚がある。それは妊娠中から私も感じていた。気に留められなかったはずの一人の人間が、生命を担う、偉大な、深い母性(と呼ばれるもの)に満ちた存在に変わってしまう。

    大衆のもつ母親像はあまりにも強大で、個々の経験が大きなストーリーの中に組み込まれてしまう感覚。特にイスラエルはユダヤ、キリスト教的な直線の概念(結婚して子を持つのが幸せみたいな)が強いそうで、後悔の念を吐いたとしても、一時的なものとして扱われてしまうそうだ。

    子供を愛していることや、責任を持って育てることには自信さえあるが、母親にはなりたくなった。このアンビバレンスは二元化は出来なくて、後悔しているからこそ、愛する子供にはそうなってほしくない、でもこの感情を子供に話すことは子供にとって虐待に近い行為なのでは。

    こんな気持ちを死ぬまで誰にも言えずに生きていく辛さは、ちょっと想像を絶する。

    世の中は、私達は、別の考え方を知ってどうするべきなのか。少子化が叫ばれる昨今、全てのひとりひとりの女性を覆う透明な概念について再考しなくてはならないと感じた。

    想像していた内容よりもかなり壮大な社会学的書物でした。

  • 凄いタイトルじゃないですか。以前から気になって仕方がなかったのですが読み進めるのにとにかく時間がかかりました。母親になって後悔している女性へのインタビュー記事も沢山挿入されているのですが、それでも私にとっては難解でした。訳をみても学術書に近い気がします、、訳のせいかとも思ったのですが、おそらく原文も難解なんだと思います。まわりくどいし、私がアホなせいですがストレートな言い回しじゃないのが多くてとにかくしんどい。何度止めようかと思ったことか(笑)

    最初私は単純に知りたかったのです。母親になって後悔している理由を。
    「望んでもいないのに出来てしまった、レイプ、シングルマザー、旦那が非協力、経済的理由、自由がない、自分のキャリアがだいなし、子に障害がある・・・」等なのかと想像していました。
    それが本を読み進めても理由が全然わからなくて(出現していないと思いました)。多分この答えのわからなさ加減も読むのがしんどかった理由のひとつかなと思います。
    でも私なりにわかったことは、理由なんてない、とにかく母親になりたくなかった、もしくはなりたくないという人が一定数いるという事でした。なんというか、、そんなのビックリしません。理由なく母親になりたくなくたって全然構わないですよね。

    でも筆者がいいたいのは後悔の理由じゃなくて、世の中後悔したり失敗したり、まあネガティブな事は五萬と転がってて、そういうものとは本人も世間もうまく折り合いをつけて生きていくんだけど(そうだよね?)、その中で「母親になっての後悔」っていうのは他人(本人にとっても)には邪悪な事だと捉えられる。ってとこに問題があると言いたいのかなと思った。→ね、、?何言ってんのコイツと思いますよね。

    この手の話がタブーなのは、わかりきった事ですが母親に紐づく子供の存在があるからです。登場する母親たちは、母親になったことは後悔しているけど、子供たちを愛しているという人間も沢山いらっしゃいました。(そうじゃない人もいるようだが)。

    母親っていうものに神聖な概念をおそらく地球上すべての人類が持っている。この有り様にに多様性がないのが問題なのだと言っているような気がしました。

    個人的な話をすれば、私は子供なんかいなくてもいい派でしたが、パートナーが望むのでもうけた子供がうっかり可愛すぎて沢山子供を産まなかったことを後悔してる人間です。でもさらに言えば子供は可愛いけど、全然良き母じゃなくて良き母になれないことを後悔しつづけてる人間です。→この手の話は五萬と世の中に転がっている。

