教育の力 (講談社現代新書)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062882545

感想・レビュー・書評

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  • <よい>教育とは何か?について、それは自由と自由の相互承認の原理を社会において実質化するための一手段である、という著者の歴史観・社会観を述べ、今後の公教育のあるべき制度・具体策の提案を行っている本。

    1992年以降徐々に諸々の価値観や社会の原理が変化しているため、新しい教育原理が求められている現代日本において、その改革の必要性、新しい教育の方向性、具体的な改革案やマイルストーンを分かりやすく提示し、新書で出版されたという点については非常に高く評価したい。

    学びの「個別化」「協同化」「プロジェクト化」という柱の内容も、その実現においては力となるものであり、特に「既存の教育システムを大きく立て直すことなく可能な改革」というコンセプトは、私も現在練っている特に社会人へ向けた新たな教育構想を立てる上でも大きな示唆となった。

    しかし個別の議論についてはいくつか気になる点もあった。

    例えば著者は、「そもそも何のための教育か?」という共通了解の無いまま進む、昨今の「ゆとり教育是か非か?」などの二項対立的な議論を批判する。
    そのうえで人間社会の歴史を紐解き、人間には本質的に「自由」への欲求があるがための相互闘争状態を解決するためにヘーゲルが到達した「自由の相互承認」を社会の原理である、と規定した。
    この原理を実現するために「法」があり、それを運用していくために必要な力=教養を育む場として「公教育」が必要である、という主張。

    ここにおいて、「自由」という概念を何の検討もなく使用していることに違和感があった。
    一般人向けのため検討を割愛している可能性もあるが、そもそも人間は自由な存在なのか?という発想、特にスキナーのような行動分析学の分野などでは強くあるのは周知の通りだ。
    またここ十数年で脳科学、生物学や心理学の分野で「意思」についての遺伝子プログラムという観点からの統合が進んでおり、現時点で安易に「自由」を議論の原理に据えることは危険であろうと考えている。

    まだロジックを詰め切れていないが、私は社会(環境)に適応し生存を確かなものにするための生物的「欲求」として学問を捉えたいと考えている面があり、そのためにはその適応すべき社会(環境)が一体どのようなものであるかをできるだけ正確に「認識」する(させる)必要があると考える。

    そのうえで根本的に認め合うのは自由ではなく遺伝的素質(身体的、文化的)の多様性であり、そこを出発点として生物としての人間がどう共生していけるのか、を問える立場をこそ学んでいくべきではないか。

    ただ、既に歴史的・文化的に優生であるとして現在の世界に君臨する一部勢力が、既にその遺伝的優位を決定づけるための諸施策(食物添加物や薬品など)を通じて行っているという比較的有力な噂もあり、この視点からの議論は即座に閉塞する危険も伴う。

    しかし現実の人間社会というものの発展性を現実に即して見つめるためには必要な作業ではないだろうか。


    主な参考文献:
    自己が心にやってくる アントニオ・R・ダマシオ
    新・学問のすすめ 阿部謹也、日高敏隆
    遺伝子の不都合な真実 安藤寿康
    99%の人が知らないこの世界の秘密 内海聡

    ※書評に対する建設的なFeedbackをお待ちしています!
    ※新しい教育を検討している理由は、既に現在社会人となっている人々にこれからの社会に不足している要素と方法論を導くためです。勉強会の情報などありましたら是非お待ちしております。
    連絡先:yiwamotoy@gmail.com

  • とかく頭の良い人は白か黒かの0ー100思考で、一気呵成に仕組みを変えたがる傾向があるが、この著者はそういった極端な考え方を戒め、ゆるやかな変革を是としている点で好感が持てる。教育の目的が自由の相互承認という主張は「本当にそれだけか?」という疑問が最後まで残ったが、主張が最初から最後まで首尾一貫しており理解はしやすい。
    ただやはり著者が期待するような時間軸で、著者が期待する方向に教育が変わっていくとは思えなかった。つまるところ資本家や支配層がどういう人材を必要とするかで教育の方向性が決まるのであって、一概に「よい」方向に改革が進むとは限らない。むしろ支配層のお仲間だけが競争せずして支配権力を継承する仕組みの方が好ましいと考えているはずで、今後も被支配階層(国民の99%)に対する愚民化政策が推進される可能性が高い。著者が主張する新教育で育った自己主張の強い人間が受容されるようになるのは社会全体の価値観がすっかり変わらない限り難しいと思う。

