- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062882507
作品紹介・あらすじ
第1章 私が裁判官をやめた理由(わけ)
――自由主義者、学者まで排除する組織の構造
第2章 最高裁判事の隠された素顔
――表の顔と裏の顔を巧みに使い分ける権謀術数の策士たち
第3章「檻」の中の裁判官たち
――精神的「収容所群島」の囚人たち
第4章 誰のため、何のための裁判?
――あなたの権利と自由を守らない日本の裁判所
第5章 心のゆがんだ人々
――裁判官の不祥事とハラスメント、裁判官の精神構造とその病理
第6章 今こそ司法を国民、市民のものに――司法制度改革の無効化、悪用と法曹一元制度実現の必要性
感想・レビュー・書評
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2017.6.8ブックオフ古淵店260円ーpoint25
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2023年度【国際学部】入学前知トラ「課題図書」推薦作品
OPAC(附属図書館蔵書検索)リンク
https://opac.lib.hiroshima-cu.ac.jp/opac/volume/490676?locale=ja&target=l -
普通に読んでも面白い新書、そして刺さる人には刺さる人生の指南書。
まず一般的な感想を。約30年間裁判官を務め、その後民事訴訟法の研究者に転身した著者の経歴を活かし、日本の裁判所と裁判官の闇を暴く告発本。我々が裁判官という人種に対して抱く清廉潔白なイメージとはかけ離れた非常識な言動や、官僚的というだけでなくむしろ旧共産主義国のような裁判所の極端なトップダウン型の思想統制の数々はいちいち衝撃的。
そのような情報価値はひとまず認めた上で、おそらく読者の多くは著者の語り口にマイナスイメージを抱いたのではないかと思う。テーマがテーマだけに仕方がなかろうが、1〜4章あたりでは著者が実際に体験した上司からのハラスメントや事務総局の締め付けへの恨み節(と捉えるしかない記述)がネチネチと繰り返し綴られる。そして著者の裁判官への人物評も、尊敬に値する価値観や人生観に欠けるだとか、本当の教養を備えていないといった具合でいかにも高踏的な印象を与える。ともすれば「著者が裁判官に向いていなかっただけでは?」と本の内容自体を疑いたくなる人もいるかもしれない。
かくいう私も途中までは、著者に対し懐疑的な気持ちを抱きながら読み進めていた。が、第5章から終章にかけて、どうしたことか一転して瀬木比呂志という1人の人間のファンにさせられてしまった。
第5章の章末にて、著者はトルストイの短編『イヴァン・イリイチの死』を引く。イヴァン・イリイチは帝政ロシアの官僚裁判官であり、一見すれば成功したエリート、だがその価値観や人生観は全て借り物、著者の表現によれば「たとえば、善意の、無意識的な、自己満足と慢心、少し強い言葉を使えば、スマートで切れ目のない自己欺瞞の体系」というものだ。さも悪い人物のようだが、官僚、役人の中でこれはかなり上質の類型だと著者は述べる。そして著者自身すら若いころには「いくぶん自覚的なイヴァン・イリイチという程度の存在」であったのかもしれず、闘病や研究、執筆を通じてどうにかイヴァン・イリイチ的な拘束を脱して1人の人間に立ち返ることができたにすぎないと。
私はこの人間分析に深い感動を覚えた。私だけでなく現代の若者、ことに「センスのある人」に見られようと必死で自身を飾り立て、「人と違う自分」を演出しつつもどこか虚しさを感じているような人は共感を禁じえないのではないはずだ。
自分こそがイヴァン・イリイチなのではないか。そしてそれは、ことによればイヴァン・イリイチにも満たない、自分自身を俗物と信じて疑わない凡庸で素朴な人間よりもずっと醜悪な在り方なのではないか。
また瀬木氏についても、裁判官という基本的にはお堅くてつまらない人間、無趣味で仕事ばかりを生き甲斐にしている人間たちの中にさえ醜悪なイヴァン・イリイチの影を、即ちいびつな自己愛を感じ取ったがために「絶望」に至ったのではないのだろうか。
もちろん、裁判官には没個性さがある程度は要請される面もあるし、他の人よりも多くの時間を仕事に割くのであるから、イヴァン・イリイチを超える本当の人間性を培うことは非常に難しい。結果としてイヴァン・イリイチに落ち着き、自身をひたすら慰撫する人間が出来上がってもそれを非難するのは酷である。他の知的エリートについても概ね同様だろう。
