夏服を着た女たち 新装版 (講談社文庫 し 17-9)

  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (308ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062748209

感想・レビュー・書評

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  • 学校の英雄
    妻が、今日は、やけに機嫌が悪いのよと言う。中学生の息子のことだ。ティーンエージャーの日々の機嫌をいちいち気にするほど、暇じゃないが、理由は知りたい。

    息子は幼稚園の頃からサッカー漬けだ。妻によれば、サッカー部でレギュラー落ちしたらしい。それもスポーツ校で、何十人も部員がいるところならいいのだが、受験校のそんなに人数の多いところではないから、微妙にプライドを傷つけられるのだろう。彼には、サッカーに対する純粋な愛がある。ただひいき目にみても、スポーツ能力はひとなみ以下の父親の血しかひいていない。小学生の頃はそれでも、先行者利得のようなところがあって、チームではいつもレギュラーだった。中学くらいから、身体能力の影響が大きくなる。はじめたのが遅くても、足が速かったり、体力があったりすれば、その努力や愛情とは別なところで、レギュラーというものが決まりだす。学校スポーツは教育だとはいっても、やはり勝負ということにこだわりはじめれば、性格や、真剣さだけでなく、やはり身体能力のようなものが評価されはじめる。

    どうも、そんな微妙なところに、息子はいるらしい。

    学校の英雄というタイプの人間がいる。野球選手、今ならサッカー選手、ギターの弾ける奴、女にもてる奴。しかし、幼稚園、小学校、中学校あたりまでは、圧倒的に脚の速い奴だった。当然運動会では一等賞をとり、クラブ活動でも4番でエース。彼はめぐまれた身体能力によって、自分をとりまく世界を支配し、スポットライトを独占する。そんな奴をうらやましく思わなかったといえば大嘘になる。

    アーウィン・ショーの短編集「夏服を着た女たち」(常盤新平訳・講談社文庫)の中に「80ヤード独走」という傑作がある。

    男は大学のフットボールの花形プレーヤーだった。彼がボールを抱えて80ヤードを独走した時、世界のすべてが彼の息遣いをみつめていた。

    彼は、その栄光を背景に自分のファンの同級生と結婚し、彼女の父の経営する会社に就職する。世界は彼を祝福していた。

    15年後、この主人公は彼の出発点だった母校のグラウンドに立っている。

    今、彼は、背広のセールスマンだ。1929年は彼のもとにも平等に訪れ、義理の父の会社は破綻し、父はピストル自殺をした。彼は、さまざまな職を転々とする。

    妻は、ファッション雑誌社に勤めるようになり、作家、戯曲家たちとの交友を持つようになる。妻が好むクレーの絵も、妻の友人たちの会話に出る新作のアバンギャルド演劇はちんぷんかんぷんだ。アルコールの量だけが徒らにふえ、都会的洗練の度合いと自立性を深めた妻は、彼から離れつつある。

    「15年前、まだ20歳で、死から遠くへだたった秋の日の午後、大気が楽々と肺にはいってきて、自分は何でもできるし、誰でもやっつけることができるし、追い抜かねばならないときは、かならず追い抜いて見せるという根強い自信が彼の内部にあった。(中略)その後にあったすべては、ひとつの没落であった。ダーリングは声を上げて笑った。たぶん、僕はまちがったことを練習したのだ。彼は、1929年やニューヨークの街や、女に変わる娘のために練習しなかったのだ。」(常盤新平訳)

    大学のフットボールのスターであったということを売り物に背広を販売する、どさまわりのセールスマンになった、35歳の彼は、失意の中で、栄光の場所を疾走する。そんな彼を不審そうにみつめる後輩の若い学生たちに、僕は昔ここでプレイしたことがあるんだと、言い訳をしたあと苦笑する。そんなほろ苦い掌編である。

    ぼくの少年期は、こういったヒーローたちの影にあこがれ、嫉妬するという時代だった。

    小学生時代、小さな学校に通っていた。当時はなんといっても野球だ。ぼくの学校は人数が少なかったので、2番2塁という、小学校時代だとかなり微妙なポジションながら、レギュラーになり、監督の采配の妙よろしく、地元の大会で優勝した。

    その栄光を忘れられず、中学でも野球部に入部した。ぼくがいった中学は比較的規模が大きな学校だったので、部員数も多かった。同じくらい微妙な6番2塁というポジションを争った。問題は、ぼくが補欠で、不動のレギュラーがいたことだ。ぼくは、練習に練習を重ねた。監督は、その努力を評価してはくれたが、対外戦では、なかなか試合に出してくれなかった。

    父親の転勤の関係で、中学3年を前にして、転校が決まった。2年の新人戦が、ぼくがそのチームでプレイできる最後の機会だった。監督は、最後の試合だから、みんなに参加の機会を与えたいというようなことを言っていた気がする。

    試合は接戦で、最終回になった。ぼくはベンチで気が気ではなかった。1点差でリードされ、二死1,2塁だったような記憶がある。打席には、6番2塁のレギュラーN君。監督から、素振りをしろと言われた。ぼくはてっきり、彼に代わって打席に立つのだと思った。バットを持って、ベンチを飛び出したぼくに、監督は、Nが出塁したら、その次の代打だと言う。ぼくは落胆した。しかし、彼が打席にでることをバッティングサークルで祈った。N君が降った打球は、内野に飛び、三塁ホースアウト。ぼくの新人戦は終わった。