  • 記録用

  • 現行の教育制度の問題点や今後の展望について。
    専門的知識に関係なく、興味があれば読んでみると新たな視点が楽しめるかもしれない。

  • これからの教育をどうしていけばいいのか。「自由」という大きなキーワードを出発点として、「個別化」「協同化」「プロジェクト化」すべきという主張と、その方法を唱えた本。

    人は自由を求めている、そして自由の相互承認が必要である、というところを押さえてから話が始まる。自由の定義、「自由の相互承認」の定義についても丁寧に書かれている。

    自由に生きるために、教育があるべきだというのが苫野さんの主張。確かに、教育を受けていなければ、教養がなければ、選べる職業はごくわずかだし、自由に生きることができないだろう。

    学力とは「学ぶ力」だとも書かれていた。

    「一般福祉」という観点でも書かれており、例えば出来のいい子どもをたくさん排出するために、他の子どもの自由を侵害するものであってはいけないと。

    この辺りの最初の定義はとても納得ができるものだ。アメリカには教育の目的として「格差の是正」があるそうだが、日本において教育の目的のようなものはないと聞いたことがある。それでは確かに、何がよくて何がよくないのか議論することはできないだろう。ところが苫野さんは「子どもが自由になるための学ぶ力を育てるため(という私の理解)」と定義づけをしている。そうするといろいろなことを判断できる。そのうえ、その目的は、私の普段の考えからしても納得できるものだ。

    サドベリースクールのことが書かれていた。子どもに好きなことをさせていても、自由に学び始めるという。さらにはその子供たちが働くようになると、総じて自分の仕事に満足しているのだという。(満足、ではかっているということは、よくある「成功」とか「年収」とかでいうと優れてはいないのかもしれないな、と思う)

    教育の目的を果たすために、「個別化」が必要で、さらに「協同化」が必要だという。個別化はまあいいいとして、協同化とは、子ども同士で教え合うことを含むのだそうだ。それにより、数が限られている教師の負担が軽減され、子どもの力も増すのだという。学力という面で語られていた部分があったかなかったか定かではないが、教える側もそれにより成長するということがあるのだろうか、ないのだろうか。ただし、芸術的創造や会社の営業といった場面でも、競争よりも高い生産性を生むのだと書かれていた。結局社会ではみんなで力を合わせて仕事をするのだ。その中で、ひとりひとりが誰かを出し抜くように受験勉強をするというのは確かに合理的ではない気がする。わが子は兄弟なので、もしかしたら教え合うことができるのかもしれない。実際、ゲームについては二人でああだこうだと教え合っているし、バトルゲームでは競い合っている(いつも弟が負けるようだが)。

    「子どもたちは有能である」という子ども観について書かれていた。これは、教育学者の西川純氏が主唱している『学び合い』の基本の考え方の一つ。私はこれは持っていると自分では思っている。子どもの能力を信じているからだ。

    最近知った「きのくに子どもの村学園」についても書かれていた。ここでは、プロジェクト型の学びが勧められているという。先日本を買ったまま積読になっているのでそちらも読むことにしよう。

    アメリカの教育哲学者ジョン・ヂューイは、子どもたちの4つの本能的欲求を記しているという(『学校と社会』という本)。
    1.物を発見したいという欲求
    2.物を作りたいという欲求
    3.自らを表現したいという欲求
    4.コミュニケーションへの欲求
    これらを踏まえて、自分の子どもをよく観察してみたいと思う。

    現在の公教育の「詰め込み型」や、閉鎖的な空間などを批判している側面もあるが、「それは絶対によくない」と強く批判することはしていない。そういうやり方を好む子供もいるし、そういうタイミングもある、と書かれている。

