イスラーム文化−その根柢にあるもの (岩波文庫)

著者 :
  • 岩波書店
4.18
  • (172)
  • (132)
  • (82)
  • (3)
  • (4)
本棚登録 : 1715
感想 : 135
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003318515

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • イスラムについてほとんど無知な当方にとっては良い入門書という感じ。
    あらゆる事象がコーランから導かれるのであって、例えば政教分離などあり得ないということが簡潔かつ論理的に説明されている。
    確かにここには一つの帰着があり、ヨーロッパ的思考とは相容れない。
    でも古今東西、やっぱり行きつくところは経済というか懐。
    究極のところこの点を巡り、完全に現在社会を牛耳る資本主義との間で激しい摩擦が起きるのは自明の理ということがよく分かりますな。

  • イスラームに詳しい学者さんが財界からの依頼で公演した内容を、活字にした本。

    イスラームについて何も知らなかったので、とても勉強になった。
    エキスを抽出して書き出したような本なので、一番初めに読むにはちょうどいいと思う。

    異文化を知るのはとても面白いが、本を読んだだけでは少し想像ができるようになるのみだ。
    人々は本気で神を信じているのか、信じていることにしているだけなのか、それは一部の敬虔な教徒だけなのか、それとも広く一般的なことなのか、本当のところが分からない。
    宗教に熱心になることがまず理解出来ないので、私には難しい…。

  • イスラム教の宗派に対する印象が変わった。スンニ派は宗教法が宗教そのものであるとみなし、宗教的繋がりを持つ共同体によって現世をよくしようと考えること、シーア派はコーランの裏に内面的意味があるとして、それを解釈するイマームを神的人間ととらえること。ただ、多数派と少数派と簡単に分けられてしまう両派の感覚的な違いもよくわかった。

  • これだけ簡潔にイスラーム文化についてまとめられている本が読めるとは。読後も各章のの内容についてさらに詳しく知りたくなる素敵な入門書

  • おぼろげながらも全体像が見えてくることで、無関心(いや、無知か)が興味へと劇的に変換される。理解しやすいだけでなく抜群に面白いのが本書のすごいところ。

  • イスラム教は、神への畏れ、ではなく、文字通り神への怖れを抱いているのか。この辺の感覚は、最後の審判になじみのうすい日本人にはわかりにくいよなぁ。

  • 【読みたい】
    日垣隆さん『つながる読書術』より。
    文中で紹介されていた。

    『ぼくらの頭脳の鍛え方』
    文庫&新書百冊(佐藤優選)125
    思想・哲学・宗教

  • まさに副題のとおり。イスラームの世界観が端的に述べられてわかりやすい。特にスンニー派、シーア派、スーフィズムそれぞれの、根源的な価値観、世界観の違いを知ることが出来たのが収穫でした。

  •  イスラーム、ムスリム、日本人の身近にはまず存在しない。しかし、イスラームをニュースで見ない日はまずない。西アジアから中東、北アフリカだけでなく、東南アジアにも広がり、さらにはヨーロッパとアメリカにも多くのムスリムが住んでいる。しかし、日本でのイスラームへの注目度は、驚くほど低い。どれだけの人がイスラム教を、ムスリムを、そしてアラブを知っているだろうか?
     個人的にムスリムを知ったのが、9.11だった。当時中学生の自分には、その直後のテレビ報道が、ムスリムはアメリカの、ひいては日本の敵であるかのように見えた。そして、それを疑問に思ったものだった。当時は、何故知らない人々を嫌えるのか?と思った。そして、知らないからこそ嫌う事が出来るのだと納得していた。いや、させていた。
     その疑問を再燃させたのは、フランス語の勉強を始めた事だった。フランスだけではないが、ヨーロッパでムスリムが問題になっている。アメリカが敵視する原理主義者だけでなく、一般のムスリムもここまで問題になっているのか、と気になった。そんな中、ずっと機会を失していたものの、ついにこの本を読んだ。

     この本は、日本のイスラーム研究の大家、井筒俊彦による、一般向けのイスラーム文化についての講演集である。イスラームを3回の講演で説明するため、「宗教」、「法と倫理」、「内面への道」という区分で俯瞰することで、「イスラームとは何か?」という問いに答えている。

     そもそもイスラームと呼ばれる宗教とは何だろうか?イスラームは、唯一の聖典『コーラン』を基に、またベドウィンの文化を背景に、アラブ人の生活を吸収して作り上げられた社会である。無論、ユダヤ教やキリスト教だけでなく、ゾロアスター教や大乗仏教の影響を受けながら発展していった。
     イスラム文化は、『コーラン』を唯一の聖典としている。すなわち、『コーラン』こそが全てのイスラム文化の基礎である(最も、ハディースと呼ばれる文書が、第2の聖典として機能してはいるが)。そして、その『コーラン』の解釈こそがイスラームの本質である。ハディースは、神からの言葉を預かる預言者ムハンマドの行動、言動集である。「神からの言葉を預かっている」ムハンマドの言動、行動を書いているため、事実上、もう一つの聖典として扱われている。つまり、

      本物、偽物とりまぜて何万という数の「ハディース」が『コーラン』の周り
      を十重二十重に取り囲みまして、まんなかにある『コーラン』はそのプリ
      ズムを通じて集種類類の意味に分裂して解釈されます。(pp.34-5)

