なぜ日本人は学ばなくなったのか (講談社現代新書 1943)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062879439

感想・レビュー・書評

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  • 「かつて「日本人」と「勤勉」はセットであった。」
    そうだそうだ、と思いながら読んだ。
    「自分は未熟である。だから勉強という修行を積むのだ・・」
    そうだそうだ。
    「・・教養を重んじていない次の世代に対して、
     足腰の弱さのようなモノを感じている・・」
    フムフム。
    「勉強にエネルギーが出せないだけではなく、ナンパする
     エネルギーも持てないわけです。」
    ちょっと言い過ぎかも・・。
    「ものごとには、深さと高さがある」
    「・・我慢強く掘り下げ、よじ登り、積み上げる・・」
    そうすることによって生きる手応えが格段に大きくなる。
    読み終わって、少し活を入れてもらった気分になった。

  • それで何?

  • P86
    ここまで述べてきたように、60~70年代の日本は、ヨーロッパの古典的な教養から離れ、むしろそれを否定するようなアメリカの対抗文化に飲み込まれていきました。
    ただ、ここで日米の学生をしっかり区別する必要があります。前述したとおり、アメリカの学生は本を全く読まないと批判されていますが、この当時、日本の学生はまだ読んでいたのです。
    ところが70年代半ば以降、キャンパスから教養主義が駆逐されていきます。その結果、岩波新書の初版部数がこの当時でピークを迎え、以後下がり続けます。『教養主義の没落』で紹介された『岩波新書50年』によると、70年代前後の全共闘の時代を境に、それまでの全読者に占める割合の第一位だった大学生が、どんどん順位を下げていった。
     また、同書で竹内氏は、初版購入者に占める大学生・短大生の実質的なシェアが、65年から95年の30年間で8分の1にまで縮小したとの試算を示しています。

    P100
     アメリカという国の基本にあるのは、フロンティアスピリット(開拓者精神)、インデペンデントな気概(独立心)です。

    P120
     かつては、そもそも学ぶこと自体が身体的だった時代もありました。唐木順三は著書『現代史への試み』の中で、これを「素読世代と教養世代」として区別しています。
     素読世代とは、夏目漱石や森鴎外をはじめ、二葉亭四迷、内田鑑三、西田幾太郎などの世代、その最後尾として永井荷風を指しています。
     もう一方の教養世代とは、芥川龍之介の世代です。

    P146
    三木清によれば、教養の観念は主として夏目漱石門下の人々、特に漱石の東大時代の師でもあった哲学者ラファエル・フォン・ケーベルの影響を受けた人々によって形成されました。

    P180
     マルクスがかつて批判したのは、被支配者を分断する支配者でした。支配者にとっては、そのほうが都合がいいからです。それは哲学者ミシェル・フーコーが『監獄の誕生―支配者と処罰―』のなかで「パノプティズム」として批判したものにも通じます。
     ベンサムという功利主義者が、「パノプティコン」という刑務所の建築様式を考案しました。簡単にいえば、囚人を汚い一室にまとめて収容するのではなく、きれいなドーナツ状の建物一部屋に一人ずつ入れる仕組みです。
     各部屋を明るくガラス張りにする一方、中央に配置した監視塔を暗くしておくと、監視塔からは囚人一人一人が丸見えになりますが、囚人から監視塔の中は見えません。こうして常に監視されているという意識を囚人に植えつけることで、自分自身を自分で監視させようというわけです。フーコーは、この非常に巧妙な管理方式を転用して「パノプティズム」として概念化し、現代が監視社会化していることを示しました。
     この特徴の一つは、囚人どうしがバラバラにされているため、会話が出来ないということです。彼らを一つにまとめると、囚人内部で社会をつくり、食事が悪いだの脱獄しようだのといった相談を始めるおそれがある。そこでバラバラにして一人一人を監視するシステムにすれば、個々人は非常に弱くなり、操作されやすくなるわけです。

    P214
     伊丹敬之一橋大学教授は、日本の経営者に自社の利害を超えた大局的観念、「哲学」が欠けてきたと指摘している(「哲学なき経営者の危険」『Voice』2007年12月号)。そこで次のような本田宗一郎の言葉が引かれている。1952年、創業まもない、資本金6千万円の本田技研は、四億円の工作機械を輸入した。
     「私はこの際生産機器を輸入すれば、たとい会社がつぶれても機械そのものは日本に残って働くだろう。それならどっちにころんでも国民の外貨は決してムダにはなるまいという多少感傷めいた気持ちもあった」(本田宗一郎著『夢を力に:私の履歴書』)

