リスク評価は本当に難しい。
100年来のパンデミックの流行下にあり、1000年来の大地震を経験し、今後80%の確率で南海トラフなどの巨大地震が予想されている国民にとっては特にそう感じる。
本来、発生確率の極めて低い出来事を予測する時、その数学的分析のあまりの困難さから、リスク計算を投げ出し、心の中でどんな展開になるかをSF的に想像してしまうのが我々だ。
当然、その発生確率の予測は主観的な判断に片寄るため、脅威は過大に見積もられ、ネガティブで不安を招く言説が責任感に溢れたものと歓迎されやすくなる。
そんな中で著者のように、近代性を擁護し、進歩を肯定し、偏りなくバランスのとれた穏当な主張は、「能天気」で考えが「甘っちょろく」、「楽観的」すぎると批判される。
「わたしたちのこの世界で実現できる進歩は、その最中には誰も気づかず、あとになってようやく進歩していたのだとわかるようなもの」なのだ。
自由を手にするということは、失敗する自由も手に入るという意味で、自由民主主義ならすべてが公正で健全なわけではない。
自らの手で暮らしを台無しにすることがないよう、面倒な妥協もし、たゆまぬ改革を続けていくことで、進歩がある。
グローバル化や多様性に対する反発から生まれた民族的ポピュリズムの勢いは凄まじいが、それでもリベラルな啓蒙主義的ヒューマニズムが育んできた女性やマイノリティの権利が脅かされることはないとしている。
それでも、韓国のナイトクラブでの集団感染で、疾病と関係のない性的指向に対する行き過ぎた報道や、ドイツにおける自粛中の夫婦の在宅率の偏り(妻は家に残るべき)など、新型コロナの影響で後退とも受け取れる動きが出ている。
もちろん著者は、後退などまったくあり得ないと言っているわけではなく、長期的にはこの流れは不可逆だとする。
- 感想投稿日 : 2020年5月17日
- 読了日 : 2020年5月17日
- 本棚登録日 : 2020年5月17日
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