ゴッホの手紙 下 テオドル宛 (岩波文庫 青 553-3)

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  • Amazon.co.jp ・本 (292ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003355336

感想・レビュー・書評

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  • ゴッホがゴーガンと暮らしてからは、“僕は今にも病気になりそうな気持がすることもあったが、ゴーガンが来たのですっかり気分が晴れて、うまくおさまる自信がついた。(p56)”、“ゴーガンは僕に想像で描く勇気を与えてくれる。たしかに想像で産み出したものは、いっそう神秘的な性格を帯びるものだ。(p68)”などと書いており、良い影響を受けているかのように見えました。
    しかし、十二月二十三日の手紙には“ゴーガンはこのアルルの町にも、われわれが仕事をしている黄色の家にも、ことにこの僕に、いくらか失望しているようだ。(p80)”となっています。耳切り事件の日です。

    事件をきっかけに二人の共同生活は破綻しますが、その後もゴッホは“ゴーガンと作品の交換を続けるのは僕にとって時には高くつくとしても楽しいことだ。(p104)”と書いており、ゴーガンへの変わらない思いが感じられました。

    全体的に、ゴッホが“精神的にも肉体的にも健康でない状態にあった(p136)”ことを思い知らされる手紙が多いです。“君の友情がなかったら、たやすく自殺の道に追いやられたろうし、僕がどんな臆病者でもしまいにはそうするかもしれない(p146)”と自身で書いていた通り、ゴッホは最終的に自殺してしまいます。ゴッホの苦悩が伝わってくるようで、読んでいて苦しくなりました。

  • なんとかして当初の目標であった「アムステルダム訪問前に読了」を達成。それなりの満足感はあるも同時に端折った感も否めず。願わくば腰を落ち着けてじっくりと読みたかった。

    彼の最終章を読みながらテオの妻の登場がほぼないことにふと気づく。司馬さんの「街道をゆく オランダ紀行」においてはその彼女の功績を褒め称えていた故に、一体それはどこからきたのだろうと読了後にそちらに立ち戻って拾い読んでみると、なるほど納得、彼女のその後の功績はフィンセントの知るところではなく、兄の死後数ヶ月で後を追う弟テオとの結婚生活が二年間に満たなかったという記述からもこの書簡集には出てくるはずがない。ただその非常に短い期間の中にフィンセントがテオと「ジョ」ことその妻ジョハンナに対して何度も何度も繰り返す祝福、幸福祈願の言葉の数々が、後の彼女の「この書簡を後世に伝え、この彼らの情熱を未来で昇華させるのだ」という信念の源となったことを考えると、愛情という種は蒔けるときに常に蒔いておきさえすればきっと育つものなのだという希望的観測を与えてくれる。それはフィンセントの作品が後に高額で取引され、投機の対象にまで成長したとかいったようなことを喜ぶ意味ではなく、その愛情が司馬遼太郎にまで伝播し、「彼が祖国に残した功績は画家としての側面のみではなく、文学者としての側面というものも大きいのだ」とまで言わしめていることを喜んで言っているのである。

