- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004314769
感想・レビュー・書評
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流し読み。身体への自由とは自分の身体だから何をしてもよいということではないと思われるが、それに制限をかけるならいかなる理由によるのか?子どもを産む自由は生命倫理による制限を受けるが、どこまで制限が許されるのか?
この答えは多分社会規範だと思うが、社会規範それ自体が抑圧的なときそれを受け入れるべきなのか?(振り出しに戻る)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ひとくちにフェミニズムといっても、立場や手法、語彙に行動や運動のやり方、かなり多様であること、一様であり得ないことがはっきりとわかる。
中絶ないし、自分のからだという「やっかいな」問題だからこそ、それはなおさら。
ツイッターその他でなんちゃってフェミニストを貶めて溜飲を下げる前に、まずは歴史を知ることから始めるべきだろう。それが良識ある人間のすることだと思う。
わかりやすく読みやすい本でもある。第二次フェミニズムについて主に触れられているが、序でそれ以前の歴史についても整理してあるので、最初に読む本としても問題はない。 -
コンパクトな新書に、かなりいろいろ入ってる感じの本。「女の健康運動の歴史における重要な節目は1969年だろう」(p.18)とあり、この年、アメリカ各地で同時多発的に運動が始まったという。日本では『からだ・私たち自身』というタイトルで訳本が出たOBOS(Our Bodies,Ourselves)の物語も1969年に始まるそうだ。私がうまれた年である。日本ではこの翌年の1970年が「ウーマン・リブ元年」とされているそうだ。
私が大学に入った年、1988年に出た『からだ・私たち自身』は、ものすごく分厚くて、高かったが、私も買ってあちこちずいぶん読んだし(どうやりくりしてこんな高い本を買ったんやろ…)、この新書で書かれている話は、知っていたこともけっこう多かった。
でも、知らんかったなーということもあって、たとえば1962年のシェリ・フィンクバイン事件(pp.21-22あたり)、伝説の中絶地下組織「ジェーン」のこと(pp.55-64あたり)、薬害や医療被害者たちのねばり強い交渉の末に、レセプトやカルテの明治、明細のわかる領収証の発行などが実現したこと(pp168-169あたり)など。
3章の「日本のウーマン・リブと女のからだ」、4章の「1980年代の攻防と、その後」、5章「生殖技術という難問」は、優生保護法改定に際して中絶をめぐって女性の運動と障害者の運動がぶつかったことから、ピルの話、富士見産婦人科病院事件、母体保護法の成立、そして生殖技術と選択の自由についての難しさのことまで、よくまとめられていると思う。
このかんの、ろくでなし子さんや北原みのりさんが逮捕された「理由」というのを考えてみても、女のからだについて、女自身が語り、表現することへの圧力や忌避感は決して消えていないわけで、女が自分たちの経験を伝え、それを信頼していくことはホンマに大事やなーと思う。
「阻止連ニュース」122号に掲載されている「魔のトライアングル」が引用されている。女のからだをめぐる法律が、何を意図しているのか、ものすごくよくわかる。
▼「基本的に中絶は禁止、妊娠したら必ず産めというのが堕胎罪、でも障害がある人間は産んではいけないというのが優生保護法、そして次世代を担う健全な労働力(障害のない赤ちゃん)を産むための母体保護が母子保健法だと私たちは考え、この3つの法律を女のからだ、人生を管理する「魔のトライアングル」と呼んでいる」(p.179)
この人の本は、同居人もきょうみあるというので『「家族計画」への道―近代日本の生殖をめぐる政治』を前に買ったが、読みきれないまま積ん読。
長いこと本棚に差したままの『からだ・私たち自身』も久々に読みたくなり、「家族計画」の本も読もうかなーと思った。
(12/8了) -
8月新着
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女性学とか面倒そうだな。。
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どきっとする表題ですが・・・・。
女の健康運動の歴史、日本でいえば昭和史でしょうか。
教授らしく、しっかりした講義内容です。
そういえば・・・・、そんな時代もあったなぁと思う、1970年代。
懐かしくたどりました。