親鸞(上) (講談社文庫)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062770606

感想・レビュー・書評

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  • 全2巻。
    ただ、続篇で「激動篇」が2巻あり、
    現在「完結篇」が連載中。

    坊さんだけどそんなに抹香臭くない。
    特に序盤の本著は、幼少時代から始まることもあり、
    冒険したり仲間に助けられたり戦ったり、
    素直にワクワク読み進められる。
    吉川英治版より、より「冒険活劇」なイメージ。

    ただ、執筆年数、物語内の年数ともに長いので、
    序盤で活躍したキャラ、
    キーになるだろうと予想されたキャラ達が、
    どんどん影が薄くなり、
    使い捨てられてる感じがある。
    まだ完結してないので何とも言えないけど、
    すっきりしない感じが残りそうで不安。

    何はともあれ完結を待っています。

  • 『他力』(講談社文庫)や『蓮如』(岩波新書)などの著書があり、浄土教に造詣の深い著者が、若き日の親鸞をえがいた小説です。

    のちに親鸞となる忠範少年は、八歳のころに両親をなくし、伯父である日野範綱の家に引きとられます。ある日彼は、馬糞の辻でおこなわれる「競べ牛」の見物に出かけ、河原坊浄寛という聖や、ツブテの弥七、さらに法螺坊弁才といった、個性の強い男たちに出会います。さらに、日野家の召使いの犬丸から、忠範には彼の祖父・日野経尹と同じ「放埓」の血が流れていることを教えられます。

    そんなある日、犬丸が「六波羅王子」という異名をとる伏見平四郎に捕らえられるという事件が起こります。浄寛たちとともに六波羅王子の屋敷に向かった忠範は、戦いの末、犬丸を救出することに成功します。無事に忠範と再会した犬丸は、後白河法皇の命を受けて世間の動きを探っていたことを明かします。そして忠範は、犬丸の推挙を受けて、仏門に入り比叡山の慈円のもとで学問と修行をすることになります。

    忠範は、慈円から範宴という名前を授かり、やがて吉水の法然の説法を聞いてくるように命じられます。そのとき、まだ範宴は、法然の教えを受け入れ彼のもとに推参する期が熟していませんでした。しかし若い範宴は、自分のめざす学問と修行は、浄寛たちのような闇に生きる人びとに救いをもたらすのだろうかという悩みをいだくようになります。そんなある日、弁才と再会した範宴は、弁才が病に苦しむ貧しい人びとのために尽くしていることを知り、自分の進むべき道について考えを変えることになります。

    前巻では、若き日の親鸞の苦悩が描かれています。ストーリーそのものもおもしろいのですが、ここからどのようにして、親鸞の宗教的な思索が織りあげられていくのかということが、一番気になります。

  • 坊主エンターテインメント。初の五木寛之作品で、ほぼ装丁が気になって買ったので、読むまでどんなもんかと思ってたら、意外におもしろい。危機が意外とすんなり切り抜けられたりするけど、それはそれ。

  • 僧も生きていくための単なる職業で、多くは財や権力を求めていたのだろうと思う。そんな中で、親鸞はそこから飛び出し仏とは何かと心に問いかけ続けていた。真に苦しむ者に寄り添ってこそ仏なのではないかと思う。親鸞自身決して恵まれた境遇で育ってきていなかったことが彼を作り上げる一つの要因だったのではないかと思う。人間は良い心だけを持っているわけではなく、常に悪い心と戦いながら一生を終えるのだろう。

  • 浄土真宗の開祖:親鸞の物語.
    幼少期からお山(比叡山)をおりることを決意するまで.

  • 五木寛之が 小説をかくのをやめ 仏教大学にはいった
    というのは,実に新鮮だった。
    そして また物語をつむぎだした。
    なぜ、五木寛之が 仏教に行ったのかを
    理解する上で、『親鸞』という作品を書いたのは
    重要な意味があると思い 読み始めた。

    忠範という少年の物語から始まって、
    若くして 決然と方向性を決める少年に
    清々しさを 感じたのであるが。

    慈円より 範宴という 名前をいただき
    9歳から 修業を始め、12歳で 比叡山で修業を始める。

    どんな荒行をしても 人間の煩悩を消すことをできない。
    玉虫という女性に会うことで
    生々しい感覚を 自分の中に しまい込む。
    10年後に 玉虫が 大きな変化をしていることに
    範宴の 人柄の感染として存在する。
    紫野が 登場したが 下巻で絡み合うのだろうか。

    範宴は 比叡山の最澄の仏教よりも
    聖徳太子に 魅かれていく様が 実に面白い。
    そして、その頃のはやりである 法然の持つ魅力に圧倒される。

    救済とは 階級制ではなく すべてのものに 平等である
    という 考え方は 宗教のあり方として 重要。

    聖として 無戒 をうけて 市井での悟りを開くのだろうか。

  • すっかり活劇になっていて笑った。本当の悟りを求め迷いさまよう親鸞。その命を狙う黒面法師。ピンチの時に風のように現れるツブテの弥七。まさにクエスト・オブ・アバター。話がRPGちっくで楽しい。しかし比叡入山から越後流刑までの流れは判りやすくて勉強にはなった。

    この本ですっかり悪役になっていた法然の弟子の安楽房、この人ゆかりの寺が哲学の道沿いの安楽寺で、法然院のすぐ傍にある。紅葉が綺麗。ここを訪れた時に和尚の法話を聞いたのだが、この安楽房の辞世の句がダサ過ぎてこけた。「今はただ 云う言の葉も なかりけり 南無阿弥陀仏の み名のほかには」

  • 表紙のイメージから、もっと難しく取っ付きにくいかと思い込んで読んでみたら、意外とエンタメが入っていて、まだ上巻ですがワクワク面白いです。親鸞がまだ8歳のタダノリ(忠範)と呼ばれていた頃から比叡山へ上がり範宴という名で修行に打ち込む日々までの過程に、随分キャラの立った面々が加わって飽きません。ここではそれ程深く後白河法皇について描かれませんが、大変興味深い法皇様ですね。

  • なんとなく気になって読んだ。
    宗教云々はよく分からないけど、読みやすくて面白い。


    蛸のごとく吸って飲み込んでしまったとこがやたらとリアルに感じてしまって気持ちが悪いような寒気がするような、なんともいえない気分。思い出してもウッとくる。
    下巻読み中。

  • 五木寛之氏の本は最近は随筆しか読んでいなかった。久しぶりの小説。五木氏らしい、いかにも物語風になっている。登場人物が皆、不思議な力を持っているのもそのひとつ。少し現実離れしているため、親鸞の生き方が十分描かれているのか疑問も湧く。しかし、親鸞について私達よりもずっと詳しい五木氏のこと、親鸞を描くにはそのような不可思議な力の働きが必要なのかもしれない。

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著者プロフィール

1932年、福岡県生まれ。作家。生後まもなく朝鮮半島に渡り幼少期を送る。戦後、北朝鮮平壌より引き揚げる。52年に上京し、早稲田大学文学部ロシア文学科入学。57年中退後、編集者、作詞家、ルポライターなどを経て、66年『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞、67年『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞、76年『青春の門筑豊篇』ほかで吉川英治文学賞、2010年『親鸞』で毎日出版文化賞特別賞受賞。ほかの代表作に『風の王国』『大河の一滴』『蓮如』『百寺巡礼』『生きるヒント』『折れない言葉』などがある。2022年より日本藝術院会員。

「2023年 『新・地図のない旅 Ⅱ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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