しかし若かりし頃の瀬木氏や今の私のように、自分自身がイヴァン・イリイチであることに我慢がならないナイーヴな人間にとってそれは絶望に他ならない。そしてその絶望からの恢復を果たし、今なお旺盛な執筆活動を続ける瀬木氏は私のような人間にとって尊敬すべき先達といえる。
ここまで穿った読み方をする人はそうそういないだろうが、少なくとも私は、瀬木比呂志という1人の人間の半生を通して、自分自身の人生を生きることの大変さ、それでも気高く生きたいと思える格好良さまでをも教えられた気がした。瀬木氏の他の著書もちかぢか読んでみようと思う。もちろん『イヴァン・イリイチの死』も。 -
裁判所に絶望して退官された本裁判官。
いろいろ日本に司法の絶望について書かれた本はあるが、著者の属性は貴重であろう。
結果的に内容がちょっとウザくなっても
いずれにしろ、日本の裁判が、ヒラメ裁判官による、組織優先の状況になっていることは間違いなさそうだし、そもそも、学生上がりで世間を何も知らないバカが、試験に合格して至高感のまま任官される組織が、人を判断できるわけもないのはその通りだろう。
しかも、法に基づくわけでもないのだから。
滅入るな。
検察も酷いし。
そういう、司法による救済が期待出来ない世界に生きているわけだ。
じゃあ対抗出来るのは、権力と暴力しかないよね。
その取り合いが色んなことを歪めてるんだろうなあ、と思った次第。 -
日本の裁判所の構造が、最高裁判所事務総局といういわば司令部による一元統制、上位下達のシステムとなっており、地裁・高裁など現場の裁判所に自由な裁量がなく、また、統制強化により、言うことを聞くヒラメ裁判官だけが昇進し、裁判そして裁判官のレベルが落ちているという指摘。そして、その解決策として法曹一元化として、弁護士・検察官・裁判官の垣根を低くする取り組みを主張する。
筆者は、裁判官を世間知らずと喝破し、学者の世界を称賛するが、実はこの本で指摘する内容は、どこの行政官庁、大企業、一流大学にもある問題では無かろうか。それが、人を裁く裁判所組織で起こっているから特殊かもしれないが、本質は変わらないと思う。ただ、皆が仰ぎ見る裁判所も普通の組織と変わらないよ、ということを示してくれたことには一定の価値がある。 -
瀬木比呂志著『絶望の裁判所(講談社現代新書)』(講談社)
2014.2発行
2016.12.14読了
元裁判官が暴く裁判所の実態といったところだが、悪罵の限りを尽くした内容になっていて、果たしてそういう事実があるにしても、どこまでが真実でどこまでが誇張なのか計りかねる内容。自分で自分の書いた本を絶賛したり、感情的な評価としか思えない文章もちらほら。「これが元裁判官の文章?」と思ってしまう。
とにかく前職が嫌で嫌で仕方なかったことはよく分かった。
URL:https://id.ndl.go.jp/bib/025194437 -
元裁判官である著者が裁判所や裁判官の悪い面を書き連ねた本。
本来独立した存在であるはずの裁判官が当事者の方を見ずに、上役の方ばかりを見て仕事をしているというような批判です。
最近何かに付けて裁判裁判とニュースで見かけますが、それが本当に信頼の置けるものなのかは国民として注視すべきでしょう。
マスコミは役人の悪口は殆ど書かないから本書で学習して市民として裁判所の仕事を監視する契機にされたい。 -
裁判所の問題点をボロカスに恨みつらみを込めて色々暴露してる。けども、よくよく考えてみたら別に裁判所だけでなく民間企業だろうが役所だろうが、どこでも似たようなことは起きてるよな。
と
とまぁこれは作者の価値観についての一方的な暴露なのでどう考えるかは読者自身が考える必要があるとして・・・だ。
してだ・・・。
暴露するだけ暴露ってあとは自由に研究するって、ちょいおま、それはどーなんだと思わないでもないが、まぁ他人の人生なんだから好きにすればいいかとも思う。
できればそこまで暴露するなら改革をしようとする意思を見せてほしかったけど投げっぱなし感がある。もちろん暴露するだけでも十分意義はあると思うが・・・ -
冒頭から表現や論理に引っ掛かるところが多すぎて早々に読む気が失せた。残念。
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裁判官としての実体験を踏まえた日本司法の問題を暴露する。
筆者の言っていることは一貫しており分かりやすいが途中から大体こういうことを言うんだろうなと予想ができ、それを覆すような内容もなく、飽きが生まれた。