    最終回2アウト。最後の打者が出塁したあとの、代打候補。それに比べれば、お前の方がもう少しましな気はするよと、食卓で不愉快そうに食事をしている息子に語りかけようとしたが、やめた。彼が感じている不愉快さは彼なりに解釈し、彼なりに咀嚼するしかないものだ。

    彼も、ぼそぼそと、指導者の能力に対する批判などを言うこともある。まあ、どんなに優秀な上司でも、自分を評価してくれない上司は厄介なものだ。

    同僚と比較して、自分の能力はこんなものなのだから、今の評価は妥当なものであると納得する部下などはいない。

    新人戦が終わったあと、ぼくは、憎悪に近い気持ちを、監督と、レギュラーに抱いたはずだ。補欠の常連だった友人が、少々悪意を持って、おまえとレギュラーの差は客観的にもあったと言った時には、殴ってやろうと思った。でも多分、彼が正しかったのだろうし、監督が、最後の新人戦に良い記憶を持たせてやりたいと思うほど、ぼくと彼の間に親密な関係があったわけでもないので、傍目には当然のどこにでもある話なのだろう。

    ぼくにひとしれず劣等感を与えながら、軽快に笑いながら走り去っていた友人たちの顔がたまに浮かぶ。彼らは今どうしているのだろう。

    80ヤード疾走のようなヒーローたちの境遇にカタルシスを感じるだろうかと、自問してみた。そういう気分とは少々違うような気がした。

    結局、その後、小学校の徒競走や、新人戦でのレギュラーなど、初期の人生におけるハイライトを、拒絶された過去をひきずりながら、生きてきたような気がする。結局、自分が、レギュラーになれるゲームを常に探し続けてきたような気がする。だからこそ、いまだに闘争心を忘れずにいられるのだろう。それを幸不幸で判断するのは難しい。ヒーローたち、レギュラーたち、自分を使ってくれなかった監督たちに会いたい気がする。彼らは、おそらくもう初老や中年の普通の男たちに戻っていて、ぼくに与えた屈折のことなど、おもいだしもしないのだろうが。

  • 高校生の頃にショーを何冊か読みました。友人がサローヤンやカポーティ、サリンジャーなんかを読んでて、それに対抗しようとしたのかもしれません(笑)。

    表題作を含めた短編集です。表題作(原題 The Girls in Their Summer Dresses)は夏のニューヨーク市内。サマードレスで街を行き交う女性がとてもはつらつと優美に描かれています。当時だから、今のストレートラインのワンピースじゃなくて、優雅にロングのフレアなんだろうな…糊がきいてるかもしれないし、くたっとしてても素敵…サングラスじゃなくて、日傘とか差すのかな?などと考えるととても楽しかったです。「奥様と歩いているダンナさんがすれ違う女性に目をやる」ときの描写などは、コドモの私には微妙に分からない世界だった(今でも微妙に分かってないかもしれない:笑)のですが、「これぞ『大人の世界』なんだなぁ」と思って嬉しかったものでした。

    実はいちばん好みなのは、最後の「愁いを含んで、ほのかに甘く(原題 Wistful, Delicate Gay)」です。タイトルがなんともいえず美しい。常盤新平さん、ナイス翻訳!古い知り合いの女性(今は売れない舞台女優)と再会し、「この街を離れる」と告げられた主人公。さらに彼女から告げられたことは…これこそコドモが知ってはいけない世界(笑)。街を離れる彼女の姿の描写はきっぱりとして素敵です。

    ショーの描く世界は理想的にかっこよく、美しすぎる都会なので、読み込めない向きもあるかもしれませんが、私にとって「大人であることのかっこよさ」を教えてくれた本でもあるのでこの☆の数です。

  • 男の子のための短編集だと思う。
    僕の中ではフェイセズやロニー・レーンのロックンロールと勝手に通じている。

    ‘まるでこの街の征服に出かけるかのようだった。’

    『憂いを含んでほのかに甘く』のこんな表現が大好きです。

  • 洒落た会話が心地良い…
    そして少し切ない。
    ボクとしてはこの中で、「フランス風に」が好きかな。

  • 市立図書館で発見

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著者プロフィール

1928年、東京に生まれる。明治大学文学部卒。作家、翻訳家。女子美術大学教授。はじめ批評家として文壇に登場し、演出、翻訳、小説、評伝と多彩な活動をする。代表作『ルクレツィア・ボルジア』『メディチ家の人びと』『メディチ家の滅亡』(以上、評伝)『おお季節よ城よ』(小説)など多数。今年から、選集「中田耕治コレレクション」(青弓社)が出版される。翻訳家としては、アイラ・レヴィン『死の接吻』『スライヴァー』、クライヴ・パーカー『ダムネーション・ゲーム』、アナイス・ニン『北回帰線からの手紙』(深田甫と共訳)ほか多数。

「1992年 『結婚まで』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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