民藝とは何か (講談社学術文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061597792

感想・レビュー・書評

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  • 柳宗理のお父さんの柳壮悦。民藝運動を興した人。駒場にある日本民藝館はこの人の活動の中心地。
    フォークアートとアートというふうに二つに分かれちゃって美はアートの方にあるってことになってるけど本当?みたいな話がずっと繰り返される。いろいろなところに書いてある文書をとりあえずまとめて本にした感じなので繰り返しだらけなんだけどおもしろい。

    無名性
    シンプリシティ
    廉価性
    生活への密着
    ローカリティ

    みたいなのがカギだと。そして、美しさの本質になってるのは絵師が、大量に同じものを生産する中でのディシプリンによって生まれるのではないか?みたいなこと。同じ絵を大量に書くことでその絵の本質に達するみたいなこと。大量に行われることで効率化が行われ、その事物の本質に達するということ。
    勃興期の茶道の大名物とかも全部民藝じゃん。作家性のあるやつとかだめじゃんなんかわざとらしくて。
    スマホに当てはめるとどうなんだろう。朝鮮からわたってきた民藝品が本当の美であるということなんだよね。でもs5のバンドエイドは違うだろうなという気はするが。
    あと、壮悦さん、分析のなかで、
    コミュニティとか、宗教とか、ちょっと時代的にインターナショナルな感じに行きます。そういう時代だったんだね。

  • 民藝とは何か、入門として

  • 13.10.3~  鑑賞するためだけじゃなく生活の中に取り入れるものについて。斜め読み中。

  • 柳宗悦の民藝に対する考え方には感心するところはとても多い。
    ただ、読み物としてですね、同じような文章の繰り返しなので、結構読むのがしんどいです。。。

  • 展示期間終了後の配架場所は、1階 学士力支援図書コーナー 請求記号:750.4//Y52

  • 藤沢図書館で借りる。

  • たまたま目にとまった。柳宗理の父について興味を持ったから読んでみた。正直、宗悦が紹介する民藝を見ても美しいと感動をすることはない。ただ彼の考え方は嫌いではない。美についてそこまで真撃に向き合う姿勢には敬服する。民藝はさておき、自分なりの美の基準について考えを持つきっかけとなった。

  • この名文にやられた。ただ、「真の美」という発想がいかにも時代を感じる。私の世代の人間には、逆に民藝もまた骨董の一種と化しているように見えるから。それに、他の本で見るようなゴテゴテと色んな民芸品を所狭しと並べている人は、正直言って悪趣味にしか思えない。ただ、河井寛次郎記念館や日本民芸館のように、客への心遣いを感じる装飾としての民芸品はさほど嫌みはない。何事も中庸を良しとするのだろうか。その意味で、「なぜ柳氏は茶道の世界を批判したのだろう?」というのが自分の中では疑問として湧いた。茶道のデフォルメはもはや用の美を忘れたと言いたいのか。それとも、千利休を称揚し、その美的感覚がスタンダードとなる中、流れに竿を指したかったのか。もうちょっと勉強すれば、実際の柳さんの歩みから答えが出そうな気がする。

  • 『民藝とは何か』、『日本民藝館について』、『民藝の性質』いずれも似たようなことを言っていると感じた(おそらく多くの人が同意してくれると思う)。
    だから、読み進むうちにだんだんと読むスピードが増していった。
    そして、はたと立ち止まって、「これってホントに読書なのかな。やっていることは速読と似たようなもんで、いつの間にか『早く読み終わらせる』ことそれ自体が目的になってないかな。俺はそんな読書がしたいわけじゃない。」と思った。

    しかし、その一方で速く読むことそれ自体はそれほど非難されるべきものでもないという考えもある。

    高橋源一郎は「『明治の文章』は明治人の音読の速度で読まないと味わえないのではないか」という仮説を立てたという(『態度が悪くてすみません』所収の「速度と祝福 God speed you」)。
    これが書かれたのが1940年前後。
    ならば、リズミカルに読んでも問題ないのではないかというわけだ(昔の人は今より早口だったみたいだから。それに文章もリズミカルな漢語調だし)。

    ああ、全然内容に触れてなかった(まあ、僕がやってるのはレビューという名の日記なので)。

    言ってることは至極全うなことだと思う。
    錯雑とした意識に捉われない、日々の健康的な生活の中から生まれる実用的な民藝品にこそ真の「美」が存在するのだと(多分こんな感じ)。

    でも時々横槍を入れたくなることもありました。
    僕にとって象徴的なのが、人々が在銘の品を求めるのは、「それは『銘』を愛し、『人』を愛し、『極め』を愛しているのであって、美そのものを見つめているのではない」(p.64)という部分。
    これはブランドの概念にもつながってきそうな部分ですね。

    宗悦さんの言っている「美」にはだいたいにおいて賛同しますが、僕はそれがいつの間にか「健康的で実用的であるといった諸々の要素さえクリアできればそれは無条件に素晴らしいものである」ということになってしまうのではないかと恐れます。
    それでは在銘の品(いわゆるブランド)を盲目的に求める大衆と全く同じことではないかと思うのです。

    宗悦さんがこのような反論を想定していたのかは分かりませんが、宗悦さんはそうした諸要素の拠って立つところとして、さらに「直観」というものに説明を求めました。
    「直観」で諸要素を、また美を感じるのだから、そこに自身の独断の入る隙はない。「もし見誤るなら(それは)充分に直観が働いていないからです」(p.93)と。
    僕は人が皆(偏見などを取っ払って)「直観」で物事を見れる、またそこで同じことを感じるであろうということを信じていない人間ですから、ここらへんの記述(この文章の核な気もしますが)には多少の違和感を感じました。

    まあそんなことはどうでもいいか。
    今度日本民藝館に行ってみたいと思います。
    (2007年09月16日)

  • ・・・・・書きかけ・・・・・


    柳宗悦は、49年前の1961年5日3日に72歳で亡くなった思想家・美学者・宗教哲学者。

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著者プロフィール

柳宗悦(やなぎ・むねよし):1889-1961年。学習院高等科在学中に雑誌「白樺」創刊に参加。主に美術の分野を担当した。東京帝国大学哲学科を卒業後は宗教哲学者として活躍。濱田庄司、河井寛次郎、バーナード・リーチ、富本憲吉らと出会い、「民藝」という新しい美の概念を打ちたてた。眼の人として知られるが、柳のまなざしは、物の美しさだけではなく、物を生み出した人や社会にたえず注がれていた。

「2023年 『新編 民藝四十年』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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