イスラーム文化−その根柢にあるもの (岩波文庫)

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  • / ISBN・EAN: 9784003318515

感想・レビュー・書評

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  • 講演録をまとめたものであり、宗教、法と倫理、内面への道という三段階に分けられている。

    イスラーム文化 その根底にあるもの ということで、イスラームの権威である著者だ深く掘り下げながらもとっても解りやすく書かれている。

    スンニ派とシーア派、内面主義と外面主義、体制派と反体制派、このことは1000年の歴史を有する戦いである。

    イスラーム文化をしっかり把握しないで、表面的なマスコミのニュースだけを聴いているだけでは、到底理解できないものであると理解できました。

    今後、イスラームのことについて勉強しようと思っています。

  • 普段の生活では実感できないイスラーム文化の、根柢にある本質を知ることができる(気がする)すぐれた1冊。
    ・砂漠的人間(遊牧民)をイメージしがちだが、商人の道義(契約の重要性、嘘をつかない、約束を守る)を反映した商売人の宗教である。
    ・聖俗不可分であり、人間生活の日常茶飯事・政治まで宗教の範囲に入る。
    ・一神教であり、神アッラーは人格的、唯一的、全能的である。
    ・来世的存在次元を至上価値として認めたうえで、準備としての現世を重視する。
    ・神と人間間の倫理学は、やがて人間同士の同胞的な結びつきをもつようになる。すなわち社会性を帯びる。(イスラーム共同体=ウラマー)
    ・神の面前で結ばれた相互契約によって完全平等である。“イスラームでは教皇(カリフ)も乞食も全く平等だ”
    ・「聖典の民」(あるいは啓典の民:キリスト教・ユダヤ教)に改宗を強制しない。ただし特別な税金を課す。貴重な財源であり、当初為政者はむしろ改宗させないようにする現実的手段をとった。それ以外の民には改宗か聖戦(ジハード)あるのみだが、警告を繰り返し、聞き入れないばかりか暴力で反抗し積極的に阻害しようとする場合のみ戦うのであって、原則的に強制改宗を嫌う。
    ・イスラーム法(シャーリア)とは、神の意志(命令)に基づいて、人間が厳正で生きていくうえでの行動の仕方を規定する一般的規範の体系。宗教的儀礼、民法、親族法、商法、刑法等々の分野まで含む。
    ・イスラーム法構成要素の第一は『コーラン』。預言者ムハンマドにたいする神の啓示の記録。全イスラーム文化の原点。
    ・しかし『コーラン』だけでは具体的な規定が足りない。そこでムハンマドの言動の記録「ハディース」が第二次的法典となる。
    ・『コーラン』「ハディース」だけでも法的規定にはならずテキスト解釈が必要となる。収拾がつかなくなるので、9世紀の中ごろには聖典解釈の自由が禁止されている。
    ・聖典解釈の違いにより多くの学派が起こっている。正統派(スンニー派:シャーフィイー派など四大法学派)、対立するシーア派。なお、法的解釈はあくまでも論理的である。
    ・イラン シーア派では、「ハキーカ」(内的真理)が重要視される。
    なお、池内恵氏による本書評は、「井筒の、井筒による、井筒のための、独断と価値判断に満ちた、一筆書きのような思想史・社会論が好きだ。「井筒個人のイスラーム観」は、このようなものだったと思う」となる。井筒氏は「シーア派重視」「神秘主義こそ宗教の発展する道」という特徴があるというのが池内氏の指摘。井筒の言っていることだけを読んでそれが「イスラーム」だと思い込んで、現実のアラブ世界の政治についてまで論評してしまう、しかも「現代思想」の分野ではそれが主流だったりする傾向を問題視している。

  • 基本的な知識が決定的に不足していることを痛感しつつ、多くのことを知ることができた。
    アブラハムの宗教。
    メディナでムハンマドが作った共同体。
    ハキーカ。イマーム。

  • 著者の井筒俊彦は,日本を代表する哲学者・言語学者・イスラーム学
    者で,コーランを初めて日本で訳出した方です。語学の天才で,20カ
    国語以上を操ったと言われ,ギリシャ神秘思想,ペルシャ・イスラム
    哲学,仏教,老荘思想などを渉猟して独自の東洋哲学を打ち立てた方
    です。その業績に対しては,日本よりもむしろ欧米での評価のほうが
    高く,カナダやイランの大学で教鞭をとっていました。昭和が生んだ
    不世出の天才であり,本物の知識人・文化人です(1993年没)。

