- Amazon.co.jp ・本 (624ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000611510
感想・レビュー・書評
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ソビエト連邦崩壊とその後の混乱期について、さまざまな立場の人のインタビューが収録された本
著者の他の作品よりも扱っているテーマが大きいため、かなり骨太で読むのにカロリーを使うタイプの作品になっている。
あまりにも急に社会が変わったせいで発生した混乱や、世代間で分かり合えないようなレベルで意識が分断されてしまっていることが伝わる。
ロシア文学にあるような農村の暮らしや男たちの酒浸りの様子はずっと変わらなくて、資本主義に対応できない苦悩や新しい社会を受け入れられない様子が生々しく語られていた詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
クーデターを打ち破り解散したソヴィエト連邦。自由に憧れ、見習ったのは西側諸国。その体制は使い古され疲労が起きていた中古品。共産主義の苦しみと使いこなせぬ資本主義。自ら何かを生み出せない”セカンドハンド”の時代…「共産主義の終わりに死を選んだ元元帥」「元連邦内対立国で起きた男と女の悲恋物語」「地下鉄爆弾テロから生還した母と娘」「チェチェンから棺に入り戻ってきた娘と向き合う母」「ミンスクの不正選挙に対するデモ参加で拘束された女子学生」…インタビューの受け答えの中に埋まる文学。それは発掘でもあり創作でもある。
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【はじめに】
本書は、スヴェトラーナ・アレクシエービッチの「ユートピアの声」五部作 ― 『戦争は女の顔をしていない』、『ボタン穴から見た戦争』、『アフガン帰還兵の証言』、『 チェルノブイリの祈り』に続く最終作に当たる。ソビエト連邦崩壊を経て、当時のことを振り返る人々の声を集めたものとなっている。
【集められた声】
ゴルバチョフ大統領のペレストロイカ政策によって急速に共産主義国家が崩壊し、いびつな形での資本主義への移行がおきた1990年代ロシア。多くの人は非常に貧しく苦しい生活を強いられた。それ以上に、その生活が共産主義時代とさほど変わらなかったとしても、一部の人が大金持ちとなり、貧困が能力の差ともみなされて格差が生まれたことも大きい。信じて従ってきたことが、丸ごと否定されたからだ。そういった中で、驚くほど多くの人があれほど理不尽でもあったソビエト連邦時代のことを「ある意味では悪い時代ではなかった」という形で振り返る。それは、その時代の彼らにとってそれ以外のありようはなかったということでもあり、またある種の理想の中でそれを信じて生きていたことへの郷愁と悲しげな誇りでもあったように聞こえた。その声は「ユートピアの声」と名付けるに相応しい。
この本で取り上げられた声は多様だ。一般の市井の人びと、元共産党員、強制集収容所に行った人たちやその家族、グルジアやアルメニア民族紛争に関わった人たち、自殺をした人びとの家族、地下鉄テロ事件に巻き込まれた人たち。それぞれが、それぞれの物語を持っている。こういった人たちがどう感じていたのかを感情ごと残さないといけないという著者の意志を感じる。かつての密告社会で生きていたことやペレストロイカがやってきたときのことを。それは歴史的に特異なできごとであり、人びとが社会に翻弄された時代であり、そしてときに人びとが積極的にそれに加担をしていた時代だった。70年間続いたソビエト連邦は一種の社会実験場でもあったといえるのかもしれない。
アレクシエービッチは、インタビューの対象として次のような人びとの声を聞いたという。
「わたしがさがしていたのは、思想と強く一体化し、はぎとれないほどに自分のなかに思想を入らせてしまった人で、国家が彼らの宇宙になり、彼らのあらゆるものの代わりになり、彼ら自身の人生の代わりにさえなった、そういう人びと」
彼らは偉大な歴史と自らを同一視し、ある日それが変わったときにうまく適応することができなかった。それほど、理想の国家を信じていた以上に血肉とし、抗ったり変えたりすることを想像できなかった人びとなのではないか。アレクシエービッチは、自分が奴隷であることに気づかず、自分が奴隷であることを愛してさえいた人びとだという。そして、今、スターリンを偉大な政治家として称え、プーチンを崇拝し、中国共産党がうまくやっているとうらやむ人が一定数いる。その理由をおそらく感じとることができるのではないだろうか。
【自分のこと】
1994年の3月、ヨーロッパ・北アフリカへの卒業旅行の帰りに寄ったモスクワで、その前年に起きた10月政変の舞台となった最高会議ビルを見に行った。知り合ったロシアの大学生に案内をしてもらったのだけれど、もっといろいろと彼の声を聞くべきだった。しかし、それだけの背景を知るための好奇心が足りていなかった。まだ傷痕が残る最高会議ビルを紹介する彼の声はどこか寂しそうだった。
【まとめ】
あの時代のソビエトのことを異質で理解不能でもはや起こりえない社会だと考えるべきではない。あのような社会が作られて継続しえて、その中人間というものがそれに加担しながら生きていたということを深く考えるべきなのだと感じた。
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『戦争は女の顔をしていない』(スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ)のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4006032951
『ボタン穴から見た戦争――白ロシアの子供たちの証言』(スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ)のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/400603296X
