フォークナー全集 16 行け、モーセ

  • 冨山房 (1972年2月1日発売)
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短編と中編、全7編を所収。
ところでだが、本書を短編集とする解釈と、7つの章によるひとつの長編小説と捉える解釈があるという。
しかも、作者フォークナー自身が、その両方の解釈を肯定していたという。

所収は、以下の諸編である。
「昔あった話」「火と暖炉」「黒衣の道化師」「昔の人たち」「熊」「デルタの秋」「行け、モーセ」。

・「熊」は、岩波文庫版と、この全集版では内容が異なるそうだ。冨山房による全集第16巻に収められた「熊」には、あとから付加された章が挿入されており、この版では第4章となっている。この第四章、台帳の記録を織り混ぜながら、土地の歴史、年代記を観念的に綿々とフォークナー節で語り続ける。他の章が熊狩りを描いているのに対して異質。敢えて異物を混入させた構成を試みている模様。しかも70pものボリューム(ちなみにこの全集は上下二段組)。これがまた、フォークナー節濃厚で小難しいのであった。
気軽に「熊」を読みたい方には、岩波文庫版がよろし、と思います。

・「黒衣の道化師」は、製材所で働く巨躯の男ライダーの話。狂暴な肉体が観念になっているような禍々しさ、一方で素朴さを感じさせる男。衝動的に人を殺す。
この短編。固有名詞を紀州のものに変えたら、そのまま中上健次の短編になりそうな内容なのであった。

・中編「熊」、短編「昔の人たち」は、熊や鹿を狩るハンティング行の話。ミシシッピ流域の荒野が舞台。アイザック・マッキャスリン少年が中心になって描かれる。狩りの師匠的な存在は、サム・ファーザーズ。彼は、ネイティブアメリカンの酋長と黒人奴隷を父祖にもつ男。他にも、老コンプトン将軍(「アブサロム…」にも登場)も狩りの成員。サム・ファーザーズは、大いなる大自然・荒野の観念に敬意を抱く。自然崇拝の観念で、東アジアのそれに通じるものである。巨熊オールド・ベンにも尊敬の念に近いものを感じている。サム老人、魅力的な人物である。アイザック少年は、サム老人から多くのことを学び、受け継ぐ。(※1883年頃の11月)

・短編「昔あった話」「デルタの秋」は、同じ荒野での狩り、半世紀ほど後年になってからのお話。アイザックは、齢70ほどの老年に至っている。(※1940年代後半頃、同じく11月の猟期)

・「火と暖炉」は、森の中に埋められた金貨を掘り出そうと探し続ける男の話が軸になっている。
・短編「行け、モーセ」は、殺人を犯し死刑となった黒人と、その遺族についての話。なので「黒衣の道化師」と共通のモチーフとなっているようである。

ところで本書には荒野という訳語が頻出する。これは、恐らく英語ではwilderness と思われる。近年は、ウィルダネスという語も広がっているので、そのほうがいいように思う。荒野というと、乾いた大地、というイメージが伴う。ルイジアナ、ミシシッピ地域の自然・原野の場合も森や湿地を含むので、ウィルダネスのほうがしっくり来るように思う。
wilderness は荒野というより、より大いなる自然、原野、の感じ。峻険な山岳地帯や、緑豊かな森林も含むように思う。

「熊」をはじめとする狩りの物語を読んでいて、ウィリアム・クルーガーを想起した。原題アメリカのミステリー作家である。私見だが、クルーガーは、フォークナーの影響、あるいは連なるものがあるように感じている。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 海外文学
感想投稿日 : 2022年11月6日
読了日 : 2022年11月6日
本棚登録日 : 2022年10月22日

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コメント 1件

淳水堂さんのコメント
2022/11/09

葡萄森兄夫さんこんにちは。

岩波文庫の「熊」がとても良かったので、こちらも読んでみようと思いました。
「熊」は書き出しがかなり好きです。「今度はひとりの男がいて、」って、読者はドアを開けたら自分も当事者になっていたという感覚です。

ご紹介ありがとうございます!

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