日本の近代とは何であったか――問題史的考察 (岩波新書)

著者 :
  • 岩波書店
3.79
  • (26)
  • (37)
  • (39)
  • (3)
  • (1)
本棚登録 : 648
感想 : 57
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004316503

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 近代国家形成に向けて日本がどう歩んできたのか、「政党政治の成立」「資本主義の形成」「植民地帝国の経緯」「天皇制とは」という4つの観点から学術的に説く。前近代において他国からの侵略、宗教の諍いが限られていた日本では、事情の異なる西欧の近代化を倣うにあたって試行錯誤が続く。植民地領有の理由については、西欧では経済的利益を求めたのに対し、日本では軍事的安全保障を求めたものであることが明確に示される。著者を極左と責める向きがあるが、現在の西欧での移民、難民の問題はもちろん、日本での近隣諸国との関係で精算しきれない問題は、それぞれが植民地帝国であったゆえの負の遺産であることを受けとめたい。そしてそれを教訓とし、未来というより常に今この時のありようを考えていかなければと思う。

  • <blockquote>今までの研究の蓄積から生まれた問題意識や分析は面白く、まさにプロ・アマ問わず日本の近代について考える者に興味深い視座を提供するのものになっていると思います。</blockquote>

  • 新書大賞の受賞やネットの書評で好評価を得ていたため、手に取った。
    新書だと思って軽く読み始めると、意が取れなくなってページを戻ったり、改めてじっくり読み込んでみたりと、300ページに満たないながら、思わぬ骨太であった。
    行間を含めてどこまで理解できたのか心もとない部分が多いが、本書で幕末から戦後までを通暁し、教科書で読むように歴史がブツブツと切れているのではなく、流れるように織りなしていることを知っただけで収穫だった。

  • 明治以降の日本の体制について研究した本。政治体制、資本主義、帝国主義、天皇制について詳しく述べている。知らなかったことが多く、勉強になった。ただし項目によっては、特に、植民地獲得の拡張的政策については違和感のある論述もあった。はっきりとは言えないが、なにか違うような気がしてならない。学術的ではあった。
    「日英の政治には、決定的な違いがありました。英国には自由主義的伝統、とくにその主要な要素である「個人の尊重」の伝統が影響力をもっていたのに対し、日本にはそれはたしかになかったのです」p18
    「(マックス・ウェーバー)合議制というのは行政任務の専門家が進行して、専門家が不可欠となってくるような状況において、支配者が専門家を利用しつつ、しかも専門家の優勢がますます増大していくという傾向に対応して、自己の支配者としての立場を守ろうとする目的意識に適合した典型的な形式です。つまり、支配者は合議制によって、それに参与する専門家たちを相互に競わせ、それを通じて彼らをコントロールする」p44
    「大久保利通の海運保護政策は、徹底して三菱会社に及ぼされました。大久保は内務省駅逓寮に所属していた汽船13隻を挙げて三菱に付与し、補助金年25万円を14か年にわたって給付することとしました。また廃藩置県後に政府が諸藩所有の汽船を収め、これらをもって組織させた郵便蒸気船会社が危機に瀕した時、大久保の提議によって所有船18隻を政府が購入し、これらも三菱に付与しました。こうして政府の厚い保護を受けた三菱は沿岸航路から外国海運業者を駆逐し、極東海域全域を掌握することになります」p94
    「日本が欧米諸国との間で大使の交換を認められるのは日露戦争後のことです。日露戦争の勝利によって日本は国際社会においてはじめて一等国として認知され、実質的意味の国際社会のメンバーとなったのです」p150
    「朝鮮ではついに一度も文官総督が出現しなかったのとは対照的に、台湾総督には九代にわたって文官が任命されます」p179
    「挑戦と台湾における教育について、日本人と現地人とを分けず、同一勅令によって規定し、実質においては日本人と現地人との間に、ある範囲の共学を実施するとともに、大学教育の導入等現地人に対する教育水準の引き上げを図った」p182
    「教育勅語のいう、天皇の祖先が忠孝の徳を立て、臣民が心を一にして世々その美をなしてきた。これこそわが国体の精華であって、教育の淵源もまたここに存する」p228

  • 日本の近代=明治維新
    西洋の近代=神
    http://blog.livedoor.jp/yamasitayu/archives/52172300.html

  • 著者:三谷太一郎(1936-) 日本政治外交史。

    【書誌情報】
    通し番号:新赤版 1650
    刊行日:2017/03/22
    ISBN:9784004316503
    版型:新書 288ページ
    https://www.iwanami.co.jp/smp/book/b283083.html

    【目次】
    目次 [i-iv]

