終点のあの子

著者 :
  • 文藝春秋 (2010年5月13日発売)
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感想 : 190
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うまいなぁ。思春期の、なにものかになりたくて焦る気持ちとか、誰かに必要とされたり、特別に思われたくて、いつも不安な気持ちとか。それがいかに残酷なかたちであらわれるか、というあたり。

第一章の希代子が「親友」の森ちゃんの視点から描かれる「甘夏」がいい。自分が選ばれることに必死で、同じように自分も選んでいるのだということに盲目だった希代子の鈍感さと、そこからくる冷たさに深く傷つけられ、新しいところを目指す森ちゃんは、思い描いていた形とは反対のベクトルで答えを見つける。

「ふたりでいるのに無言で読書」に描かれる、読書好きで「ひとりの楽しみ方」を知っている早智子の泰然自若ぶりは、女子高生としてのリアルに欠けるような、と思いつつ読んでいくと、はっとする場面が待っている。無言だけれども、たくさんのことを共有しているというふたりきりの輝いた時間は、学校という世間の目にさらされた途端にあっけなく崩れていく。

若くて美しいさかりに「世界の中心」の地位を勝ち得たのに、そこにしがみつくな、というのが酷なんだろうな。

全編を読み終わってふりかえってみると、すべてのきっかけとなる冒頭の一言、「未完成でいつづけるのがすごいと思わない?」という言葉が印象に残った。「終点のあの子」に至ると、未熟なのを虚勢はって隠そうとするばかりで、未完成でいる覚悟などできない朱里の姿が浮び上がるのが秀逸。

ひとつだけ残念だとすれば、杉ちゃんがあまりにも朱里に都合よい「親友」として描かれているところか。オイスターとか明らかにセクシュアルなシンボリズムをもってきているのだから、同性愛の視線で「姫」を見守っていたという方がしっくりくる。だから、これまで同性の友達ができなかった朱里でも甘やかしてもらえた、ということで。

杉ちゃんのキャンバスに向かう姿の切実な真剣さを、家庭や経済的な環境が恵まれていない故のハングリー精神ということで片付けてしまったのはかなり惜しまれる。それでも地元に帰って親を手伝うという進路選択の根っこにあるものをもっとしっかり描いて、そこへの関連性から、最期の朱里の決意につなげていったわけではないので、なぜあそこでそれまでの殻をやぶることができたのか、という説得力がない。ちょっと都合良く予定調和な感じでおわっちゃったのが残念。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 図書館の本
感想投稿日 : 2012年2月18日
読了日 : 2012年2月17日
本棚登録日 : 2011年12月26日

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