言い間違いとは如何なる場合においてもその人の無意識の本心を表しているという事らしいが、本の中で示されている例がたまたま何れもそのような事例であると言うだけのような気もする、反例の検証がどの程度されているのか不明。それに、本心と言うのがどのような条件下で成り立つものなのかも具体的に検証してあげないと間違えた人達が可哀想。
フロイトも触れているように、抽象化すれば、どのような言葉であっても本心という定義に該当し得るのではないか。例えば、馬車でどこかへ向かう女性にドイツ語でお供しますと言うはずのところを卑猥な言い間違いをしてしまった事例について、その個別の女性に対して卑猥な気持ちを抱いていた訳でなくても、たまたま前日の夜にそのような仲間内での恋愛話の中で聞き齧った卑猥な話題が印象に残って居ただけでも該当し得るのでは、等。
なお、フロイトの分析はあくまで感情なり夢を見る本人の無意識がどのように影響するかという話で、外部要因については想定しておらず、一切分析していない模様。
とは言え、精神分析の重要古典であることは間違いないので、ちゃんと記憶に留めておきたい。
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- 感想投稿日 : 2022年12月10日
- 読了日 : 2022年12月10日
- 本棚登録日 : 2022年12月10日
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