ニッポンの思想 (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
3.47
  • (27)
  • (93)
  • (87)
  • (25)
  • (5)
本棚登録 : 972
感想 : 83
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062880091

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • プロローグの6ページ目に突如登場する「東浩紀もの」(厳密に言えば5ページ目のゼロアカが東浩紀を暗示しているが)から、 ニューアカ、蓮實と柄谷、福田/大塚/宮台、途中に村上隆や大塚英志を挟みながらその全てがゼロ年代一人勝ちの東浩紀に繋がるという佐々木敦の東浩紀好き好き本。「東浩紀もの」の言説を追うにはよいし、視点設定はとても面白いけど、日本の思想史なら仲正昌樹の方が良い。
    終章、「東浩紀はメタのふりをしたネタのふりをしたベタ」という指摘、いい歳したオタクを拗らせたオッさんがマジになって社会を語るナイーヴな振る舞いは、『存在論的、郵便的』で指摘したパフォーマンスに自然と接続される。

  • ニューアカって?というレベルなのでついていけない、頭に入ってこない。それでもなんとなくわかったような気に。80年代、浅田彰、中沢新一、蓮實重彦、柄谷行人。90年代、福田和也、大塚英志、宮台真司。ゼロ年代、東浩紀。だけ覚えた。スキゾキッズ。

  • 私が投稿した論文が返却されてきていろんな要求があるなか,それの対応としてふと思いついて購入した本。著者の佐々木 敦氏は音楽批評家で以前から名前は知っていたし,講談社現代新書として出版された本書のことも知っていた。
    そんなことで,初めて佐々木 敦氏の著作を読んだわけだが,期待した以上の得るものがあった読書だった。

    プロローグ 「ゼロ年代の思想」の風景
    第一章 「ニューアカ」とは何だったのか?
    第二章 浅田彰と中沢新一――「差異化」の果て
    第三章 蓮實重彦と柄谷行人――「テクスト」と「作品」
    第四章 「ポストモダン」という「問題」
    第五章 「九○年代」の三人――福田和也,大塚英志,宮台真司
    第六章 ニッポンという「悪い場所」
    第七章 東浩紀の登場
    第八章 「動物化」する「ゼロ年代」

    講談社現代新書の帯は表紙の7割ほどを占める大きなものだが,その真ん中に大きく「この一冊で,思想と批評がわかる入門書」と書いてある。それはある意味正しくてある意味では間違っている。著者は本書で自分は思想の当事者ではなく,あくまで読者にすぎないというし,本書で検討されている作品群についても,場合によっては自分にはこれ以上理解できないと正直に書いている。本書は思想そのものを論じるものではなく,あくまでもそういう思想書が社会のなかでどのように生まれ,また受容されていったのかという,特定の時代に生まれた作品を出来事として捉えている。
    私は正直,本書で取り上げられる作品をほとんど読んでいない。地理学者のなかでは思想系にはまっている部類に入る私だが,翻訳ではあるがなるべく原著を読むようにしている。浅田彰と中沢新一は雑誌『現代思想』に掲載された論文を1,2本読んだだけ,蓮實重彦と柄谷行人に至っては全く読んだことはない。九○年代の重要人物として挙げられている福田和也は名前すら知らなかったし,宮台真司も翻訳のスペンサー=ブラウン『形式の法則』と雑誌論文をいくつか。むしろ,『形式の法則』を共訳している大澤真幸はけっこう読んだ。クリプキやジジェクについては彼の影響で読み始めたといってよい。本書で出てくる主要な本として読んだことがあるのは東浩紀『存在論的,郵便的』のみだ。
    私は本書を通して,本書で出てくる思想家の思想を知ることを目的としていないし,さらに進んで本書に登場する作品を読む気もない。知りたかったのは,彼らの作品が出版界を通して社会でどのような役割を果たし,どのように受け止められてきたのか,ということである。もちろん,それをきちんと調べるのは大変な作業だが,本書ではそれを可能な限り明らかにしている。
    浅田彰の『構造の力』が本人が驚くほど売れ,出版界がそれらに飛びついて「ニューアカデミズム」という流行をつくり出したこと。ニュー「アカデミズム」とは名付けられたが,学術界ではむしろ冷ややかな目でみられたこと(浅田彰と中沢新一の大学就職事情にまで言及している)。表面上はお互いが批判し合っているけど,内実はそんなに変わらないこと。そして,これは私の印象にすぎなかったが,当初は積極的にフランス等の思想を取り込むことで自説を組み立てていたように,外向きの力が働いていたが,それが徐々に内向きの力を持つようになり,日本国内で充足する思想になっていくということ。そんなことを明らかにしています。
    ただやっぱり気になるのは,あくまでも読者の視点で,冷めた目で本書が書かれているとはいえ,そういうものを読んでこなかった私とは違って,著者は好んで読んできたとう違いがある。そのせいか,あるいは新書であるが故の分かりやすさを重視したためか,八〇年代から始まって,九〇年代,そしてゼロ年代と,そういうように時代区分を明確に論じるのは,まさに内向きになったゼロ年代の研究者と同じやり方である。時折厳しい論調で書いてはいるが,あくまで批評であって,批判ではない。
    まあ,それはともかく佐々木氏の本業の著書も読まなくてはと思った次第。