    本書は,そんなイスラーム学の泰斗が,1981年に,経団連の依頼に応
    えて行ったというビジネスマン向けの講演をとりまとめたもの。1時
    間ずつを3回,たった3時間の講演内容ですが,実に深淵な内容にな
    っています。しかも,わかりやすい。「イスラーム文化における根底
    的なもの,イスラーム文化の精神とでもいうべきもの」を解き明かし,
    「イスラーム文化を真にイスラーム的たらしめている生きた精神の把
    握」を目指した本書は,イスラーム文化の本質を理解する上で,稀有
    な入門書と言えるでしょう。

    著者は,冒頭,「われわれ日本人がイスラーム文化圏に対して,本当
    に真剣な時局追求的な態度をとり出したのはごく最近のこと」と言っ
    ています。二度のオイルショック,ホメイニのイラン革命,人質問題,
    イラン・イラク戦争など,矢継ぎ早に中近東に事件が起きていたから
    です。それまでは,中近東の事態は,日本人の大多数にとっては他人
    事で,十字軍以来相互に愛憎のしがらみに生きてきた西欧諸国とは,
    全く違うのだった。しかし,急速に国際化する中で,「日本人のいま
    生きている現実そのものの中に織り込まれている」中近東と向き合わ
    ざるを得なくなっている。日本人の立場から,「イスラーム文化をど
    のような目で見,どのような態度でその呼びかけに応じていくべきか」
    を考えざるを得なくなっている。そういう時代背景の中で,著者は,
    イスラームに関心を向け,理解のための努力をすることの必要性を説
    いたのでした。

    それから30年後の今また,「イスラームを他人事として簡単に片づけ
    てしまうことができないような事態」が起きています。しかし,イス
    ラームを憎み,嫌悪し,恐怖する前に,彼らのことをもっと理解しよ
    うと努力するべきではないでしょうか。彼らが持つ石油資源に依存な
    がら,彼らの精神世界にも文化にもほとんど関心を示すことなくここ
    まで来てしまった。そのことをまず反省すべきではないでしょうか。

    本書を一読してわかるのは,イスラームは神と共に生きてきた,とい
    うことです。イスラームとは「絶対帰依」を意味する言葉で,神と人
    間の関係は,キリスト教のような「父と子」のような愛に満ちたもの
    ではなく,「主人と奴隷」の関係だといいます。絶対に神を裏切るこ
    とはできず,日常生活の全てにおいて神との契約を意識しながら生き
    ている。嘘は許されない。そういう苛烈な精神世界を,イスラームの
    人々は生きている。そして,神の意志を実現し,少しでも理想的な社
    会へと近づけるよう,世界を建設する努力を続けているのです。

    それを前近代的だとか,独善的だと切り捨てても始まりません。彼ら
    はそうやって何百年も生きてきたのです。逆に,そういう生き方をし
    てきた人々に,我々日本人はどのように見えているのでしょうか。信
    じる神を持たず,経済成長以外にどんな理想を持って生きているのか
    わからず,為政者達が平気で嘘をつく我々日本人のことを。

    無宗教で生きてきた日本人に,イスラームを理解するのは不可能かも
    しれません。でも、分かり合えなくてもいいんです。ただ,排除し合
    わずに,共に生きていける社会がつくれればいい。多元的な社会を生
    きるとは,そういうことではないでしょうか。

    時局的言説に惑わされ,取り返しのつかない過ちを犯さないためにも,
    こういう時こそ,本物の知識人の冷静な言葉に耳を傾けたいものです。
    たった200ページ余ですので,是非,読んでみて下さい。

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    ▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)

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    かつて中国文化との創造的対決を通じて独自の文化を東洋の一角に
    確立し,さらに西欧文化との創造的な対決を通じて己れを近代化す
    ることに成功した日本は,いまや中近東と呼ばれる広大なアジア的
    世界を基礎づけるイスラーム文化にたいして,ふたたび同じような
    文化的枠組の対決を迫られる新しい状況に入ろうとしているのでは
    ないでしょうか。
    ひるがえって反省してみますと,従来われわれ日本人はイスラーム
    にたいして余りにも無関心でありすぎました,学問的にも,また常
    識的にも。