    再読もしたいし、その他の関連書にも手をつけてみたい。

    ま、でも今のところは空港から彼の美術館までの順路を頭に入れることに集中するとするか。

    感謝。

  • 一言、胸を打たれました。

    感想にまとめようとしても、書いた傍から、真実じぶんが感じた事を文章化できないと感じるので、やめておきます。

    (遅読ゆえ)1か月半をかけて読み継いできた「ゴッホの手紙」の、その日付が1890年7月29日に迫り始めると、仕事も遊びも手がつかなくなり。

    最後の手紙の最後の一文には何と書かれているのか、読みたいような読みたくないような、そんな気持ちを胸に抱きながら開いた最終ページの言葉は、自分の読書史に残ります。

  • 狂気と生活のはざまにあって、このゴッホという男は描くということを理性の限り続けた。
    油絵は決してうまいというわけではなかった。けれど、描いていたい、その情熱だけは誰よりも持っていた。絵を描くということは、写真を撮るのとは違う。目や写真では絶対に見通せない、「かたち」を描くことだ。このゴッホの場合、それは線であり、色であった。その筆触にはたしかに情熱が宿っている。
    初期のスケッチはそんな情熱を画布の中に封じ込めようと、線を刻んでいった。まだ彼の手に負えたのだ。それが時を経るにつれて、線自体が浮き上がって、語りかけてくる。最後に収録された「オーヴェルの庭」に至っては、ただの線の集まりに過ぎないはずなのに、空間が、光が、色が風となって一気に押し寄せる。ようやくここまで来た、そう感じたとき、彼はその筆を折った。ほんの一瞬の境地、それだけで彼の命を奪うには十分であった。
    彼にとって、描くことと生きることの間には途方もない隔たりがあった。この生活というものはどこまでいっても、描くということの要るものではない。それでも、どういうわけか、彼は描かずにはいられなかった。生活に追われながら、生きるということを賭けて、彼は描くことをやめない。狂気さえも、彼の描くという情熱を奪うことはできなかった。だからこそ、身体の息の根を止めるより他、なかったのだと思う。
    彼は描くことに長けていたというよりかは、考えることに長けていた。おそらく、描くにはあまりに原始的で、伝道師としてものを伝えるにはあまりに飛躍的に考えすぎることができたのだ。イメージが何よりも先行しているのだ。
    彼の画家を見る目、芸術家の組合、それがどれほどゴーギャンやベルナールの力となったか。そんな彼が負った、ひとり、印象派と呼ばれるところから離れて、孤独に描くということ。耳を傾けるものがいなかったからこそ、彼は高みへと至ることができた。たしかに、彼の情熱の作品それ自体が素晴らしいということもある。だが、それ以上に、彼の情熱が蒔いた種が、今もなお、ひとの中で生きているからなのだと思う。その点で、彼は決して孤独ではなかった。
    彼の垣間見た未来は、決して幻ではなかった。けれど、迫りくる生活と狂気の中にあっては、誰も同じではいられない。そうして彼は死んでいった。
    彼の絵はたしかに、彼という人物を知るうえできわめて多くのことを語ってくれる。しかし、彼にとって、絵を描くということは永遠の試行錯誤でしかなかった。しかし、書簡の中やスケッチの中に見える彼は、そんな試行錯誤から離れた、もっとのびやかで闊達な姿を見せてくれる。そうやって、彼の絵とことばとが両輪のようになって、ゴッホというひとりの人間を浮かび上がらせてくれる。絵によってことばが、ことばによって絵が、ゴッホという人間へ変わる。小林秀雄大人は、こうしてゴッホという人間に出会ったのだ。
    この書簡の訳出にも、戦争などの問題が挟まって紆余曲折を経たが、ゴッホの憧れがれた東の果てのこの島国に、そんな彼からの手紙が届くということはなんという幸せか。

  • ゴッホの手紙、下巻はゴーギャンとの共同生活が実現して、すぐに破綻して、耳切り事件があって、精神病院に入院して、自殺するまでの転がり落ちるような勢いがすごい。
    ゴーギャンと仲違いしたのが耳切り事件の発端かと思っていたけど、その前から調子が悪いとか、病気になりそうという記述があり、発作の前兆はあったようだ。短いながらも、ゴーギャンと一緒に美術館に行って作品について白熱した議論をしたり、モデルを見ないで描くことを勧められたり、ゴッホが夢見ていた共同生活は楽しそうで微笑ましい。
    でも次の手紙から完全に別人のように意気消沈している。画家としての自身も喪失し、共同生活も諦めている。弟からの仕送りで額縁をたくさん買っていた頃とは打って変わって、文章も散らかりがちで力がない。ずっと奇声を発している患者やあるものを全て壊す狂人のような、結構な重症患者と一緒に病院に入院して、再度の発作が起こることをおそれて過ごしている。名画の写実をするなど絵を描き続けているが、なぜか画家になる夢が過去形のように語っている。この間も素晴らしい作品を生み出し続けているのが嘘のようだ。
    最後の2通の手紙では、テオに手紙で色々書こうと思ったが、無駄だと思ってやめたと書いてある。亡くなったときにポケットに入っていた手紙は、ゴッホの抱えている混乱や失意が溢れているようで、読んでいてとても悲しい。
    「そうだ、自分の仕事のために僕は、命を投げ出し、理性を半ば失ってしまいーそうだーでも僕の知る限り君は画商らしくないし、君は仲間だ、僕はそう思う、社会で実際に活動したのだ、だがいったいどうすればいい」(第六五二信)

  • 下巻はゴーギャンとの共同生活あたりからはじまる。共同生活が破綻し診療院に入ると、いっそう淡々とした文章になってくる。静かな絶望がひしひしと伝わってきて切ない。

  • 描くことが人生。

  • (1998.03.19読了)(拝借)
    商品の説明 amazon
    ゴッホの手紙 我々が画家としてのみぞ知る人ゴッホ。牧師になろうとして深く挫折した彼の一面から、現存する彼の絵画に託した想いを知る事ができます。

    ☆関連図書(既読)
    「ゴッホの手紙(上) ベルナール宛」ゴッホ著・硲伊之助訳、岩波文庫、1955.01.05
    「ゴッホの手紙(中)」ゴッホ著・硲伊之助訳、岩波文庫、1961.05.05

  • ある日の手紙で、療養所の窓から日の出を見たと書かれていた。
    我が家の窓からは日の出は拝めないけど、最近毎日日の出前に目が覚めるので、ゴッホもこんな気分で朝を迎えたのだろうか、と思った。
    ゴッホも印象派も有名な絵しか知らないけど、一つ一つの作品に題材選びから始まって描き終わるまで、その人の人生や価値観を反映したエピソードが含まれているのだな、と感じた。
    今度からは気になる絵を見つけたら、それが描かれた背景を気にしてみることにしよう。

  • ゴッホの絵が好きなので、ゴッホの気持を理解したくて読んだ。かなりタフな内容だった。おカネがなく、どの手紙も最初はお金の事から始まる。一方で自分の絵への自負も見られる。特にゴーガンとアルルの黄色い家で芸術家達が切磋琢磨する理想の家を築きたかった希望が痛いほどわかる。それが崩壊して、希望を失ったのが、あまり手紙では触れないけど、それだけに無念だったんだろうなって感じた。

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