  •  80年代のニューアカから現在までの日本の思想の流れを追う。

     思想についてまとめられたこの本はやはり半分も分からない。ただ、こういう思想であるというだけでなく、当時にその中にいたからこそ分かる空気感がなるべく伝わるように書いてあるように思えた。

     何かの度に読み返したい一冊。

  • 日本の哲学家、思想家について軽くさらうことができる、読みやすくまとまっている入門書。各思想家の主張や偏り具合が上手く要約されている。この本で掲載されていない思想家もいるだろうし、そもそも思想家の選び方自体に筆者の主観が含まれておりはするものの、現代思想の初心者にとって読む価値はある。

  • 141115 中央図書館
    1980年代から2000年代までの日本の思潮で活躍した人々の系譜を、リアルタイムで伴走した著者が解説したもの。
    80年代は浅田彰の『構造と力』、中沢新一の『チベットのモーツアルト』であった。彼らはなによりも従来型のアカデミズムからはみ出して、流行りのドゥルーズ=ガタリあたりの要約、敷衍をやったわけだが、マスコミにもてはやされ、名前だけが売れてしまった。この流れで、少し年上の蓮實や柄谷も世に浮かび上がり、マス向けの文を書きまくることになる。
    90年代は、大塚や宮台の、青少年論が社会学の手法でよく読まれ、ゼロ年代になると東浩紀に収斂する。
    今、振り返ると、浅田や中沢は、現在のネット社会を見通していたようにも見えるが、それはまあ誰でも言えたことであって、極端に称揚するようなことでもないだろう。彼らのよくできたカタログ哲学は、読み捨てられ後世には残らない運命だろうか。

  • 【速読】なんとなく現代思想界隈の雰囲気を受け入れられずにいるのは、本書序盤にあるようにそれらがパフォーマティブであり市場を無視できず、かつサブカルと密接な関係にあるためのようです、という愚痴っぽいことはさておき、そうした難解な80年代以降の思想についてキーワードを最小限に噛み砕いて書いてくれていると思います。以前適当に選んだ蓮實さんの本が意味不明に感じたのは、時代の請求というか、なるほどと納得しました。ぼくはこうした想の本編を読まずともこのくらいの理解でちょうどよさげです。許してん。

  • 1980年代からゼロ年代までの、日本の現代思想を分かりやすく整理した本です。

    「ニュー・アカデミズム」と呼ばれた、浅田彰と中沢新一の活躍から説き起こし、理論的な補強をおこなった蓮實重彦と柄谷行人、90年代をリードした福田和也、大塚英志、宮台真司、そしてゼロ年代に「一人勝ち」を収めた東浩紀の仕事を総覧しています。

    現代思想の担い手たちを、「思想市場」におけるパフォーマティヴな振舞いという面から、次々と主役が交代する一幕の劇のように描き出しており、たいへん分かりやすいのですが、同時にそうした現代思想という「場」に対するある程度の批評性も担保されているように思います。

    著者は、思想と呼ばれる営みには世界を変革しようとするものと、世界を記述しようとするものがあると言い、初発の動機としては前者であったはずのものが、「現代思想」という場におけるパフォーマンスがくり返される中で、いつのまにか後者へとすり替わってしまったことを、「ニューアカの悲喜劇」と呼んでいます。そして、椹木野衣が「悪い場所」と名づけたような閉域として、あるいは福田和也が「虚妄としての日本」と呼んでアイロニカルに肯定して見せたような場所として、「ニッポンの思想」を理解し、やがてそれが東浩紀のデータベース消費論と呼応するような、徹底的にベタな「思想市場」というゲームの上での戯れに帰結したことを論じています。

  • 「ニューアカ」から東浩紀の登場に至るまでをたどった解説本。ただ、思想史を淡々と語るのではなく、著者の意見もその都度差し挟まれるのがよかった。
    「コンスタティヴ」と「パフォーマティヴ」という概念を軸に、すっきりと整理されている。
    浅田彰はその明晰な頭脳に隙のないニヒリストだとすれば、東浩紀は、同じく明晰な頭脳を持ちながら、オタクを公言して憚らぬアクティヴィスト。
    本書を読むと、いかに東浩紀が小説を書くに至ったかがよくわかるし、浅田彰よりも彼のほうに賭け金を託したいという気にもなった。現実を明確に理解できたとしても、そのぶん絶望感が増す一方だから。

  • 211009

全83件中 11 - 20件を表示

著者プロフィール

佐々木 敦(ささき・あつし):1964年生まれ。思考家/批評家/文筆家。音楽レーベルHEADZ主宰。映画美学校言語表現コース「ことばの学校」主任講師。芸術文化の諸領域で活動を展開。著書に『増補・決定版 ニッポンの音楽』(扶桑社文庫)、『未知との遭遇【完全版】』(星海社新書)、『あなたは今、この文章を読んでいる。』(慶應義塾大学出版会)、『ゴダール原論』(新潮社)、『ニッポンの文学』(講談社)、小説『半睡』(書肆侃侃房)ほか多数。


「2024年 『「教授」と呼ばれた男』 で使われていた紹介文から引用しています。」

佐々木敦の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×