    いままでのようにイスラームを他人事として簡単に片づけてしまう
    ことができないような事態が,われわれの周りに現実化しつつあり
    ます。

    イスラームとはいったい何なのか,イスラーム教徒(ムスリム)と
    呼ばれる人たちは何をどう考えているのか,彼らはどういう状況で,
    何にどう反応するのか,イスラームという文化はいったいどんな本
    質構造をもっているのか,??それをわれわれは的確に把えなければ
    ならない。それがはっきり主体的に呑みこめないかぎり,イスラー
    ムを含む多元的国際社会なるものを,具体的な形で構想したり,云
    々したりすることはできないからであります。

    本来的,あるいは根源的には,イスラームは何といいましても,あ
    くまで宗教であり,ひとつの特徴ある信仰体系であります。

    イスラームにおいては,宗教は人間の日常生活とは別の,何か特別
    な存在次元に関わる事柄ではない。人間生活のあらゆる局面が根本
    的,第一義的に宗教に関わってくるのです。(…)およそ人間が現
    実に生存するところ,そこに必ず宗教がある。そしてこのように人
    間存在のあらゆる局面を通じて,終始一貫して『コーラン』に表れ
    ている神の意志を実現していくこと,それがイスラームの見る宗教
    生活なのであります。

    何といっても,すべてのイスラーム教徒が神の啓示に基いた一つの
    信仰共同体に属しているのだという強烈な連帯意識であります。

    いったん異端を宣告されたが最後,その人,あるいはそのグループ
    は完全にイスラーム共同体から締め出されてしまう。(…)「イス
    ラームの敵」になったものの刑は死刑,全財産没収。個人の場合は
    もちろんそのまま死刑。異端宣告を受けたためにどれほど多くの人
    々が刑場に消えていったか,数えきれません。

    神と人との人格関係は,あくまで主人と奴隷との関係なのでありま
    す。人間を神の奴隷ないしは奴僕とする,このイスラーム的考え方
    はイスラームという宗教の性格を理解する上で決定的重要性をもつ
    ものでありまして(以下,略)

    イスラームという言葉自身,アラビア語としては,すでに語源的に
    自己委託,引き渡し,一切を相手に任せること,という意味なので
    あります。つまりイスラームは宗教的には「絶対帰依」以外の何も
    のでもありえないのです。

    自分自身の意志や意欲をあますところなく放棄して,すべてを神の
    心に任せきり,神にどう扱われようとも,敢て己れの好悪は問わぬ,
    絶対無条件的な神への依嘱,依存の態度をいつでもどこでも堅持し
    て放さない人のことです。

    イスラームの神アッラーの顕著な特徴としてぜひあげておきたいの
    は,この神のもつ絶大な力,全能性ということであります。(…)
    神は絶対有力,人間は絶対無力。(…)アッラーは全能であるとい
    うことです。神は全能,すべてはその意のまま。神の全能というこ
    とは『コーラン』の始めから終わりまで,全体を通じて流れている
    もっとも根本的なテーマであります。

    一見,人間の目に悪と見えることも,もっと大きな神の見地からす
    れば,実は善である。つまり,神の行為はすべて根本的に善なので
    あって,このような意味で善だけをすることが神の義務であります。

    何をするにせよ,常に来世の思いが人間の行動の最高の原理として
    働かなければならない。人間がこの世ですることそれ自体としては,
    この世での行為ではありますが,この世の倫理は自己完結的ではな
    いのです。来世ではじめて完結するのであります。

    『コーラン』では?は最大の悪徳の一つに数えられております。

    現世がもし汚れているなら,汚れないものにしようと,現実の社会
    が不義不正の社会であるならば,神の意志に従って正義の社会につ
    くり直していこうという積極的態度,建設的意欲が鬱勃として湧い
    てくるのであります。

    現世をあるがままに肯定するのではなくて,それを神の意志の実現
    の場として,『コーラン』の指示するところに従って,そこに理想
    的な,あるいは少しでも理想に近い現実世界を建設していこうとす
    るのです。しかも,それを個人個人でやらないで,共同体としてや
    っていく。だから当然,強烈な政治への関心が出てまいります。と
    いうより,現世的生活を神の意志に従って正しく建設していく道と
    して,政治がすなわち宗教であるのです。

