狼の牙を折れ: 史上最大の爆破テロに挑んだ警視庁公安部

著者 :
  • 小学館 (2013年10月24日発売)
4.11
  • (30)
  • (29)
  • (11)
  • (4)
  • (1)
本棚登録 : 372
感想 : 32

【感想】
2024年1月、「東アジア反日武装戦線『さそり』」のメンバーである桐島聡が、入院先の病院で自らの正体を明かし、その後死亡した。半世紀にわたり警察が追いかけてきた重要人物、かつ指名手配書によって顔が広く知られていたこともあり、センセーショナルに報道された。

本書『狼の牙を折れ』は、日本史上最大のテロ「三菱重工爆破事件」及び11件にわたる連続爆破事件を引き起こした犯人グループ「東アジア反日武装戦線」の犯行と、彼らを逮捕するまでに至った公安警察の捜査の全貌を明かすノンフィクションである。桐島の所属していた『さそり』は東アジア反日武装戦線の一派であり、本書では『さそり』と、中心グループと見られる『狼』の犯行が記されている。桐島自身は、11件の爆破事件のうち、1975年4月に発生した「韓国産業経済研究所爆破事件」のメンバーであった。本書でもその爆破事件の状況と、首謀者である斎藤和を逮捕するまでの一部始終が克明に記述されている。

本書の読みどころとしては、公安警察が徹底して行った行確(行動確認)、つまり張り込みと尾行の様子だ。まず公安は、犯人グループの動向や思想、爆弾の製作過程を模した教本などを徹底的に分析することで、事件の構造を整理していく。そうして容疑者に目星をつけた捜査官たちは、24時間365日にわたる張り込みや尾行、家宅捜索、現場に残された証拠品の鑑定、情報提供者との接触といった「公安警察ならでは」の捜査技術や戦術を駆使し、犯人を追い詰めていく。この「捜査力」が本当に凄まじいもので、「そんな些細な情報まで洗い出してしまうのか」と感心してしまった。まさに「執念」が成せる業だ。

本書は、事件の真相や捜査の過程だけでなく、捜査官たちの人間性や人間関係も克明に記録した、貴重な資料である。あの当時の社会情勢や「東アジア反日武装戦線」の犯行内容を知らない/今からでも学びたい、という人におすすめの一冊だろう。

――国民が驚いたのは、もうひとつ、彼らが真面目で一途な横顔を持っていたことである。高校時代から社会のさまざまな問題や矛盾に目を向けるひたむきささえ持つ若者たちだった。
だが、その真面目さが逆に極限まで突きつめられ、やがては、狂気の爆弾闘争にまで進んでいった。そこでは、人間の「命」さえ、自分たちの目的のためには奪ってもいいという、手前勝手で子供じみた思想が受け入れられた。
その時に、「いや、目的のために人の命を奪うことは許されない」と疑問の声を発するメンバーが一人としていなかったことが、この狂気の犯罪の本質を物語っている。彼らは、その時、「思想家」ではなく、単なる狭隘な「殺人者」と成り果ててしまったのである。

――――――――――――――――――――――――――――――――
【まとめ】
0 まえがき
昭和49年。死亡者8人、重軽傷者376人という被害者を出した「三菱重工爆破事件」が起こった。三菱重工、そしてそれと丸の内仲通りを挟んで向かい合っていた三菱電機の本社ビルは、見るも無残な姿となった。一帯は、さながら激しい空爆を受けたように窓ガラスが吹き飛び、柱は曲がり、コンクリート片が路上に突き刺さった破壊の地と化したのである。
犯行声明を出したのは「東アジア反日武装戦線『狼』」であった。ベトナム戦争の長期化や学生運動の激化など、不穏な社会情勢の中で内ゲバや爆弾闘争が頻発したあの頃、大学のキャンパスやさまざまな集会の会場には、「反権力」「アジア人民の団結と蜂起を」「日帝粉砕」「打倒米帝」といった過激な文言が溢れていた。それは、日本中が「反権力」という熱に浮かされ、最も大切な「人命」さえ蔑ろにされた時代でもあった。

事件は三菱重工だけに収まらなかった。次々と大企業が標的となり、ついには連続11件という、東アジア反日武装戦線による「連続企業爆破事件」となった。

本書で描かれるのは、東京を恐怖に陥れた東アジア反日武装戦線と、警視庁公安部との熾烈な闘いである。


1 三菱重工爆破事件発生
1974年8月30日。丸の内にある三菱重工前で爆弾が爆発した。
当たり一面は割れたガラスの海になった。現場付近は、東京中の救急車が集まったかと思えるほど騒然としていた。救出活動で顔まで血まみれになっている警察官もいれば、帽子がどこかにいってしまい、被っていない警察官もいた。それでも、彼らは血だらけになりながら、黙々と重傷者を運んでいた。凄惨な現場は、まさに地獄そのものだった。

