他者の苦痛へのまなざし

  • みすず書房 (2003年7月9日発売)
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映像の語る他者の苦痛を決して本当には理解することができない。だがその苦痛を生む世界のメカニズムを把握しようとする契機を、少なくとも写真は与えてくれる。

[more]<blockquote>P5 他者の苦痛へのまなざしが主題である限り,「われわれ」という言葉は自明のものとして使われてはならない。

P13 ヒックスのような写真がかきたてる哀れみと嫌悪が、われわれの関心をそらして,どのような写真が,誰の残虐行為が,誰の死が、示されて”いない”のか、を問うのをやめさせてはいけないのだ。

P27 写真は主要な芸術の中でただ一つ,専門的訓練や長年の経験を持つ者が,訓練も経験もない者に対して絶対的な優位に立つことがない芸術である。(このようなプロとアマの同等性は文学には存在しない。文学では何事も偶然や幸運に依存しないし,洗練された言語は通常難のマイナスにもならない。演技に関わる芸術もしかり【攻略】)

P69 遠い異国的な土地であればあるほど,我々は死者や死の間際にある人々を余すところなく真正面から捉える傾向がある。

P77 無力な人々がキャプションの中で名前を与えられていないのは意味深長である。有名な人々にのみ名前を付与することはその他の人々を職業集団、民族集団,悲惨な状況にある集団の代表例という存在に格下げする。(サルガドの移住写真は)原因も種類も異なるあまたの悲惨をひとまとめにしている。【中略】このような大きな規模で捉えられた被写体に対しては,同情は的を失い,抽象的なものとなる。だがすべての政治は,歴史がすべてそうであるように,具体的なものである。

P81 感情は言葉によるスローガンよりも,写真のまわりに結晶しやすい。

P101 感じることが必ずしもよいとは限らない。周知のように感傷性は残忍さの嗜好と完全に両立する。

P107 写真論以来,多くの批評家が言うように,戦争の苦しみはテレビのおかげで夜ごとの陳腐な番組と化した。【中略】新鮮な感情と適切な倫理によって経験に反応する我々の能力が,低劣で忌まわしい映像の容赦ない拡散によって失われつつある

P154(訳者あと書きより)「誰かを殴るという行為はその行為について考えることと両立しない」は「他者の苦痛を救おうとする行為は,他者の苦痛を撮る行為と両立しない」とも言い換えられるだろう。そもそも「撮る」も「撃つ」も同じ「シュート」であることに言及して、写真には本来対象に対する攻撃的な側面があることが既に写真論の中で指摘されていた。</blockquote>

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 本・雑誌
感想投稿日 : 2018年10月18日
読了日 : 2015年9月24日
本棚登録日 : 2018年10月18日

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