笹まくら (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (1974年8月1日発売)
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本棚登録 : 779
感想 : 71
5

とても好きな日本文学です。
時系列が混在し、それが主人公の心境と相まって過酷であっても心地いい文章です。読んだ感覚がラテンアメリカ文学に似ていると思っています。
丸谷才一は、これと「輝く日の宮」がもう素晴らしくて素晴らしくて。

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大学事務員の浜田庄吉は、戦時中には「徴兵忌避者」として日本中を逃げ回っていた過去がある。ある日、浜田のもとに当時の内縁の妻の阿貴子の訃報が届き、同じ日に泥棒とそれを追う学生に遭遇する。そこから浜田は追われる立場だった自分を思い出す。
終戦後、軍隊はなくなりそもそも「徴兵忌避」は罪ではなくなった。その後は町医者の父親の友人である大学の理事の口利きで大学の事務員として働いている。その理事の紹介で、40歳近くで20歳下の妻の陽子を紹介してもらい、昇格の内定も仄めかされた。目立たないように暮らしてきた。しかしこの昇格に反発する者もいるようだ。戦後20年経った今になり、浜田の過去が雑誌に掲載され、学内で取り沙汰されるようになる。

小説の語りは、戦後20年たち40代の浜田が、徴兵忌避者として20歳から25歳に変名の『杉浦健次』で過ごした日々を連想してゆく、時系列の入り混じった意識の流れのような書き方になっている。現在の浜田が東京でバスに乗ると、20歳の頃に地方都市回りでバスに乗ったことを思い出すというような、浜田の意識がごく自然に移り変わってゆく様子は漂うようだ。

現在の浜田は目立たないように暮らしている。当時の徴兵忌避も断固たる反骨精神などとも違い、揶揄されるような死ぬことが怖かっただけでもなく(むしろ人を殺すことが嫌だったのだ)、学生活動家たちの言うような右翼への反対の意思表明でもない。
それならなぜなのか。町医者の父の長男として生まれて、学生の頃から心に抱いていた思い。
 戦争そのものへの反対、この戦争への反対、軍隊そのものへの反対、この軍隊への反対。
友人は<戦争なんて、なぜあるのかな?いくら考えても、おれには分からねえや P270> <結局、国家というものがあるから、いけないんだな P350>といいながら、自殺したり戦争に行ったりした。
 それなら自分は忌避者になるしかないだろう。
そのために町医者の息子でインテリ学歴の自分が、学歴を捨て、職を捨て、憲兵のいない小さな町を巡りラジオや時計の修理や砂絵の香具師暮らしをしてきた。皆が囁くように家から金を持ち出したりしたわけではない。
そして阿貴子。砂絵師として年上の阿貴子と知り合った。阿貴子はすっかり砂絵師の女房としてともに旅をした。そして終戦前の1年は宇和島の阿貴子とその母親の家に転がり込んでいた、いわば男妾のようなものといわれたら反論はできないが。

終戦を迎えて、忌避も問題ではなくなり、今では20歳年下の美しい妻の陽子と暮らしている。だが意識の底には自分を許せない気持ちを持ち続けている。
 自分が徴兵忌避をしなければ、母は自殺しなかったのか、弟は軍隊で暴力を受けなかったのか。浜田の忌避を「罪ではない」という人たちも一言添えているではないか「だが自分は彼とは違ってちゃんと兵役を務めた」と。

藤原俊成女の和歌が浜田の目に留まる。
 『これもまた かりそめ臥しの ささ枕 一夜の夢の契ばかりに』
旅先の笹のかさかさする音が不安をそそる、やりきれない、不安な旅路。

浜田の忌避を怪しい雑誌に売り込んだのは、彼と昇格の役職を争う西英雄だった。陰口を叩いたり、チクったりという役回りだが、この西にも前線での体験がある。
西は酒に酔い南方戦線のことを幻想する。
 島に上陸した自分たちは、川に入ればワニに襲われ、アメリカ軍には補給を断たれ。アメリカ軍は、食料の入ったドラム缶を狙撃するんだ、癪だったねえ。何もこんなにしてまで弱い者いじめしなくたっていいじゃないか。
 酒。椰子の実の汁にジンを入れたカクテルを作って、おれなら『さらば戦友』って名付けるね、ああ、この名前がピンとこない奴らが増えて。『さらば戦友』
 少しの間ともに森を逃げたあのウスノロのお坊ちゃん。あいつの持ってた塩を半分もらっちまったが、あいつの死体をちゃんと埋めたんだからいいだろう。不思議だな、俺はこうして生きている。あいつを撃った機関銃の音。ピンピンピン、違うなトトトト、いやダダダダだったか、そしてあの地震みたいな爆発のデーン、いやゴアーン、そうだピカッドスゴアーンガガガガガ。あいつは死んで、いや違う、あいつの上に生えていた樹。あいつはウスノロだったから人間でいたら苦労しただろう、樹ならウスノロだって構わねえ、あいつは今、オラフ島のウスノロの樹になって生きているんだ、どんどん成長して、眩しい天に近づいて。樹だからあいつは生きている。達者で暮らせよ、ウスノロの樹。

忌避が取り沙汰された浜田は、昇格どころか左遷か退職かを仄めかされる。
ここで改めて浜田は自分を振り返る。

さらに家庭における大事が暴かれる。自分にだけ知らせれなかった大事。
戦後自分を責めなかった人たちは、実は自分を「信頼ならない忌避者」として見ていたのだろうか?
終戦の8月15日。軍国主義は終わり、戦争相手のアメリカと和平を結んだ。だが今の自分は不安から開放などされない。

物語の最後の場面は、20歳の浜田が徴兵忌避者として逃亡の旅を始めるその日、つまりこの物語の一番最初の出来事が一番最後に書かれている。
不安な笹まくらの旅、捕まれば死ぬ旅に出る浜田はそれでも開放感があり、それから25年経った現在のほうが未だに不安を抱えている、なんとも不思議であり本当に素晴らしい小説だ。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: ●日本文学
感想投稿日 : 2022年10月11日
読了日 : 2022年10月11日
本棚登録日 : 2022年10月11日

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