「存在しないもの同士が、互いに相手を求めて探り合ってる、こっけいな鬼ごっこ」
後半に出てくるこの一節が本作を要約しているように思う。興信所の職員である語り手は、失踪した男を探すようその妻から依頼を受ける。しかしこの依頼には彼女の弟が一枚噛んでいて……その関係を手繰り寄せていくうちに、事実と虚構の違いが曖昧になっていくばかりか、語り手自身の自己同一性までもが揺らいでいく。
ポール・オースターの小説にも似た、非探偵小説だ。
読み始めてまず感じたのは、この小説の文体変わってる、ということ。やたらと読点が多い。同時に、それこそ英語の小説を読んでるみたいだとも思った。
読点の多さについては、読み進めるにつれて、現実とは何かがわからずに混乱し、息も絶え絶えになった語り手が、クサビを打ち込むように言葉をつなげていく、そのクサビのようにも見えてくる。
デカルトの「我思うゆえに我あり」を思い出した。世界は無秩序の様相を呈しているのに、我だけは最後まで消えずに意識としてある。自我だけは失踪してくれない。デカルトの発見した命題が、そのまま語り手の苦しみになっている。
その葛藤や妄想に読者として付き合うのがけっこうキツかった。なんどか寝落ちした。解説でドナルド・キーン氏は傑作とみなしている。たしかに並みの小説ではないのはわかるし、キマってる表現もたくさんあるのだけど、安部公房作品にしては私はそれほど面白くなかった。
ちょっと翳りのある作品で、安倍公房印のユーモアが今回はわりとアイロニーに偏っている。
もうひとつは、ドナルド・キーン氏が解説を書いた当時はどうだったのか知らないけれど、この分裂症的な小説に描かれている状況が、現代ではわりと当たり前になっているということもある。秩序や法が離散し、それぞれを事実認定しうる上位の法は存在せず妄想と区別するすべがなくなってるこの現代を、安部公房はどこまで想像できただろうかと思いつつページをめくった。
とはいえ、状況がどうあれ、安部公房の小説でいつも右往左往しているのは男たちばかりだ。
- 感想投稿日 : 2022年7月3日
- 読了日 : 2022年7月3日
- 本棚登録日 : 2022年7月3日
みんなの感想をみる