  • 題名の通り母親になって後悔している女性へのインタビューによる調査をまとめた1冊。ただ、訳者のあとがきに記されているように、後悔しているのは母になったことで、子どもではない。子どもたちを愛しているけれども、それとは別に母になったことを後悔している。
    産めばどうにかなる、みんなやってる、そのような言葉で母になることを促しながら、母親になったことへの後悔を今までタブーとして無いものとして語らせずに扱ってきた社会への痛烈な1冊だと思う。
    子どもを身籠る事ができる身体的機能があるからと言って、全ての女性が母に向いている訳でもないのだから後悔する人がいて当然だと思う。何が彼女たちの後悔の念を黙殺してきたか考えるきっかけを与えてくれる。

  • 過去にニュースウォッチ9で取り上げられていたので読んでみた。ニュースウォッチでは、「子供を産んだことを後悔させるほど今の(日本)社会の子育て支援は進んでない。子育て支援が進んで、周り(父親や地域とか)がもっと母親に協力的になり、時短制度を取り入れるなど子育てと仕事の両立をサポートする企業が増えれば、こんな母親は増えないのだ。」というような論調だった。まるで子供を産んだ後悔をすることが悪い(後悔させる社会が問題)と言いたげな。なんか説教臭くて、でも他人事みたいな言い方するので鼻についた。まだEテレでやってたドキュメンタリー「ドキュランドへようこそ 出産しない女たち」(スペイン、2018)の方が中立的で見ごたえがあった。

    こんなに産め産めいうの、少子化の日本だけかなと思っていたが、多子(3人も普通)社会のイスラエルでも、社会の圧力ってあるんだな。どこも同じなのね。とりあえず、子どもを産んでおけばそのコミュニティに入れる。親や周りにやいやい言われなくて済む。チェックリストにチェックを入れられる。

    「世界中の女性が、『国に利益をもたらすために子宮を捧げよ』というメッセージからの攻撃に依然としてさらされている」ほんとにな。特に今の少子化が進む日本では。誰も国のこと考えて子ども作るわけじゃないのに、産んだ母親や父親は「国に貢献してるぜ」とドヤりがち。周りも称賛するし、結婚して子供を産んで一人前という風潮がある。

    本気で覚悟を決めないと産めない(産んではいけない)と言うなら、今より少子化は爆進するだろう。誰もが親になる覚悟や母性(父性)を持って子供を持つわけじゃない。なんとなく、流れに身を任せての人も多い。
    「女性と母にまつわる社会構造は深く根付いているため、多くの女性がいつかの時点でこのプレッシャーに(無意識に)屈服して子供を産む…子どもがほしくないという発言はタブーだ」p38

    「多くの社会では『一人っ子』であることが、その子にとって有害であると考えられがちである。兄弟がいなければ子どもは甘やかされて利己的に成長し、社会的・感情的な能力(その後の人生でパートナー関係を持って暮らす能力を含む)が低下するというわけだ。」p209
    一人っ子への偏見って、日本だけじゃないんだな。これで苦しむ一人っ子も少なくないと想像する。だって一人っ子になったのって、自分のせいじゃないんだもの。かといって、子どもを二人以上産める余裕のある世帯ばかりとは思えない。経済的にも、マンパワー的にも。2or 0か?

    義務感で出産したと考えられるこのコメントも興味深い。
    「出産を済ませてしまえば、自分が本当に興味があることを再開できる」
    「明らかにもう一人産む必要がありました。(略)子供が一人というわけにはいきませんから。2年半が経ち、私は自分に言い聞かせました。いいわ、とにかく終わらせてしまおう」p213

    一人っ子の息子が弟を欲しがる母親が、「それはないわ。あなたが大人になったらほしければ子どもが持てるわよ」という。自分も一人っ子だが、母親に同じこと言われてた(笑)「自分が産みなはれ」と。私は子供じゃなくて弟か妹が欲しかったのだが。

    自分の後悔について、周り(パートナーや親、友人)には言えない人が多い。母ではない女性、母になりたくない女性に出会うと、即座に「素晴らしい」「応援する」という人も。この心理、なんとなくわかる気がするな。

