母 (角川文庫 み 5-17)

著者 :
  • KADOKAWA
3.95
  • (125)
  • (106)
  • (124)
  • (8)
  • (1)
本棚登録 : 1144
感想 : 112
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041437179

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 小林セキという小林多喜二の母の話。義理の兄の借金などで、ひどい貧乏に暮らしてきたが、そんな義兄もパン屋で当たって、小樽で夫婦で手伝うことになった。パン屋には、人夫たちも多くやってきて、苦労話や身の上話を手拭いで涙を拭き拭き語っていく。そんな人の話を聞いてあげることはとても良いことなんだと感じたものだという。
    多喜二は拷問の末に命を落とすが、本書が一定の明るさというか、ほのぼのしさが漂っているのは、小林一家が非常に明るい、貧乏だけど底なしに明るい一家だったからだろう。
    貧乏で暮らしが苦しい描写がおおいものの、親と子と兄弟と親戚と、その夫婦と、お互いに気持ちの通いあった者同士がいたのが救いだった。

  • 罪と罰、善悪、赦し・赦される者は幸い。

  • 「シルバーミウラー」まで残すところこの一冊だったので読み始めたのだけど、この作品に限らず三浦綾子作品は読後感が気持ちいい。何か得られたような、希望が持てるような気がする。読むというより、おばあちゃんのお話を聞いている感じだった。

  • 小林多喜二の母・セキさんが生涯を語り聞かせる形を取った物語。
    高齢の方が語って聞かせる昔話というのは、文章で読んでも、ゆったりと、しみじみと、染み込まれていくように感じるものなのだろうか。
    文中でも語られているが、話が前後したり、同じことを繰り返したりというのはある。物語ならば読みにくいと感じるところだが、おばあちゃんが語る話ということで、すんなりと受け入れられた。

    小林多喜二についての予備知識は何もなかったのだが、読み進めるごとに、こんな明るくマジメで、家族思いの人だったのかと知って、胸が温かくなった。
    そんな息子が、あんな惨い死に方をするなんて。
    セキさんがたびたび嘆き、白黒つけてほしいと願った気持ちを思うと、たまらなくなる。

    あらためて、蟹工船など、小林多喜二の本を読みたくなった。

  • 小林 多喜二の母の物語。
    母の愛、無償の愛に感動しました。
    小林 多喜二などの人物、時代背景などの予備知識無しでも
    読み進めることができるのでお勧めです。

  • かの『蟹工船』作者、小林多喜二氏の母の物語。
    とにかく純粋かつ真っすぐ、そして計り知れないほどの愛が伝わってくる小説です。この本を読んだ後に『蟹工船』を読んでみても良いのかも。
    この本を読んだのは高校生の頃でしたが、母・セキさんによるおばあちゃん口調で進められるので非常に読みやすく、感情が入りやすくなっています。

  • 獄中で非業の死をとげた小林多喜二の母セキが自身の生涯を聞かれ、その中で家族や社会、貧しさゆえの苦悩、心のあり方を優しげな方言で実に素直に語る物語だ。小賢しい教育からは生まれない、素の感じ方には刺激される。

    多喜二さんが繰り返す「世の中に貧しい人がいなくなって、みんな明るく楽しく生きられる世の中にしたい」 という言葉を同じように願う母。貧しく余裕のない生活でも笑いや歌が常にある家庭を営み、貧しさを恨むよりは、その中でさえより困った人に手を貸そうとする無類の強さ。売られた娘タミちゃんを引き取り、息子の嫁に……と考えられる本物の人格者。

    キリスト教徒には、多喜二の活動と死がキリストのそれに薄く重なる部分もあり、特別の思いとして読めるかもしれない。小説ではあるけれど、登場する人々がそれぞれに美しい気性を見せる。良き人の周りには、また良き人が集まるということか……。

  • なんにもできんでも、そばにいてやりたかった。
    この一文が母のこころをめいっぱい表していたと思う。

    切なぁ

  • 12月から少しずつ読んでいた三浦綾子『母』、ようやく読了。
    小林多喜二の母、小林セキさんが、自分の一生を、自分の言葉で人に語る、というスタイルで書かれている。
    読んでいるときは、綾子さんが直接セキさんから話を聞いて書いたものと思っていたけれど、年譜を見ればセキさんは1961年に亡くなっている。これは、資料を読み込み、関係者への取材を重ねて、綾子さんが創作した小説なのだ。
    1982年頃、夫の光世さんが、「小林多喜二の母を書いてほしい」と綾子さんに頼んだのが始まりだった。キリスト者の苦難を多く書いてきた綾子さんだが、多喜二の思想や人物にうとい自分にはとても書けないと戸惑ったという。それでも光世さんの熱意に応える形で、数年後には資料を調べ始め、十年後、ついに書き上げられた。ちょうど、綾子さんがパーキンソン病と診断された頃で、口述に難儀するようになる直前だったという。
    セキさんの語り口は、秋田方言と北海道の浜弁をミックスしたような言葉だったというが、これは、綾子さん自身の祖母が秋田生まれで小樽に長く住んだ人であったことから、ほぼ自然に再現された。
    あとがきで綾子さんは、「こうして取材が始まった。調べるに従って、第一に私の心を捉えたのは、多喜二の家庭があまりにも明るくあまりにも優しさに満ちていたことだった」と述べている。

  • 最近、「共産党の研究」を読んでいたから、こんな純朴な青年があの共産党のために命を落としたと思うと少し歯痒さがある

    母子家庭という環境はときにはすごくよく働くんじゃないかと思ったりするけど、それは自分がそうだったからなのかもしれない。学がないといって母を見下してしまっていたことがある自分とは、重なる部分ある、学問を執拗に進める多喜二の姿も。

    最近、子どもの育つ環境について考える。
    家庭環境、学校の環境、社会情勢。いろんなことに影響を受けるだろうが、ひとつ言えるのは、愛されているかどうか、それを感じられるかどうかではないかな。セキには、その人を愛する力がすごく強く備わっているな、と感じる。

    最後、キリスト教の話
    多喜二とイエスを重ねる部分が最後に出てくる。確かに、似た状況ではあるとは思うが、やはり、全て、聖書と結びつけて話してくるあたりがあまり好きではない、笑 ただそのことを受け入れて、そしてその視点を提供するだけで良いと思うのだが、、、
    あまりその辺りはしっくりこない

全112件中 11 - 20件を表示

著者プロフィール

1922年4月、北海道旭川市生まれ。1959年、三浦光世と結婚。1964年、朝日新聞の1000万円懸賞小説に『氷点』で入選し作家活動に入る。その後も『塩狩峠』『道ありき』『泥流地帯』『母』『銃口』など数多くの小説、エッセイ等を発表した。1998年、旭川市に三浦綾子記念文学館が開館。1999年10月、逝去。

「2023年 『横書き・総ルビ 氷点(下)』 で使われていた紹介文から引用しています。」

三浦綾子の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×