    イスラームでは事物の本性が善悪を決めるのではない。人間の理性
    が善悪を判断するのではない。神の意志で善悪が決まるのです。
    (…)その全体が法という形で,つまり命令・禁止の体系として,
    いわば外から人間に課されるのです。

    中近東にたいする日本のこの関心は,いまのところ大体において時
    局追求的であって,中近東という巨大なイスラーム世界機構の活力
    の源泉をなしている宗教イスラームまたは文化イスラームの根底を
    探り,そしてそこからイスラーム世界の現実の動きを理解しようと
    する段階にはまだ至っていない。
    中近東にたいする時局追求的興味を私も軽視するわけではない。し
    かし,過去何百年ものあいだ,広大な中近東における無数の人間の
    生き方を根本的に色づけ,その社会的・個人的存在様式を規制して
    きたイスラームそのものを正しく理解することなくしては,そこで
    生起する時局的事件や事態の理解すら,表面的で深みのないものに
    なってしまうのではなかろうかと考えるのである。

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    ●[2]編集後記

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    先日,娘に「ノーマルってどういう意味?」と聞かれました。

    「普通とか正常って意味だよ。異常の反対」と答えましたが,それ
    では答えになりません。「普通」とか「正常」とか「異常」の意味
    が,小二の子どもにはわからないからです。それで,「普通って何
    だろうねぇ。正常って何だろうねぇ」という話になるわけですが,
    そもそも「普通」とか「正常」という言葉に自分自身が疑問を持っ
    ているから,娘にも,「例えば,指が四本の人がいたとして,それ
    は正常だろうか異常だろうか」と思わず問いかけてしまうわけです。

    「四本は普通じゃない」と言うので,「でも,それは,五本の人が
    多いというだけだよね。別に四本でいけないということはないのに,
    普通とか正常という言葉があるがために,四本の人が異常扱いされ
    る。それってどうなんだろう」みたいな返答をしました。

    しばし「うーん」と考えていた娘。そして,おもむろに「確かに,
    ノーマルって言葉は嫌だよね。だって,『ノー』と『まる』しかな
    いもんねぇ」としみじみ言ったのです。

    思わず唸りました。

    「No」か「丸(Yes)」かの線引きをして排除の構造を生み出して
    しまう「ノーマル」という言葉の持つ問題点を,見事に突いていた
    からです。

    子どもの言語感覚って面白いですねぇ。

  • 日本国内ではメディアのフィルタを通して偏った印象を持ちがちであるイスラム文化について理解する必要性を感じ今回紐解く。
    イスラムの全てはコーランにあり、それが、同時に政治であり、倫理感であると同時にそれが神との契約である云々・・・。
    昨今良く耳にするスンニ派、シーア派等というのは、ただその歴史的なコーランの解釈の違いによる発生してきた派閥であること云々・・・。

    日本人のイメージする宗教とは恐らく全く概念が別物なのではないだろうかと考えさせられる。より深く掘り下げて理解するためには、ギリシャ神話まで遡って、ユダヤ経、キリスト経の歴史的背景を膨大な文献を理解しなければならないだろうと自信をなくした次第。

  • イスラム教の創始者、ムハンマドは、
    修行者というよりも、商人であった。

    コーランには、商売の例えが多い。

    ムハンマドは、自分が神聖視されるのを極度に嫌ったといわれる。


    アッラーとは、ユダヤ教、キリスト教とも共通する、「唯一の神」。

    キリスト教では、キリストを神の独り子とする三位一体の神が言われるが、
    イスラームでは、
    神(アッラー)は、人間とは絶対的に隔絶されており、
    イスラームとは「絶対服従」を意味する、主人と奴隷のような関係。

    また、
    キリスト教においては、教会と世俗は分離されるが、
    イスラームにおいては、政治も生活も全て宗教であり、一体である。


    イスラームにも、
    言葉で表される教え、すなわち顕教と、
    神との合一、神秘主義的な、密教的な要素があり、
    後者はウラファーと呼ばれ、
    存在の奥にある神秘、ハキーカを求めた。
    しかし、正当なイスラームからは異端とされ、弾圧された歴史がある。


    コーランには無限の解釈が可能。

  • ずっと読みたい本に登録してて、やっと借りたらイスラムが一気にニュースを騒がしてえらくタイムリーになりました。
    神を信じないものは、理解の範疇を超えるとすると、日本大丈夫か?とも思ったら、ちょうど今日の人質事件。
    なぜ、神を信じる人がこんな行動を犯すのか。、
    この本にはまだ解がないのでもう少し他の本を読み進めてみよう。

