絵を描くように書くことについて、遊びについて、西洋の価値観と東洋の価値観の違いについて、余白について、戦争について、身体性と精神性について、経済システムについて、死について。
面白いところと、ちんぷんかんぷんなところとどちらもあった。
ミヒャエル・エンデは加藤周一と同時代を生き、二人とも「第二次世界大戦を起こして敗れた祖国」という原体験を共有している。二人とも異文化と比べながら祖国を批判的に振り返るという共通した態度をとっているからか、言っていることに共通点がある気がした。
一個だけ面白かったエピソードを紹介。
『モモ』全編にセミコロンが使われていない理由を理論立てて論じた研究が正しいかと問われたエンデは「わたしがそのころ使っていたイタリア製タイプライターにはセミコロンがなかったのです。」と答えたとか。
古典文学作品の解説本で「それは解説者の考えすぎでは…」と思ったことがあったので、「やっぱりそういうことあるんだ!」と面白かった。
「ほとんどの場合、ことはもっと近くにあるし、もっと簡単だし、シンプルなのです。解釈者が思うほど、そんなにおそろしく秘密めいてもいないし、深遠な意味があるわけでもない。しかし、時折には、作者が大体気づいているよりも、はるかに深い意味のことが成り立つ。あとになってから、書いた文に何重もの意味があることがわかってくるのですが、たいていはそうしようとするのではなくて、それは起きるのです。」
読書状況:読み終わった
公開設定:公開
カテゴリ:
エッセイ
- 感想投稿日 : 2021年2月7日
- 読了日 : 2021年2月7日
- 本棚登録日 : 2021年2月1日
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