『亜鉛の少年たち: アフガン帰還兵の証言 増補版』(スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ)のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4000613030
『チェルノブイリの祈り』(スベトラーナ・アレクシエービッチ)のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4006032250 -
プーチンの戦争もこれを読めば理解できる気がする。
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4.38/291
内容(「BOOK」データベースより)
『「思想もことばもすべてが他人のおさがり、なにか昨日のもの、だれかのお古のよう」私たちは「使い古しの時代」を生きているのか―21世紀の国家像をあぶり出す、ポスト・ソ連に暮らす人びとへのインタビュー集「ユートピアの声」五部作、完結編にして集大成。2015年ノーベル文学賞作家、最新作。2013年メディシス賞(エッセイ部門)受賞(フランス)、2014年ボリシャーヤ・クニーガ賞(読者投票部門)1位(ロシア)、2015年リシャルト・カプシチンスキ賞受賞(ポーランド)。』
冒頭
『わたしたちはソヴィエト時代と別れつつある。わたしたちのあの生活と。わたしは、社会主義ドラマに参加していた全員の声をおしまいまで誠実に聞こうとしている。』
原書名:『Время сэконд хэнд』(英語版:『Secondhand Time』)
著者:スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ (Svetlana Alexievich)
訳者:松本 妙子
出版社 : 岩波書店
単行本 : 624ページ
ISBN : 9784000611510 -
他人を見ると、寂しいそう、とか可哀想だとか、こっちが勝手に想像するけど、それをしてはいけない。その人の気持ち、わかるかい、わかるわけがない。
ソヴィエト社会主義共和国連邦。ソ連。
日本の僕から見れば、やはり共産主義や社会主義は理想、気持ちよく暮らしているのだろうと思っていた。北の方だから寒いだけがネックだろうと思ってた。実は違ってた。
今、それは中華民国、中国でのことだろう。
共産党員、金持ち、以外の中華民国の人々は、筆舌に尽くし難い苦渋があるのだろうと想像するが、それは想像でしかなく、悪いんだけど、対岸の話なのだ。
何度も思うけど、援助するには、僕は手が足りなずぎる。
で、自分が誠実に理性的行動で生きるしかない。 -
ユートピア5部作の中で1番読むの大変だった。ソ連の体制分からない(汗)
望みはブラジャーとジーパンだったのに、人生全てを捧げて作り上げた国が消えて、残されたのは紙屑同然になった貯金と自己責任。
ロシアで今もソ連を懐かしむ人達がいるのが理解できなかったけど、これ読んで納得しました。
巨大なドーナツを皆で切り分けて穴をつかまされたって表現が的を得て妙。
誰でもバレエのチケットが振り分けられ、詩人の朗読を聴くためにドームが満杯になるって凄い。
でもやっぱり、密告と収容所がまかり通る世界はいかん。 -
今まであたりまえのように暮らしていた生活が、日常の小さな喜びすら味わうことができないほどに一変する現実に向き合ったとき、わたしたちはどうやって生きていくのだろう?ましてや、それが自分や家族の生存すら危うくなるような現実だとしたら。
今わたしたちは、パンデミックという世界の誰もが経験したことのないような現実を目の前にしている。今までどおりに生活できない息苦しさも感じている。おそらく、パンデミック後の世界は、今までとは違った世界になるにちがいない。つまりは、それまでの世界が「セカンドハンド」となるのだ。 -
1991年、ソ連邦崩壊。世界史年表にしたらたったこれだけの
文字数で済んでしまう。だが、その1行は多くの人々の生活を
根底から変えた。
これまでの価値観を180度変えてしまった「20世紀の実験場」
の崩壊は、市井の人々に何をもたらしたのか。「赤い国」を
生きた普通の声を集めたのが本書だ。
国ががらりと姿を変える。今まで「悪」とされて来たことが「善」
となり、「善」とされてきたことが「悪」となる。資本主義への
移行期間に、金儲けのチャンスを見出す人もいれば、ソ連時代の
価値観を捨て去ることへの感傷を抱え込む人もいる。
ソ連はユートピアのはずだった。アダムとイブが住んでいたのは
ソ連ではないのか?と言われるくらい。何故なら、着る物もなく、
食べる物もリンゴしかないのに、自分たちを幸福だと思っていた
から・・。あ、これはアネクドートだったわ。
社会主義から資本主義への転換。それがもたらしたのはハイパー
インフレと紙くず同然となったルーブル紙幣。そして、混乱の
どさくさに紛れて国営企業を手中にし、大金を懐にしたオリガ
ルヒと呼ばれる新興財閥の台頭だった。
「ロシアには強い腕が必要なんです。鉄の腕が。ムチを持った
監視者が。だから、スターリンは偉大なんですよ!」
このように語る人がいる。だから、ロシアはプーチンを選んだ。
再び「強いロシア」を実現してくれる指導者を求めて。
「あの頃は良かった」。実際にはデストピアだったソ連を、懐かし
み、「あの時代」に戻ることを希求する人のなんと多いことか。
以前、ルーマニアでもチャウシェスク時代を「あの頃は良かった」
と懐古する人たちが現われたのも、ソ連を懐かしむことと同じな
のかもしれない。
政治が、経済が、生活が、がらりと変わってしまったら誰でも
「昔に戻りたい」と感じるものなのだろうね。
ただ、近年の日本で「大日本帝国よ、もう一度」と夢見ている人
とは似て非なるものだとは思う。
600ページを超える大作だが、ひとつの国歌が体制を変化を余儀なく
された時、人々は何を感じ、何を思っていたのかを知ることの出来る
良書である。
尚、本書の著者がノーベル文学賞を受賞してから、日本でも岩波現代
文庫で作品が出ている。私がどうしても読みたい『アフガン帰還兵
の証言』も復刊してくれないだろうか。