    確かに子どもの自分が母親に後悔を伝えられたらショックだろう。でも、多くの母親は産んだことに後悔はしているが、自分の子への愛情がないわけではない。もちろん「産まなければよかった」と言われたら愛情がないと判断するが、「母親になりたくなかった」はイコールではないと考える。自分のせいで母親が、やりたいことも我慢して家事や育児に追われて老け込んでしまったのだとしたら。もう成人したのだから母には母の人生を生きてほしいと思うのだが、それはエゴなのだろうか。もう産んでしまった時点で遅いのか。
     友人の母は自分の母親と1歳違いだが、3人産んでもパワフルで活動的。家事も趣味も仕事もスポーツもバリバリこなしてる。でも、うちの母みたいに一人産んだだけでエネルギー吸い取られてしまう女性もいれば、友人の母みたいに3人産んでもバリバリ自分の人生を生きられる人、それぞれの女性によってキャパが違うのだなと。子どもを産まない自由を認めてもいいのではないか。なんか今の少子化対策とか見てたら、本当に村田さやかの「殺人出産」的未来になりそうで怖い。「子供を産まなければよかった」だけでなく、「子供を産みたくない」という言葉までタブー視されそうで。

    子育て支援が充実すれば、後悔する母親はいなくなるか?否。調査では、10代でも成人でも、子どもが大きくても小さくても、経済的に豊かでも貧しくても、後悔する人はするという。ただ条件の悪さ(時間的経済的余裕がなかったり、夫が手伝ってくれなかったり)が後悔に拍車をかけるのは事実のようだ。
     日本でも、今までは「子供を産んでおけば」何も(政府とか社会に?)言われなかったのに、今は子供を産むのは当たり前、なおかつフルタイムで働くことが推奨されている。雑誌ではキラキラとしたキャリアウーマン(もちろん正社員)が2人くらいの子供を育てながら仕事を頑張ってる写真が載ってるが、こういうのがプレッシャーを与えるってわかってないのかな。家事の外注できるくらい経済的余裕があるから、子育てしててもそれなりにきれいなのだよ。非正規だったり、そもそも体力やお金がないと子育てとフルタイム(人によってはパートでさえも)の両立なんか無理。本当に両立できている人なんかごく少数で、はたから見れば両立しているように見えても、実際はバックに実家の親の強力なサポートがあったりする。
     母になりたくない女性の一部は、キャリアも追求したくないとのこと。今は、どっちか持ってないと白い目で見られる。つまり、結婚して子供がいるなら働いてなくても許されるし、キャリアがあれば独身子どもなしでも許されるという具合に。
    「生計のために仕事が必要だが、趣味や余暇が大切。音楽や哲学やボランティアなど」と語る女性の報告。
    「『キャリア』と『子ども』のジレンマについてはしょっちゅう話題になりますが、どちらも欲しくない人だって、いるのです」p276

  • 文がむず過ぎ!笑
    元の文がむずいのか訳がむずいのか、一ヶ月くらいダラダラ読んでて気が進まなかった〜、、

    15%くらいしか理解できなかったけど①女たるもの完璧な母なれ、という社会の目がキツい ②母になった後悔と子供を愛しているか否かは別問題
    ということがわかった

  • 子供嫌いの話かと思ったが、「母親」という枠に入らなければと、教育され、世間からも期待され、出産したらまったく自分の時間がなくなってビビってしまい、後悔してる女の人の話だった。まさに、そうだよね。画家と舞台人の夫婦が「どっちかが自分の創造活動をすると、もう片方は何もできなくなる」と言ってたのはその通りだなと実感。その夫婦は夫も割り切って、奥さんの創作時には表に出ずに家庭のバランスを保ってたけど、一般の家庭での会社勤めになると、これが難しい。働くなとは言えないし、ほどほどで夫婦で働きたいのに夫は仕事に熱中しちゃうふりをして、休みの日はずっとソファにいる、ってことが多いのではないかしら。妻は仕事して帰って家事と子供の世話で追われるのに。皿洗い手伝っただけで大きな顔されてもね、、、学校の書類提出を率先してやってみろ!!
    ショッキングな題名だから敬遠されちゃうけど、私の娘にも息子にも私の言葉で語りたい内容だ。「子供できたら、自分が死ぬまでつきまとわれるよ」と。私は上の子が21、下が15歳で、自分の時間が持てるようになってからこの本読んだから、そうだ、自分を大切にしよう!と前向きになれたけど、まだ小さいお子さん育ててる人はまさかこの地獄が永遠に続くとは思ってないはずなので、落ち込むでしょうね。子供育てるのは楽しいけど、社会的に評価されるわけではないので、ホント女性はツラいです。子殺しの母のニュースをクローズアップするときは、必ず子供の父親を探してそいつを母親より重刑にしてほしいのです。DNA鑑定をそういうことに使って欲しいよなー。