とうとう一線を越えちまったか――。
ついに犯人が「闘いを挑んできた」ことを、警視庁公安部の極左暴力取締本部の管理官、舟生はひしひしと感じていた。ハンドメイド・ボム(手製爆弾)に間違いない。しかも、塩素酸塩系と思われる。
――とうとうやってしまったのかよ。なんでなんだ。こんなことやっても、世の中はなんにも変わりゃしないんだよ。どうして、こんなことをしでかしたんだ。なんでこんな罪もない人たちを殺すんだ。俺たちが「受けて立たなきゃいけない」じゃないか。


2 狼の影
爆発後すぐ、丸の内署に特別捜査本部が設置された。
犯行声明はまだ出されていない。しかし、あれほどの破壊力のある爆弾が首都・東京のど真ん中で爆発したという事実は、この事件が刑事部による捜査で解決できるものでないことは、公安部には想像がついている。
それは、公安部の「存在意義」を問う捜査とも言える。通常の犯罪のように聞き込みや目撃者探しの刑事部的手法ではなく、どういうグループがどういう思想に基づき、どういう理由で三菱重工を狙ったのか。道筋を導き出すことが最も重要だった。

霞が関に通う公務員から「茗荷谷駅から、円筒形の大きな紙包みを2つ持って乗り込んだ2人組が、御茶ノ水駅で下車した」と目撃情報が寄せられ、付近が最重要拠点として浮かび上がる。9月上旬から茗荷谷駅を中心とする聞き込みのローラー作戦が始まっていった。

警視庁の鑑識課、そして公安部など総出の班は、爆破翌日の8月31日には爆弾の時限装置を発見した。それは、炎天下の中、微細な塵さえ見逃さない執念と根気の作業によるものだった。三菱重工ビルを中心に6つのブロックに分け、南北100メートルずつ区切って全員が一列に並び、地面に這いつくばって細かな金属片やガラス片をピンセットで拾い上げていったのである。その量は、大きなビニール袋でおよそ2,400個、トラック10台分に達した。膨大な量の破片や塵の中から、時限装置は旅行時計(トラベルウォッチ)であり、起爆には電気雷管が使用されたことが割り出されていた。

そんな中、世間が犯人グループの素性を知ることになったきっかけは、産経新聞が『腹腹時計』の存在をスクープしたことによる。
<三菱重工ビル爆破事件の丸の内特別捜査本部は過激派グループによる犯行とみてこの四月、地下出版された都市ゲリラ教本「腹腹時計」の分析を急いでいたが五日、このゲリラ教本に今回の事件を暗示する内容が書かれていることを突き止めた。ゲリラ教本の発行元は東アジア反日武装戦線『狼』になっているが、その実態はまったくベールにつつまれている。特捜本部では三菱重工ビル爆破事件となんらかのつながりがある可能性もあるとして『狼』グループの組織を解明、追及することになった〉
そんなリードで始まる記事は、『腹腹時計』が〈植民地主義企業への攻撃、財産の没収〉を記し、企業を狙うことをはっきり示唆していること、そして〈起爆装置に雷管〉を用い、さらには〈旅行用時計(トラベル・ウォッチ)、電池をセットした時限式爆弾方式を奨励している〉ことなど、三菱重工ビル爆破で使われた爆弾と〈同じ仕組み〉であることを報じている。

そして事件発生から29日目、ついに犯人が「犯行声明」を出したのである。
〈一九七四年八月三〇日三菱爆破=ダイヤモンド作戦を決行したのは、東アジア反日武装戦線『狼』である。三菱は、旧植民地主義時代から現在に至るまで、一貫して日帝中枢として機能し、「商売の仮面の陰で死肉をくらう日帝の大黒柱である。今回のダイヤモンド作戦は、三菱をボスとする日帝の侵略企業・植民者に対する攻撃である〉
〈『狼』の爆弾に依り、爆死し、あるいは負傷した人間は、『同じ労働者」でも『無関係の一般市民でもない。彼らは、日帝中枢に寄生し、植民地主義に参画し、植民地人民の血で肥え太る植民者である。『狼』は、日帝中枢地区を間断なき戦場と化す。戦死を恐れぬ日帝の寄生虫以外は速やかに同地区より撤退せよ。『狼』は、日帝本国内、及び世界の反日帝闘争に起ち上っている人民に依拠し、日帝の政治・経済の中枢部を徐々に侵食し、破壊する。また『新大東亜共栄圏』に向かって再び策動する帝国主義者=植民地主義者を処刑する〉