    序章 日本がモデルとしたヨーロッパ近代とは何であったか  001
      近代日本のモデル
      バジョット[Walter Bagehot]とマルクス[Karl Marx]
      自然科学というモデル
      二人の「近代」
      前近代と近代
      「議論による統治」を成り立たせるもの
      西と東の断絶
      日本の伝統に欠けていたもの
      「国民形成」の条件
      「近代」の歴史的意味
      「複雑な時代」の受動性
      近代における情動の激発
      「議論による統治」の条件
      近代化の二つの推進力
      本書の課題

    第一章 なぜ日本に政党政治が成立したのか 035
    1 政党政治成立をめぐる問い 036
      政党政治崩壊の原因という問い
      政党政治成立の理由という問い
      日本の立憲主義をめぐる問い
    2 幕藩体制の権力抑制均衡メカニズム 042
      明治国家のアンシャン・レジーム
      合議制による権力の抑制均衡
      幕藩体制下の権力の分散
      相互監視の体制
    3 「文芸的公共性」の成立――森鷗外の「史伝」の意味 050
      政治的公共性と文芸的公共性
      鴎外の「史伝」をどう読むか
      尾崎秀實[おざきほつみ]は「史伝」をどう読んだか
      横のネットワークの広がり
    4 幕末の危機下の権力分立論と議会制論 059
      西周[にしあまね]の提案
      「公儀」から「公議」へ
      議会制導入という戦略
    5 明治憲法下の権力分立制と議会制の政治的帰結 066
      明治憲法下の議会制
      覇府排斥論と権力分立制
      反政党内閣と権力分立制の不可分性
    6 体制統合の主体としての藩閥と政党 071
      体制を統合する主体の必要性
      何が統合主体となったのか
    7 アメリカと対比して見た日本の政党政治 075
      米国政治の統合主体としての政党
    8 政党政治の終わりと「立憲的独裁」 078
      デモクラシーなき立憲主義

    第二章 なぜ日本に資本主義が形成されたのか 081
    1 自立的資本主義化への道 082
      スペンサー[Herbert Spencer]と日本
      政治リーダーと経済リーダー
      自立的資本主義を目指して
    2 自立的資本主義の四つの条件 086
     (1)政府主導の「殖産興業」政策の実験 086
      起点としての岩倉使節団
      「恥」の意識による近代化
      「殖産興業」と内務省設置
      農業技術の近代化
      模範農場と模範工場
      貿易と海運 
     (2)国家資本の源泉としての租税制度の確立 095
      外資導入への消極姿勢
      不平等条約改正という大前提
      地租収入と農民把握
     (3)資本主義を担う労働力の育成 099
      「学制」の意義
      義務教育制と国家主義
      女子教員の育成
      中村敬宇[なかむらけいう]の思想
      個人主義と実学主義
     (4)対外平和の確保 106
      グラント[Ulysses S. Grant]から明治天皇への忠告
      日清間の戦争の危険性
      やしまの「うち」と「そと」
      大久保利通[おおくぼとしみち]の台湾出兵の収拾
      大久保の絶頂とその終わり
      西郷隆盛[さいごうたかもり]の憤懣
    3 自立的資本主義の財政路線 116
      松方財政の二本柱
      政府主導の産業化路線と前田正名[まえだまさな]
      前田と原の確執
      大久保後の二つの路線
    4 日清戦争と自立的資本主義からの転換 124
      松方[まつかた]による外債導入
      明治天皇の日清戦争観
      国際的資本主義へ
    5 日露戦争と国際的資本主義への決定的転化 127
      漱石[そうせき]の見た借金国日本
      国際的資本主義の様相
      国際金融家・高橋是清[たかはしこれきよ]
    6 国際的資本主義のリーダーの登場 131
      井上準之助[いのうえじゅんのすけ]の台頭
      四国借款団と井上・ラモント[Thomas W. Lamont]
      日米間の「新しい同盟」
      国際金融の「帝国」
      金解禁の意味
    7 国際的資本主義の没落 139
      国際金融家の時代の終焉
      国家資本の時代へ
      自由な「貿易」とその終わり