  • 旧制高校に憧れた著者は現代のアニメとロックに明け暮れ、「教養」を軽視する若者を「バカ」と切り捨てる。
    しかし、その奥底には日本を思い、若者に学ぶ喜びを知って欲しいという、熱い想いを感じ取ることができる。
    あとがきの中にとても共感する言葉があった。
    「占いや他人からのはげましだけに頼って、心の天気の心配ばかりしていても、本当の晴れは来ない。心の晴れは、技がもたらす。」
    「空気は読むものでなく、つくるものだ」
    「自分を支えてくれる『技』を磨き、その技で他の人を幸福にすることを生きがいとしてくれたまえ」
    日々、大学教員として、学生を鍛え、直接向き合えない人のために本を書き続ける著者の言葉だから、心に刺さる。

  • 本屋で衝動買いしました。■「学ぶ=読書」の図式に違和感この本ではあたかも学ぶこと=読書すること、であるかのように記述されています。それだけではないのではないか、と少し違和感を感じました。著者自身もこの違和感を持っていたのか、あとがきで若干それを釈明している節がありました。■「アメリカ化」が教養主義の衰退をもたらした不完全な「アメリカ化」が教養主義の衰退をもたらしたと指摘があります。これは、たしかにそういう側面もあるのかもしれないと考えさせられます。

  • 人間関係の希薄化
    読書量の減少

    とにかくこの2つが大きな理由として挙げられるということが書かれてある。
    自分も学ばなくなった世代に入るのだと思う。

    楽な道に体を向けるのではなく、日々の努力、挑戦を胸に刻み生きていきたい。

  • 勉強不足等で若者が頼りない存在と写るのはいつの時代のことでもある。日本人は元来身体的に学び、教養と呼ばれる頭で考える学びに対しては歴史が浅く、現代に至っても身につけきっていないのではないだろうか?また果たして将来的にも身につけられるものなのだろうか?マルクス主義に行ったり、カルトに走ったりするのはどこか身体的な学びを欲している(頭だけではダメだと思っている)のではないだろうかと思った。この本で身体的な学びということが分かってよかったと思う。

  • 学ぶことへの姿勢について考えさせられました。昔の日本人は強かった?

  • 日本人の学力低下が叫ばれて久しい。その理由としてはいくつか指摘されていますが、いわゆる「ゆとり教育」が本来の目的とは違う方向に陥り、つまり生徒が自分で考える力を伸ばすことができず、単に教える内容が減ってしまったため、絶対的な知識量の減少が生じてしまったこと。それからインターネットの広範な普及で、居ながらにして大量の情報が入手できるようになったため、情報の価値が相対的に低下したことがあげられるかと思います。
    マスメディア、とくにテレビ番組の力も大きいでしょう。バラエティ番組に見る価値のあるものはないと思っていますが、とくに昨今の「おバカタレント」の知識のなさを笑いものにする番組が酷い。視聴者にとって、自分よりも知識のないものがテレビカメラの向こうにいることで、これ以上学ばなくても安心だという気分が生まれるのでしょう。

    この本もそういった話をベースに書かれていますが、懐古趣味が強すぎて、納得のいく部分はほとんどありませんでした。人間が易きに流れるのも、日本社会が米国化したのも、インターネットで情報の洪水が起こるのも、時代の要請であり必然です。それに抗おうとして、何になるのか。
    このような時代のもとで、どのようにして学びを得るのか模索するべきところが、昔はよかったで終わってしまっています。

    また、昔の教育が必ずしもよかったわけでもありません。画一化した人材しか供給できず、過去の成功体験にとらわれて進歩できない教育でしたから、状況の変化に対応できないわけです。太平洋戦争の4年の間に敵国の戦力が増大したのに、手をこまねいていて敗戦したし、戦後の高度経済成長の結果日本が米国を追い抜いた瞬間、目標を見失って迷走しました。
    新しい時代の、新しい学びが必要なのに、そのことについて何も書いてくれていないのが、大きく不満でした。

    とは言っても、新しい試みについて実際に何も書かれていないわけではないのです。作者自身、新しい時代にあった試みを行っているし、その内容は「あとがき」の10ページ余りに凝縮されています。この試みについて別の本に書かれているのかもしれませんが、この本でも1章を割くくらいのバランスで、ちょうどよかったのではないでしょうか。

  • ■日本人
    1.-日本人は戦後、米国の若者文化の影響を受け、音楽によって簡単に快楽を昧わうことを覚えた。そのことが、本を読ん
    で自己形成するという地道な活動を困難にした。

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著者プロフィール

1960年静岡県生まれ。東京大学法学部卒業。同大学院教育学研究科博士課程を経て、現在明治大学文学部教授。教育学、身体論、コミュニケーション論を専門とする。2001年刊行の『声に出して読みたい日本語』が、シリーズ260万部のベストセラーとなる。その他著書に、『質問力』『段取り力』『コメント力』『齋藤孝の速読塾』『齋藤孝の企画塾』『やる気も成績も必ず上がる家庭勉強法』『恥をかかないスピーチ力』『思考を鍛えるメモ力』『超速読力』『頭がよくなる! 要約力』『新聞力』『こども「学問のすすめ」』『定義』等がある。

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