犯人は「東アジア反日武装戦線『狼』」――。公安は、背後に日本赤軍や他過激派との繋がりがあると見て、各担当の目ぼしい対象をマークし続けていたが、思うような成果は得られていなかった。


3 シンクタンクによる解析
腹腹時計を徹底的に解析したシンクタンクは、犯人が「4つの特徴」を持っていることに気づいた。
1つは、前述のようにアナキスト的な体質を持っていること、2つめに、窮民革命論、第三世界革命論の思想的な影響を受けていること、3つめに、アイヌ問題、朝鮮・韓国問題、台湾問題、東南アジア問題に強い関心を抱いていること、4つめは、爆弾闘争の経験をすでに持っていること――以上の4点である。
窮民革命論とアナキスト、東京行動戦線グループ、そして、「いくつかの爆弾事件」――それは、やがて「北海道」というキーワードにつながっていった。本部は「窮民革命論」の理論的リーダーである「太田竜」の思想的影響下にあるグループによるものという見方を強めていった。


4 次なる爆発
2度目の爆発は12月10日、中央区銀座2丁目にある大成建設ビルで起こった。重軽傷者は、爆弾の捜索にあたっていた警察官や通行人で、その数は8名にのぼった。さらに12月23日には、鹿島建設・建築本部内装センターKPH工場敷地内に仕掛けられた爆弾が爆発した。
犯行声明はそれぞれ次のとおりだ。
〈東アジア反日武装戦線の一翼を担い、わが『大地の牙』は本日、大成建設(大倉土木)を筆頭とする旧大倉財閥系企業の本拠地を爆破攻撃した〉
〈本日、鹿島爆破=花岡作戦を決行したのは、東アジア反日武装戦線に参画する抗日パルチザン義勇軍『さそり』である。鹿島建設は植民地人民の生血をすすり、死肉を食らい獲得したすべての資産を放棄せよ 一九七四年十二月二十三日〉

大地の牙とさそり。犯人グループへ新たな加入があったことを示すものである。


5 容疑者を追え
公安が捜査線上に挙げたのは佐々木規夫という若者だった。旧東京行動戦線の発刊メンバーが起こしたレボルト社という出版社が公安部の家宅捜索を受けた際、その場に立ち会った人物である。
佐々木の尾行と行動確認の結果、佐々木が秘密裏に接触している人間として、片岡利明、大道寺将司・あや子夫妻が挙がった。

行確する捜査官たちの前に、片岡、大道寺夫婦、佐々木というメンバーが揃って顔を出したのは、3月23日のことだった。捜査官たちは、事前に大家から引っ越しの情報を仕入れていた。引越しのトラックの行き先は足立区梅島の「ことぶき荘」であり、ここに佐々木が引っ越し、佐々木と片岡、両方の荷物が運び込まれた。片岡は、居住していた町屋の小林荘から親元の東大泉の実家に転居し、一方、片岡の荷物のうち約半分が、佐々木の荷物と合流してことぶき荘にやって来たのである。
それは、不自然であると同時に実に怪しかった。
片岡が自宅に持ち込むことのできないもの、すなわち爆弾の製造にかかわるものを佐々木に「託した」のではないだろうか。
どう見ても、そうとしか思えない奇妙な引っ越しだった。

捜査官たちは、佐々木たちが出したゴミ袋を回収し、中を確認した。そこにあったのは、モデルガンの弾丸、手製の使用済みの薬莢、モデルガンの部品と説明書、モデルガンの破片、リード線、水色ペンキ塗料、針金、明治ソフトの粉ミルクの空き缶、ビニール管……等々だった。
その部品は腹腹時計の続編の材料だった。「腹腹時計』VOL.1の巻末に記述されていた続編の「予告」。そこには「トリック爆弾の製造」や「塩素酸カリウムの製造」、「『狼』式手投爆弾の製造」などと並ぶ柱として、「モデルガンの改造と手製実包の製造」が書かれていた。つまり、『腹腹時計』の続編のために、彼らは実際にモデルガンの改造と手製の実包の製造をおこなっていたのだろう。