    第三章 日本はなぜ、いかにして植民地帝国となったのか 143
    1 植民地帝国へ踏み出す日本 144
      植民地とは何か
      植民地帝国日本の地図
      三国干渉と蘇峰[そほう]
      帝国的膨張への動機
    2 日本はなぜ植民地帝国となったか 149
      「非公式帝国」としてのイギリス帝国
      なぜ「非公式帝国」にならなかったのか
      山県有朋[やまがたありとも]の演説
      「主権線」と「利益線」
    3 日本はいかに植民地帝国を形成したのか 154
      枢密院という存在
    (1)日露戦争後――朝鮮と関東州租借地の統治体制の形成 156
      統監府・理事庁官制案
      統監の権限をめぐって
      陸軍の巻き返し
      枢密院での異論
      美濃部達吉[みのべたつきち]の『憲法講話』
      「違法区域」としての植民地
    (2)大正前半期――主導権確立を目指す陸軍 166
      陸軍主導のゆらぎ
      樺太統治の変化
      陸軍主導の確立
      枢密院の抵抗
    (3)大正後半期――朝鮮の三・一独立運動とそれへの対応 173
      脱軍事化と同化
      関東庁設置と文民長官
      文官イニシアディヴの確保を目指して
      原案の修正
      朝鮮・中枢院の改革
      教育による「同化」政策
      帝国大学の設置
      「拓務省」の名称の意図
    4 新しい国際秩序イデオロギーとしての「地域主義」190
      蠟山政道[ろうやままさみち]の「地域主義」
    (1)一九三〇年代――「帝国主義」に代わる「地域主義」の台頭 192
      国際主義から地域主義へ
      モデルとしての汎ヨーロッパ主義
      「東亜新秩序」
      地域主義の対抗者
      一九四〇年代の「大東亜」
    (2)太平洋戦争後――米国の「地域主義」構想とその後 198
      冷戦戦略としての「アジア地域主義」
      冷戦終焉と地域主義の変容
      アジア文化はあるのか
      新しい「地域主義」の模索へ

    第四章 日本の近代にとって天皇制とは何であったか 205
    1 日本の近代を貫く機能主義的思考様式 206
      ヨーロッパ化という課題
      機能主義的思考の系譜
      荷風[かふう]の問い
      丸山眞男[まるやままさお]の「近代」
    2 キリスト教の機能的等価物としての天皇制 213
      機能を統合する機能
      グナイスト[Rudolf von Gneist]の勧告
      国家の基軸としての天皇
      君主観の違い
    3 ドイツ皇帝と大日本帝国天皇 219
      吉野作造[よしのさくぞう]の観察
      憲法上の君主の違い
      詔勅批判は自由か
    4 「教育勅語」はいかに作られたのか 225
      教育勅語の位置づけ
      その起点と論理
      教育論争と政治対立
      地方長官の要請
      中村正直の草案
      井上毅[いのうえこわし]の批判①
      井上毅の批判②
      井上案から最終案へ
      教育勅語と立憲主義
      発布の形式
    5 多数者の論理と少数者の論理 241
      政体と国体との相剋
      大日本帝国憲法の自由主義的側面
      国体の支柱を失って

    終章 近代の歩みから考える日本の将来 247
    1 日本の近代の何を問題としたのか 248
      四側面から見た日本の近代
    2 日本の近代はどこに至ったのか 252
      「富国強兵」と「文明開化」
      「強兵」なき「富国」路線
      一国近代化路線の挫折
      これからの日本が歩むべき道
    3 多国間秩序の遺産をいかに生かすか 257
      多極化とグローバル化
      第一次大戦後の多極化とアメリカニゼーション
      多国間協調のワシントン体制
      軍縮条約と不戦条約
      経済・金融提携関係
      中国をめぐる国際協調は成り立つか

    あとがき(二〇一七年二月二四日 三谷太一郎) [267-276]
    人名索引 [1-4]



    【抜き書き】
    ・以下は比較文化論チックな「恥」意識の話。俗な日本人論スレスレになるほど省略気味の議論なので、何故著者はこの話を捩じ込んだのか、その意図を知りたくなった(皮肉ではなく文字通りの意味で)。