  • 95ぱーくらい読んだ。
    姉が母になって、ちゃんと読んでみたくなった。毎日甥っ子はかわいくて仕方なくて、仲間が増えたことがこんなに幸せなことなんやって、日々つよく思う。一方で、出産後の悪露や全身の肌荒れ、ヘルペス、口内炎、幸せそうに笑うけれど、身体にガタが出てきている。毎日ストレスで弱りゆく。でも、赤ちゃんが家にいることはまぎれもなく奇跡で、本当に幸せなのだ。
    希望と絶望が同居している。そんな姿をみているのでより辛い気持ちになった。

    親になった後悔と、こどもを産んだ後悔はまったく別の話ということ。やっと腑に落ちたなあ。そして本の中でも基本的にこの話をしている。子どもを産んだ人と産まない人で、産んだ人たちは社会に貢献しているみたいな同調圧力が常にある。

    こどもはかわいいし触りたいしだいすきだが、なぜわたしが親にならなきゃいけねーんだよって思う。覚悟なんて一生できんけん、もう流れに任せるしかないんやけど。子どもがいつかほしいとか願望はわかるけどさ、それを強要することは罪だよ
    じぶんの身体から産むわけでなくて、何も失わないからそんなことが言えるわけで。
    何度もいうが、子どもは尊い。でも、出産というイベントを通して母親がどれほどの命を奪われることになるのかを、知らないで簡単に子どもが欲しいという人が多すぎる。ちゃんと勉強してから言えよ

  • 母親になったことを現在進行形で後悔しているというイスラエル人女性23人のインタビューをもとにした調査の本。
    ・社会的規範の中で、母親になることを「希望」していなかったけれど「受容」した
    ・子供が目の前にいなくても、成人しても母親であるという意識はなくならない
    ・仮に子供が全く手やお金がかからなくても、それでも母親になったことが耐え難い
    という話が印象的だった。

  • 読み終わってみれば、理由はなんであれ,母親になりたいと思わない人は当然いるよな!と思う。
    でも読む前は、母になりたくない理由が必要でしかたなかった。
    自分がそうだから、他人と比較して、何が違うのか知りたかったんだと思う。

    何か母親になりたくない決定的な属性があるわけではなく、とにかくそういう人が意外とたくさんいるよってこと。
    これだけ多様性!と言われる中で、言われてみればそういう人がいて当たり前で、だからと言って虐待するとか社会にマイナスの働きをするとかではなくて、ただいるよ、ってだけ。
    ピーマン嫌いだからってピーマンを攻撃しない。自分のお皿に乗っていたら黙って食べる。あるいは黙って残すだけ。シェフを呼べ!と騒いだり,畑を襲撃したり、ピーマン撲滅運動を始めたりはしない。
    母になって後悔してるからって、他の母を攻撃したり,子どもを虐待するわけではない。

    ただ、そういう人がいる。今まではそこを見ないふりしてる世界だった。そして世界が気付いた。本人たちも気付いた。
    そこから具体的にどうする、っていうのにはまた何十年もかかるんだろう。まだまだ見ないふりをしているから。

  • 話題になったため手に取りましたが、読みづらくて途中で脱落しました、、、

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