    であり、「『コーラン』をもとにして、それの解釈学的展開として出来上がった文化である」。(P.37)
     他の宗教ももちろん、同じように聖典(もしくはそれに該当する物)を持って展開している。しかし、他のそれらとイスラームは大きく異なっている。それは、『コーラン』が聖・俗の区分を認めないからである。そして、それに従い、日常の生活全てが宗教(行為)だからである。
     もっとも、以上の性質により、解釈の仕方によってはイスラームが大いに分化する危険がある。現代のアラブ世界内での対立も、これが大きな原因である。アラブ社会は、そんな異端児を「追放」することで秩序を保ってきた。無論、場合によっては殺害もあった。
     したがって、イスラームは他の宗教とは異なり、『コーラン』とそれによる連帯感によって根底ではつながっているが、多様に分かれた文化を内包する文化なのである。またアッラーへの信仰のみが唯一必要とされることとなり、異教徒(といっても一神教の限られた異教のみ)にも開かれた宗教となった。

     上で述べたように、イスラームは『コーラン』によって規定されている。しかしコーランは日常の細かい規則を一つ一つ記載しているわけではない。では、どのように日常のルールが定められているのか、定められたのか。
     『コーラン』は、神との『契約』という形で信仰を要求している。しかし、絶対的な善である神と、人間との間の契約である。したがって、初期のイスラームは、絶対なる神の圧倒さがベースになっていた。すなわち、終末の日に全てを裁く神という恐怖・畏怖が、信者の中にあった。一方で、イスラームが広まるにつれ、信者は、信者が増える事で神と同等に神格化された「ムハンマド」を通じて神と『契約』する。それにより、信者同士は平等であるという、「預言者を中心とする人と人との同胞的結びつき」(P.112)が生まれた。そして、その集団下で制度がつくられ、イスラームが彼らのルールとなった。
     現世を正しく生き、理想的な姿を構成するために現世を構築する。そのために、『コーラン』、ムハンマドの言動をベースにして、
    (1)絶対善 (2)相対善 (3)善悪無記 (4)相対悪 (5)絶対悪
    が定められた。したがって、イスラーム法は、神の言動による「命令と禁止の体系」(P.148)となっている。

     さて、以上のようにイスラームは、宗教、法を構成し、イスラーム社会を成立させたが、『コーラン』とハディースの解釈によって、イスラーム社会を固定化させてしまった。この構成は、神の言葉をベースに、制度など「外面的」に社会を構築し、個々の人間の活動を作ってきた。しかし、神の言葉に対して、個人がどう信仰し行動するのか、という「内面的」にイスラームを構成する方法もありうる。これが「内面の道」と井筒が呼ぶものである。この考えを持つものは、何事にも、隠された不可視のリアリティがあると考える。そして、『コーラン』、つまり神の言葉自身にも、そこに書かれている言語とは別に指し示しす何かが『コーラン』にはあると考える。そして、シャリーア(先程書いたイスラームの体系・制度)を支える一連の不可視のリアリティである、ハキーカを重視する。つまり、『コーラン』からできたイスラーム体系を守るだけでは不十分である。それらを支える「ハキーカ」を探求する事がなければ、イスラームを信仰する事ではない、と彼らは考える。
     このシャリーアとハキーカの分離は、神という絶対的聖により構成された一元的な従来のイスラームと対立する。

     おおざっぱに分ければ、前者がスンニ派のほとんどの宗派であるのに対し、後者がシーア派である。シーア派の主流のある一つの宗派では、イマームという最高権威者がいる。彼はハキーカを体認した人である。そして、預言者そのものの内面であるとしている。したがって、大きな力を持つのである。他には、スーフィ、つまりイスラム神秘主義者が後者にはある。


     最初にも、最後にも書いてあり、個人的にも思っていた事だが、「日本(人)から見たイスラーム」を私たちは構成しなければならないと思う。英国やフランス、アメリカといったキリスト教や旧宗主国を背負った視点からでなく、日本独自のイスラームを作らなければならない。そのためには、僕たち個人個人が、更にイスラームを学ばなければならないと思う。。

  • あまりにも馴染みがなく、理解の手がかりをどこに得るべきかすらわからない、イスラムの文化や考え方。だが、井筒の講演録をベースとしたこの本は、ビジネスパーソンを聴衆として内容が選択され練られたものだけに、とてもわかりやすい。
    アッラーは、哲学的、抽象的な「神」だと思い込んでいた。しかし、井筒によれば、人間と絶対超越ではあるが「生ける神、生きた人格神」であるとのこと。

全135件中 91 - 100件を表示

著者プロフィール

1914年、東京都生まれ。1949年、慶應義塾大学文学部で講義「言語学概論」を開始、他にもギリシャ語、ギリシャ哲学、ロシア文学などの授業を担当した。『アラビア思想史』『神秘哲学』や『コーラン』の翻訳、英文処女著作Language and Magic などを発表。
 1959年から海外に拠点を移しマギル大学やイラン王立哲学アカデミーで研究に従事、エラノス会議などで精力的に講演活動も行った。この時期は英文で研究書の執筆に専念し、God and Man in the Koran, The Concept of Belief in Islamic Theology, Sufism and Taoism などを刊行。
 1979年、日本に帰国してからは、日本語による著作や論文の執筆に勤しみ、『イスラーム文化』『意識と本質』などの代表作を発表した。93年、死去。『井筒俊彦全集』(全12巻、別巻1、2013年-2016年)。

「2019年 『スーフィズムと老荘思想 下』 で使われていた紹介文から引用しています。」

井筒俊彦の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
ニッコロ マキア...
マルクス アウレ...
J・モーティマー...
ヘミングウェイ
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×