    ■88-90頁
     “権力による近代化の心理的促進要因となったのは何だったか。それを一言でいえば、欧米先進国の文明の理想化されたイメージと対比して生じる、自国の文明への「恥」の意識です。たとえば、次のようなエピソードがあります。大久保利通の二男牧野伸顕[まきの のぶあき]は、後年、宮内大臣・内大臣を歴任する天皇側近となりますが、当時10歳の少年として岩倉使節団に随行し、アメリカに留学しました。彼の『回顧録』によれば、岩倉一行は出発に際し、到着地アメリカで初めて汽車に乗るのでは体面に係わると考えました。当時京浜間の鉄道はまだ工事中で、線路は横浜から品川の台場までしか開通していなかったのですが、一行は品川の浜辺まで行き、プラットフォームの設備などない露天の汀[みぎわ]から汽車に乗車して、横浜まで赴いたのです。このように、明治政府要人の「恥」の意識が、権力による近代化の起点となった欧米巡遊への出発に際して表われているのです。このことは、日本の近代さらにいえばその最も重要な部分である資本主義そのものの特徴――外面性と装飾性とに反映しているといえるかもしれません。
     一行の滞米中、岩倉大使の羽織、袴に革靴といった服装が米国人の衆目を引いたため、大礼服を制定する提議がなされ、本国と交渉して急遽大礼服に着替えたのも、「恥」の意識からです。大久保がフランスを巡遊中、リヨンにおける絹糸紡績工場を視察した際に、原料の屑糸が日本から輸入されたものであることを聞き、同行者に「実に恥ずべきの至りならずや、将来是非我邦に於ても斯業を起さざるべからず」と語ったといわれるのも、同じように説明できるでしょう。
     このような「恥」の意識は、「文明開化」を促す一般人民向けの政府の布告の文面にも表れています。政府の布告には難解な漢字が多く、一般の人民には容易には読めませんでした。これを風刺して、「権令[ごんれい]が沙汰[さた]出しや角[かく]い字で読めない。参事は一字は読まずばなるまい」というような俗謡が現れるほどでした。これも、政府の布告が威儀を欠いた卑俗な文章では内外の笑いものになるだろうという「恥」の意識から来ているのです。
     文化人類学者のルース・ベネディクトはその名を戦後日本において有名にした『菊と刀』で、「罪の文化」と「恥の文化」とを区別し、前者を代表するものとしてヨーロッパの文化を、後者を代表するものとして日本の文化を挙げています。資本主義化を含む日本の近代化を促進した要因として、このような文化の性格を無視することはできないでしょう。二つの文化の違いは、おそらくそれぞれの文化――日本の場合には幕藩体制の下で形成された文化――における宗教の価値の違い、すなわち宗教の比重や社会的役割の違いに起因するのではないでしょうか。それは、先に言及した宗教社会学的観点からのマックス・ウェーバーの説明が可能であったヨーロッパの資本主義化と、そのような説明を適用できない日本の資本主義化との違いを明らかにしていると思います。いいかえれば、それは「原罪」という観念が根底にある文化と、この世との緊張関係を最小化し、内面よりも外面を重視する文化との違いであるかもしれません。”

  • 政党政治・資本主義・植民地・天皇制を切り口に日本近代史を総論しようとする一冊。
    大ベテランの先生こそ専門の研究領域の総論を書くべきだと思うので、こういう本は大事。「青春期の学問」ではできない「老年期の学問」として総論を書くというスタンスもある意味正しい。ただ「最近の研究成果を踏まえていない」という批判をかわす方便というか、開き直りにも見えて、なんだかなぁという気持ちにもなる。。。

    自分には少し難しかったので要再読だけど、資本主義の章はちょこちょこ気になった。たとえば不平等条約の下では外資に依存しない資本主義にならざるをえなかったとか、自国文明への「恥」の意識が近代化の促進要因になったと書かれている。面白い理解なんだけど、ずいぶん消極的な印象も受ける。本当にそうなんだろうか。

  • 日本の近代について、政党政治、資本主義、植民地、天皇制という4つの点から考察。

    教科書で習うような近代の概念をさらに深掘りし考察を加える。

    部分的に見れば、近代の概念を覆される。特に意識をしなければ、戦前=近代は遠いものだとどこか自分の離れたところに置いていたが、その形成過程を見ることで、当時を生きた人々がどのような考えに基づいて「近代」を作ったかが考察でき、その制度の合理性および非合理性について整理することができる。

    ある程度まとめて言えば、制度とは、なんらかの一貫した意図を持って形成されるのではなく(もちろん形成する当初は一貫した意図があるのだろうが)様々な意図や環境が混じり合って出来るものだと思われる。日本の戦前の政治制度は最終的に戦争に向かい破綻したが、その政治制度は当初からその結末を迎えるように作られたのではなく、合理性を求め作られ、しかし他面的には非合理であり、破綻を迎えた。

    現状の政治制度でも、ある面では合理的でも、大きく非合理な面もあるのかもしれない。

  • 総論・俯瞰的な近代の考察。

    ・慣習から議論へ
    ・自立的資本主義の条件
    ・国際的資本主義への転換
    ・国体と政体

  • 序論のバジョット論はとっつきにくかったが,日本の具体論に入ってからは楽しく読めた.「議論による統治」を標榜してそれを実現してきた明治国家の政治面での動き,さらには大久保利通を元とする経済面での展開もおおよそ理解できたと思っている.議会の中での枢密院の存在をクローズアップして,植民地に対する法制度の動きは特に面白かった.台湾と朝鮮では大きく異なっていることも知らなかった.最後に出てきた「教育勅語」の成立する過程の話は天皇と憲法との絡みがあることだと知り,意外な事実だった.歴史の授業は近代史まで進まなかった記憶があるが,教えておく必要があると感じている.

全57件中 21 - 30件を表示

著者プロフィール

三谷 太一郎
三谷太一郎:東京大学名誉教授/日本学士院会員

「2016年 『戦後民主主義をどう生きるか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

三谷太一郎の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×