- Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062770606
感想・レビュー・書評
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「人はみな平等である。身分や職業の高下などない。この世に生きることは苦しい。心と体が痛む者を助けなければならぬ。よりよく生きる道をさがそう。そしてよろこびをもって生きよう。それ以外に何がある?いってみろ」河原者法螺房弁才の言葉に藩宴は・・・。
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1173年4月1日は親鸞上人の誕生日、と歴史カレンダーにあり、日本版宗教革命というべき人の事跡を読むにはこの古典か、と思い手にとった本。
9歳で出家した親鸞は、比叡山で20年修行を積みます。浄土教の先輩の法然も天台僧であったらしく、2人とも、比叡山で総合教学と各種の行を学んだ結果、念仏を選んだ訳です。特に親鸞については、底辺の人々の生き様に触れ、驚き、後の悪人正機の悟りに繋がっていく伏線が描かれています。
このような宗教者の小説にありがちなのですけど、宗教者としての足跡を追いかけようとするあまり、歴史小説としての考証が弱くなることがあります。宗教者の奇蹟と悟りなら、その教団が出す本を読めば良いのですから。
ということで、この上巻で一旦置くことにしました。自分の中でもう少し熟してから、むた考えようと思います。 -
2019年11月27日読了。
★P331
・忠範→範宴
・河原坊浄寛、ツブテの弥七、法螺坊弁才「蛸法師」
・後白河法皇
・伏見平八郎(六波羅王子)
・慈円、音覚法印、良禅
⚫️「浄土をひたすら恋う気持ちが分からなければ、
念仏は分からない。頭で浄土を思い描いているかぎ
り、法然房のもとに集う人びとの心は理解できないだ
ろう。そのこころは、心ではなく情(こころ)なの
だ。浄土は情土なのだ。唯識で心はとけるが、
情(こころ)はときあかすことはできぬ。 」
放埓(ほうらつ)…
傀儡(くぐつ)…
隠遁(いんとん)…
⚫️草にも木にも、土くれにも仏性が宿るという伝教大師・
最澄さまの教えからすれば、世間の弱き者たちに慈悲の
光をさずけるのは当然であろう。その当然のことを、
われらがながく忘れて、朝家、権門、富者にのみ奉仕し
てきたのじゃ。そこに法然房のつけ入るすきがあった。
⚫️法然
「知恵を捨てて愚者になれ、そしてただひたすら念仏せ
よ」
⚫️<人は目にうつすすべてを見るのではない>と、
範宴は考えている。外界のさまざまな現象のなかで、
人は自分が期待するものを選んで見ているのだ。
⚫️聖徳太子は、家族をもち俗世間に生きつつ真の仏法を
この国に築かれたではないか。
末法の世とは、本当の仏法がすたれて、形式だけが残り
すっかり変わってしまった時代をいう。だからこそい
ま、釈尊の教えの第一歩に戻って出なおすことが必要
だ。仏法二千年の垢を洗いおとして仏陀の初心に戻るの
だ。すなわち人はみな平等である。身分や職業の高下な
どない。この世に生きることは苦しい。心と体が痛むも
のを助けなければならぬ。
よりよく生きる道をさがそう。そしてよろこびをもって
生きよう。
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フィクションの世界
山口晃画伯の挿画集と並行して読み進めた。
挿画とその作成過程が手助けになる。
親鸞と言う存在、浄土真宗の租が少しだけ分かる気がした。
その他はエンターテイメントだった全6巻。 -
読み終わったというか…
私的には面白くなくて途中で挫折。 -
詳細は、あとりえ「パ・そ・ぼ」の本棚とノート もご覧ください。
→ http://pasobo2010.blog.fc2.com/blog-entry-1777.html
東京新聞に連載された 「親鸞」、「親鸞 激動篇」。
2013年7月1日から、新聞小説「親鸞 完結篇」五木 寛之、画/山口 晃 が東京新聞に連載。
その挿絵が面白い! と聞いて 興味がでてきました。
せっかくだから、最初から読んでみようかな!
読んでみると、さすが 面白くてグイグイ読み進める。 次は下巻です。
『 五木寛之氏の朝刊連載小説「親鸞 完結篇」が七月一日から、本紙に登場します。
第一部にあたる「親鸞」(二〇〇八年九月一日〜〇九年八月三十一日)は京都に生まれ、法然に師事し、弾圧を受けて越後に流された若き日の親鸞像に迫りました。
続く「激動篇」(一一年一月一日〜同年十二月十一日)は、赦免(しゃめん)の後、関東に招かれた壮年期の親鸞が、布教しながら思索を深める様子を描きました。
今回の「完結篇」で、親鸞は京都に帰還します。「教行信証(きょうぎょうしんしょう)」の完成など多くの業績を残し、九十歳で没するまでの晩年を、八十歳を迎えた著者が円熟の筆致でつづる予定です。
挿絵は、第一部、第二部と同じく山口晃さんが担当します。ご期待ください。 』
2013/7/4 予約 7/10 借りて読み始める。7/14 読み終わる。
内容と著者は
内容 :
馬糞の辻で行われる競べ牛を見に行った幼き日の親鸞。
怪牛に突き殺されそうになった彼は、浄寛と名乗る河原の聖に助けられる。
それ以後、彼はツブテの弥七や法螺房弁才などの河原者たちの暮らしに惹かれていく。
「わたしには『放埒の血』が流れているのか?」その畏れを秘めながら、少年は比叡山へ向かう。
著者 : 五木 寛之 -
最終的に浄土真宗を広め歴史に残る僧となる親鸞、そうなることがわかってその幼少期や青春期を読むのがとても興味深い。あまり記録が残っていないとされているからほとんどフィクションの世界かもしれないが。
平安末期から鎌倉時代の話とは思えないほど、現代と通ずるところもあり面白く読めた。
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物語の進み方がすこし駆け足な感じもするけれど、ポイント毎の出来事がじわりじわりと人の思想を染めていくのが分かる。下巻が楽しみ。