利己的な遺伝子: 増補改題『生物=生存機械論』 (科学選書 9)

  • 紀伊國屋書店 (1991年2月28日発売)
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進化に関して、ダーウィンの自然選択説に立脚しつつ、「淘汰がはたらく基本単位は遺伝子である」と説く。
これは、進化の基本単位を個体や種であるとする立場と対立するものだ。
私には、ドーキンスのこの考えは大変自然で、その考え方に基づけば様々な生物現象を理解できるだけでなく、新たな観点から捉えなおすことができるのではないかと思った。

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生物の持つある特性を考えるとき、「それはその生物個体の生存にとって有利だからだ」と説明されることがある。 例えば「キリンの首が長いのは、そうであることによって高いところの餌を食べることができ、個体の生存に有利だからだ」など。こういった特性の進化は、「有利な形質を持った個体が生存し、子孫を残す」という自然選択説で容易に説明することができる。
しかし、「利他的な」行動、例えば鳥の親が子を守るために天敵の前に自ら身をさらす行動などは、個体そのものの生存には明らかに不利であるため、その進化のメカニズムを考えることは難しい。こういった行動は、血縁関係にある個体を守る行動、あるいはより拡張して、種というものを守る行動として説明されることがあり、それゆえ進化の単位は種であるという考え方が生じた。

しかしドーキンスは、自然淘汰の働く単位は個体でも種でもなく遺伝子であるという。そのうえで、遺伝子が自然淘汰に耐え繁栄するために必要なのは、個体や種に対する有利性などではなく、“利己的であること”だという。
だから、もし生物個体にとって致死となるような極めて“不利な”遺伝子があったとして、それが仮に遺伝子自身の増殖を有利に進めることができるような仕組みを持っていたとしたら、その遺伝子は個体にとって不利であるにもかかわらず自然淘汰に耐えて遺伝子プール内で増殖することになる。
一見すると理解しがたいが、著者は、この理論を、様々なモデルケースで、簡単な数理モデルを用いて説明しており、納得することができる。
この考え方は一見ダーウィン進化論に矛盾するものと思われるかもしれないが、実際には逆に、ダーウィン進化論の本質を改めて示すものだ。


さて、著者のドーキンスは徹底的な遺伝子主義者だ。
ただしこれは、一昔前に良く言われたような「生物の特性は遺伝子がすべて決めているのです!(=環境には依存しないのです!)」といった意味ではなくて、生物の進化を考える際に、最も重要なのは個体ではなく遺伝子である、ということ。
彼は遺伝子の本質を自己複製性とし、遺伝子を自己複製子と言い換えたうえで次のように言う。
「物理学の法則は、到達し得る全宇宙に妥当するとみなされている。生物学には、これに相当する普遍妥当性を持ちそうな原理があるのだろうか。(中略)たとえ炭素の代わりに珪素を、あるいは水の代わりにアンモニアを利用する化学的仕組みを持つ生物が存在したとしても、またたとえマイナス百度でゆだって死んでしまう生物が発見されても、さらに、たとえ化学反応に一切頼らず、電子反響回路を基礎とした生物が見つかっても、なおこれらすべての生物に妥当する一般原理は無いものだろうか。(中略)すべての生物は、自己複製を行う実態の生存率の差に基づいて進化する、というのがその原理である。」
そしてさらに、生命現象において中心的なのはあくまで遺伝子であって、生物個体はその遺伝子の乗り物(ヴィークル)に過ぎないとまで言う。

以上のような考え方は過激で信じられないことのように思われるかもしれないが、ダーウィン進化論の基本さえ分かっていれば、本書を読むことによってすんなりと理解できるものと思う。
遺伝子の利己性という考え方は、言われてみれば当たり前なのだけれど、ドーキンスによって明示的に語られるまでは意識されてこなかった概念であろうし、このことを意識することによって、現存する生物の種々の特性に対する見方も変わると思う。
(ブクレコから移植)

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2017年1月28日
読了日 : 2011年11月12日
本棚登録日 : 2011年11月12日

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