裏本部はこの時、ついに彼らが犯人グループであることを探りあてたのである。捜査は一気に「新しい段階」に突入した。


6 決定的証拠
大道寺が新たな男に接触した。それは、極本と北海道県警が行方を追っていた「斎藤和」であった。
斎藤が出したゴミ袋に入っていたシュレッダー屑と茶ボールの破片が、兵庫県尼崎市の韓産研爆破事件の際に床に散乱していた紙片と一致した。声明文の白い紙と、ゴミ袋から発見された5枚重ねで破られた紙片は、紙質検査をおこなった結果、同一の値が出たのだ。捜査陣は、これを声明文と封筒の宛名用として、斎藤が活字を切り貼りしたものをコピーし、必要部分を切り取り、他を捨てたものではないか、と判断した。
また、佐々木が捨てたゴミ袋からも、リード線や針金、コードといった、爆弾を作る際に出てくるゴミが見つかった。佐々木のアパートの中では、爆弾が作られているに違いない。確信は高まった。


7 犯人逮捕と釈放
5月19日午前8時30分。公安は南千住駅で大道寺を逮捕した。ほぼ同時に片岡、佐々木が逮捕され、逮捕状請求理由である韓産研爆破事件の首謀者である斎藤も逮捕された。
午前10時30分頃、警視庁に移送され、取調室で聴取を受けていた斎藤は急に苦しみ出し、口から血を流して昏倒した。そのまま警察病院で死亡。死因はシアン化合物による中毒死だった。服毒自殺である。
のちの取り調べで、『狼』と『大地の牙』グループは、女性は常に青酸カリ入りのカプセルをペンダントの中に入れて首から吊るしており、男は小銭入れの中に隠し持っていたことが判明する。万が一、警察官に逮捕されるようなことになれば、これを飲み下し「自殺する」という取り決めがなされていたのである。
佐々木規夫と大道寺あや子は、それを実践しようとしたが、飲む直前に叩き落とされて未遂に終わった。しかし、唯一、斎藤和だけは、忠実に実行したのである。

佐々木の捜査班は、ことぶき荘に捜索に入った。床の下には爆弾工場があった。上の部屋で創価学会の勤行のテープを流し、爆弾を作る音を消していたのである。


8 犯行動機
『狼』グループの中心人物である大道寺将司は、高校時代から政治問題に興味を持ち、特に日韓闘争に深い関心を寄せる青年だった。
大道寺は、昭和44年に法政大学文学部史学科に入学。ここで大道寺は、反安保、沖縄奪還を目標として、当時同級生である片岡利明や吉井その子(仮名)らと、「法大クラス闘争委員会」を結成した。
彼らは、太田竜、朴慶植の著書やレボルト社の『世界革命運動情報』等をテキストにして武闘志向の理論武装について研究したり、また、キューバ革命のチェ・ゲバラのゲリラ戦教程『国境を越える革命』を教科書にして闘争のやり方を勉強していった。
その過程で「革命」に対するこれまでの理論に飽き足らなさを感じ、自分たちこそ革命の主体となって、革命を実践していくべきであると考えるようになった。

法大クラス闘争委員会の解散後も、たびたび接触して話し合いを続けていたグループに、昭和46年秋、大道寺の高校時代のクラスメート、大道寺あや子(旧姓・駒沢あや子)が加わった。その後、大道寺将司が東京の山谷で、片岡が大阪の釜ヶ崎でそれぞれ日雇労働者を経験し、「窮民」や「被抑圧民族」などに対する関心を深めていく。

彼らは次第に、従来の左翼運動は日本の労働者階級による革命を目指しているが、日本の労働者とは、植民地支配、あるいは企業侵略の一翼を担う、いわば帝国主義労働者であり、このような労働者の手によっては革命は達成できない、と考えるようになる。すなわち真の意味で革命が可能なのは、植民地支配、あるいは企業侵略を受けている東アジアの労働者や人民のみである、という考え方である。東アジア人民の立場になって武装し、反日の戦いを起こし、日本の海外進出企業を阻止する必要がある。そのためにも、自らの損耗が少なく、かつ攻撃による効果の大きい爆弾闘争こそが適当である――大道寺らは、この「結論」に達したのである。

塩素酸塩系の混合爆薬を主剤とする時限式爆弾の製造と実験に成功した大道寺たちは、彼らの言葉を借りれば、『間断なき爆弾ゲリラ闘争』によって新旧植民地を貪る日本の「新帝国主義」を粉砕するべく、昭和48年10月、「東アジア反日武装戦線『狼』」を結成したのである。


9 釈放
事件は終わらなかった。逮捕から2ヶ月半が経った1975年8月4日、マレーシアの首都クアラルンプールにあるアメリカ大使館領事部とスウェーデン大使館が、日本赤軍とみられるゲリラ数人によって占拠される。日本政府はゲリラの要求に応じ、超法規的措置によって佐々木則夫を釈放した。

佐々木はその後国内に潜入したと見られている。大道寺あや子と共に、未だ逃亡中である。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2024年2月13日
読了日 : 2024年2月8日
本棚登録日 : 2024年2月8日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする