なぜ日本人は学ばなくなったのか (講談社現代新書 1943)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062879439

感想・レビュー・書評

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  • 日本人のアメリカ化は深刻だな。
    そして自分もその中の一人というのをかなりかんじました。 肝心なことを忘れているな。

    日本人が伝えてきた「学ぶ心の伝統」を自分も伝えていかなければならない。 まずは自分が学ぶ精神を改めてから…

  • 日本の近代教養主義の復権を願う内容です。
    『読書論』で語られていた、宗教的道徳観を養うのは難しい日本において、
    読書により様々な思想に触れる習慣が精神性に大きく影響を与えた
    というのはなるほどなぁと思いました。
    少しリンクする部分もある学びについての考察です。
    歴史的背景も交えながら日本近代の学びの在り方について考察されています。
    かつてはすべての学問として哲学・思想が基礎となっていたんですよね。
    知に対する憧れを取り戻せたら、日本の未来も変わるかも。

  • 若い時には読書をしていなかった。もっと早く本を読んでいたらよかったのにと後悔している。

    若者文化で、特に最近のヒップホップから始まりズボンを腰下までずらすファッションに?だった。
    明確な答えが有った。

    白人文化への憧れから、黒人文化への移行。黒人文化が悪い訳では無い。安定した仕事につけない不安、まずしさから黒人文化への接点がある。
    学習していないので、言葉ではなく単語のヒップホップでしか表現出来ない。

    ロックの悪影響には、胸が痛む。客観視すると確かに、カウンターで否定するアメリカ文化の悪影響だ。楽に快感を得られるロックは、有害と表現されても納得してしまう。
    アメリカ文化の大切な要素は取り入れず、楽な事しか取り込まなかった時代に自分が生きている事を知っただけでも、読書をした意味はある。

    斎藤 孝は、自分の生涯の先生になるだろう。

  • 中高生にも読めるように語尾が、ですます調になっています。また、いかにも教科書や入試に出そうな感じな文章だなという印象を受けました。しかし、書かれている内容はなかなか納得できるものでありました。学問へのリスペクトがなくなってきているという指摘。モンスターペアレントなどにみられる先生への尊敬の欠如や、少し驚いたところでは就職の際の学歴不問という募集についてもなるほどと思わされました。確かに、学歴だけでは十分な評価はできませんが、学問をある程度頑張った、もっといえば学問を身につけた人へのリスペクトがないんじゃないのかという指摘には少し考えさせられました。

  • 勉強は、明日に希望を持つためにすること!
    もっと早く出会いたかった本です。
    勉強しない大学生活を送ってしまったなあ

  • ・日本人=勤勉?
    かつては、日本人と"勤勉"は必ずセットだった
    現在では学ぶ意欲が衰退し、"おバカ"をウリにする番組も目立つ状況
    世界的に比べても、明らかに学力は下降している

    生きる力は、学ぶ意欲とともにある
    バブル経済の1980年代に日本人の学びへの意識が変わってしまった

    ・リスペクトの精神
    なぜ学ばなくなったのか、それはリスペクトの精神が失われたから

    リスペクト:
    自分より優れたものがあることを認識し、それに畏怖や畏敬の念を持つこと
    何かに敬意を感じ、あこがれ、自分自身をそこに重ね合わせていく心の習慣

    リスペクトの精神が失われ、バカでもいいじゃないか、という空気に
    開き直り社会、バカ工程社会、ノーリスペクト社会に

    ・垂直志向から水平志向の世の中へ
    かつての日本 = リスペクト社会
     教師・意思・親・先人に対する尊敬・感謝の念
     学ぶことへのリスペクト = 学びへのあこがれ

    現在の日本 = ノーリスペクト社会
     尊敬・感謝の喪失
     モンスターペアレンツ、ペイシェントの出現
     勉強嫌い、活字文化の衰退、読書離れ

    ・やさしさを重要視
    真善美を求める、正義を突き詰める、天下国家を論じる考えから、
    やさしさが価値を持つようになった

    やさしさはカウンターカルチャー
    親が子供を鍛え、社会が人を鍛え、厳しさのなかで何かを生み出す価値観、
    だれもが努力し、我慢し、作り上げてきた資本主義社会に対抗して、
    それを受け入れられない若者を中心に広がってきた

    人に対しても、自分に対してもやさしく、本当の自分を見失わない生き方を求める
    永遠に若者でいたい症候群、責任を大人として引き受ける意識が希薄になる

    ・学びをうばったアメリカ化
    戦前はアメリカよりもヨーロッパ、ロシアの影響を強くうけていたが、
    戦後はライフスタイル、思想的にもアメリカ文化に支配された
    特にロックがその普及に大きく貢献した

    アメリカの若者文化はカウンターカルチャーであり、
    無から何かを生み出すのではなく、現在あるものへ対立する考え

    伝統的な知 = ヨーロッパの古典主義への対抗
    文化、知的遺産、教養への対抗意識

    アメリカ人には1日でなれるが、フランス人には1日ではなれない
    思想的な教養が要求される敷居の高さ

    一方で、アメリカのフロンティアスピリット、インディペンデントな気概という
    文化の優れた面は取り入れられなかった

    教養主義を失い、中途半端にアメリカ化し、
    寄りかかる柱を失ってしまい、金銭至上主義へ走ってきた

    ・自己形成から自分探しへ
    自己形成
     学びの積み重ねによる自己形成
     旧制高校的教養主義
     垂直願望
      自己を掘り下げる、自己を向上させる、構築する

    自分探し 1980年代~
     自分への不安感から瞑想
     水平願望
      どこかで幸運で出会いがあり、自分が一気に変わる

  • 「教養」という言葉自体に対して、日常生活とは遠く、空論のように私ですら直感的に思ってしまうこと…これは確かにレベルが落ちているのだろうなぁ。流行の勉強会も、知への欲求というより、スキル獲得が主流に思えます。難しい(?)哲学には手が出ないとしても、大きな社会観や問題意識は持ち続けたいものです。

  • 第5章:薄い人間関係を志向する若者たち
    興味深かった。

    教養を身につけることは、今の社会を知ること。
    自分たちを知ること。
    これからの未来を考えることにつながると思う。

    薄っぺらい話しかできない人間にはなりたくない。

  •  最近の日本では,確実に「バカ化」が進行している。筆者によると,その理由は,自分より優れたものに畏怖や敬意の念を持つ「リスペクト」という習慣を失ったからだという。本来,リスペクトしたいという願望は,成長とともに尊敬の対象を変え,自己形成していくが,その経験が乏しいと,自分の人格や人生に対して,相手に依存したり,責任を転嫁したりする傾向に陥りやすい。筆者は,こうした「ノーリスペクト社会」をどう克服するかが今の日本にとって大きな課題だと説明する。
     筆者が特に懸念するのは,大学生の向学心の無さである。学生は1960年代まで知的な読書をしていたが,70年前後の全共闘時代以降,その習慣を持たなくなった。こうした教養主義の没落には,日本の若者の「アメリカ化」が大きく影響しているという。アメリカの若者文化とは,基本的にカウンターカルチャー(対抗文化)であり,教養へのリスペクトを必要としない。ロック,性の解放,ヒッピー文化しかりである。とはいえ,日本の若者がアメリカ文化の全てを取り入れたわけではない。開拓者精神,独立心,個人主義などは,日本の若者文化には根づかなかった。すなわち,日本の若者は,大人社会に反抗しつつ,結局大きな制度にはぶら下がる生き方を選択してしまったといえる。
     そこで,筆者は,日本の旧制高校の制度に着目する。旧制高校の学生は,文理を問わず,哲学を根本的な基礎教養として共有し,それを修得して初めて,法律や経済や理科系などの専門に進学することができた。哲学的な思考は,自分を深く掘り下げ,時空を超えた本質的な問題に向かっていき,自分に何ができるのかを探求するために,不可欠な学問である。日本の高度成長期に活躍した経営者も,こうした学生時代をくぐり抜けてきたからこそ,経営哲学を身につけていたのだという。
     だからこそ筆者は,現在の大学生に対して,旧制高校出身者のように,精神的なタフさや,思考することを厭わないねばり強さ,勉強することを楽しむといった向学心を身につける重要性を説く。かつてマルクス主義が教養主義に大きく入り込んでいたが,自分の信奉する以外の理論を徹底排除し,学生を破壊的な行動に走らせすぎた結果,後の世代の思想に対する積極性をつみ取ってしまった。だから,現在の日本には倫理観を養う教科が存在しない。そこで筆者は,倫理観を再興するための「読書力」を重視する。読書を手段として,バランスのとれた判断力や粘り強さ,そして世界に通用する教養を身につけるのである。人は誰でも,リスペクトしたいという気持ちを必ず持っている。それならば,中高年世代には,若者へ「学びのあこがれ」を掲示する社会的責任があると,筆者は主張する。
     評者も,これまで一般教養科目に携わってきたが,準備期間の短さゆえ,ついつい自分の専門科目を押しつけてしまった嫌いがある。経済史という専門科目自体が,経済学と歴史学を折り合わせた基礎教養的科目だけに,読了後,学生の「リスペクト」に繋がるテーマを提供していく必要性を痛感した次第である。

  • 随所にツッコミどころはあるものの、「今と昔の学生の違い」の考察を通して自分の学びに対する姿勢を考える一助になったかな、と感じた。
    前文にも繋がるが、今まであまり考えたことがなかった読書の意義について一考させられたというのも読後思ったところ。

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著者プロフィール

1960年静岡県生まれ。東京大学法学部卒業。同大学院教育学研究科博士課程を経て、現在明治大学文学部教授。教育学、身体論、コミュニケーション論を専門とする。2001年刊行の『声に出して読みたい日本語』が、シリーズ260万部のベストセラーとなる。その他著書に、『質問力』『段取り力』『コメント力』『齋藤孝の速読塾』『齋藤孝の企画塾』『やる気も成績も必ず上がる家庭勉強法』『恥をかかないスピーチ力』『思考を鍛えるメモ力』『超速読力』『頭がよくなる! 要約力』『新聞力』『こども「学問のすすめ」』『定義』等がある。

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