  • 2015年度今週の1冊
    まず知ることから始めたい。イスラム入門書として、基本の1冊です。(2015/1/10)

    【紙の本】金城学院大学図書館の検索はこちら↓
    https://opc.kinjo-u.ac.jp/

  • Wed, 02 Sep 2009

    「イスラムってよくわかんないよね!?」
    世界で2番目に信者が多いといわれるのに
    日本ではマイナーな宗教、イスラム教。

    日本は歴史的に、仏教・儒教が強い中国、韓国の影響をうけつづけてきて、そのあとオランダ、ポルトガル、アメリカ、イギリスなどから、キリスト教の影響を受けた。

    結局、アラビア世界、ペルシャ世界のイスラム教との接点を歴史的に持ってこなかった。

    しかし、ここにきて、中東派兵、イラク問題、アフガニスタン問題と、日米同盟や石油確保に絡んで様々な接点が生じている。
    いろいろテロもおきるが、他人の国へお節介を続けるアメリカや西欧諸国に キリスト教vsイスラム教の十字軍再来を感じる人は多いはず。
    この本は、もう10年以上前にかかれた本なんですけど、
    イスラム教の本質をパッと読んで知りたい人にはいい。

    まず、教祖ムハンマドがどんな人だったのか。
    そして、コーランとはなにが書いてあるものなのか?
    イスラム教の神様とキリスト教の神様が実は同一の存在であるっていうことは、結構有名だけど、

    ユダヤ教、キリスト教、イスラム教っていうのは
    変な言い方するとドラクエ1、2、3みたいなもんですね。

    仏教や日本神道とかとは、別次元の類似性をもっているのだ。
    というわけで、イスラム教徒に
    「世界三大宗教は キリスト教、イスラム教、仏教だ」
    といってもピンとこないらしい。

    仏教はぜんぜん質的に別もんですね。
    本書で知って、ふーん て思ったこと。

    最近よくきく、イスラム教のスンニ派とシーア派がどうちがうのかがよくわかった。

    かなり、違う。

    ちなみに 大きく分けてアラビア世界のマジョリティがスンニ派でイラン(ペルシャ文化)がシーア派なのだそうだ。
    アラビア人とペルシャ人では民族性が全然違って、
    それ故に、イスラム教がそれぞれに対応して、大きく変わったんだとさ。
    あと、イスラム教とキリスト教の違いがよくわかりました。
    なぜ、キリスト教文化の方が「華美」なイメージがあるのか?そして、イスラムの国では政教分離がなされないのか?


    その鍵はイスラム教そのもののもつ「聖俗非分離」の教えがあるのだという。
    だから、神父様、牧師様みたいな存在もいないんだとか。
    もともと聖と俗は一体なのだから、

    俗の一部の政治が、教から分離するのはナンセンスなわけだ。

    とはいえ、政治と宗教の権力が同一になれば、どうしても権力の集中が起きて、専制的になりがちになる。
    大きな崩壊を起こさない為には、ある程度の分離は必要になるんだろう。
    これから中東のニュース聞くときは、ちょっとは
    スンニ派、シーア派を識別できそうです。

  • 20141209 なれない言葉が多かったのであまり頭に入ってこなかった。共同体であるウンマがどうやってできたのか。

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著者プロフィール

1914年、東京都生まれ。1949年、慶應義塾大学文学部で講義「言語学概論」を開始、他にもギリシャ語、ギリシャ哲学、ロシア文学などの授業を担当した。『アラビア思想史』『神秘哲学』や『コーラン』の翻訳、英文処女著作Language and Magic などを発表。
 1959年から海外に拠点を移しマギル大学やイラン王立哲学アカデミーで研究に従事、エラノス会議などで精力的に講演活動も行った。この時期は英文で研究書の執筆に専念し、God and Man in the Koran, The Concept of Belief in Islamic Theology, Sufism and Taoism などを刊行。
 1979年、日本に帰国してからは、日本語による著作や論文の執筆に勤しみ、『イスラーム文化』『意識と本質』などの代表作を発表した。93年、死去。『井筒俊彦全集』(全12巻、別巻1、2013年-2016年)。

「2019年 『スーフィズムと老荘思想 下』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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