    とはいえいくつも繰り返されていたのは、「自由の相互承認」という考えに根差して教育を考えなくてはならないということと、「個別化」「協同化」「プロジェクト化」がその目的へ進む道なのだという主張だった。

    わが子は不登校で、公教育が変われば登校できるかもしれないし、公教育の多少の変化では何も変わらないかもしれない。ただ、この本が「教育の目的」を指し示してくれたという点で、ざっくりとした地図をもらった感覚はある。教育はやはり子ども自身のためであるということ。自由を手に入れ、他者の自由を認めるためのものなのだと。

    そのうえで、家庭でどうしていくか、どういうアプローチをするのかはまた課題になるところではあり、引き続き子育て、家庭での教育については考えていかなくてはならない。

  • 著者は自分と同世代の教育哲学者。
    就学時の子供を持つ親にとって考えさせられる内容。
    自分たちが当たり前のように受けてきた、画一的・一斉型の学びから、「個別化」「協同化」「プロジェクト化」を基軸とした学びへの転換を提唱する。
    ドイツの哲学者ヘーゲルが考えた〈自由の相互承認〉の原理が根底にある。これは自分が〈自由〉になるためには、他者の〈自由〉も承認し合う必要があるというもの。自分の〈自由〉ばかりを主張し続けても終わりのない闘争が続くだけで。
    この〈自由の相互承認〉を教育を通して子どもたちに育ませることが著者の教育の理想である。
    教育現場の慣習や様々なコストをあり実現するには容易ではないのは見てとれるが、もし実現したならばどんな子供たちの未来が待ち受けているのか興味深い。小規模特認校などでテストモデルとして実行してみたら色々な発見がでてきそうな気がする。

  • ■ひとことで言うと?
     自由に生きられる力=「学ぶ力」を養う学校教育を

    ■キーポイント
     ・教育の目的
      →1.自由に生きるための力を育む
      →2.自由の相互承認の土台をつくる
     ・これからの時代の「よい」教育
      →学力=「学ぶ力」を育む教育
       →自分に必要な知識・情報を自ら学ぶ能力
      →「よい」教育は時代によって変わる
     ・「よい」教育の実践
      →1.学びの個別化:各人の興味に沿った内容・スケジュールで学ぶ
      →2.学びの協同化:生徒どうしが互いに教え合う
      →3.学びのプロジェクト化:プロジェクト遂行の過程で学び方を学ぶ
       →3つの学びを融合させ、生徒の「学ぶ力」を伸ばす
     ・「よい」学校
      →「よい」教育を実践するための場
       →開かれた学級:異学年・保護者・地域住民と交流できる学級
        →相互承認の感度を醸成する
       →オープンスクール:さまざまな使い方ができるスペースのある学校
        →学習内容に合った学びの場を提供する
       →省察的実践家としての教師:自ら学び成長できる教師
        →子どもたちを継続的にサポートしガイドする

  • 教育哲学者である筆者が、拡散しがちな教育議論に対して、原理的な部分から掘り返し、どのような教育が良いのかという点について論じた本。序章において、教育における「自由、自由の相互承認、一般福祉」という納得のいく基盤を据え、それをもとに学びや学校、社会の望ましい姿について論じているので、話が拡散せず、多くの事象について適応可能である。このような教育、社会を望むことが実現への第一歩だと思うので、協力していきたい。

  • これからは学習者主体の教育の時代だ。

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著者プロフィール

哲学者・教育学者。1980年生まれ。熊本大学大学院教育学研究科准教授。博士(教育学)。早稲田大学教育学部卒業。同大学院教育学研究科博士課程修了。専攻は哲学・教育学。経済産業省「産業構造審議会」委員、熊本市教育委員のほか、全国の多くの自治体・学校等のアドバイザーを歴任。著書に『学問としての教育学』(日本評論社)、『「自由」はいかに可能か』(NHK出版)、『どのような教育が「よい」教育か』(講談社選書メチエ)、『勉強するのは何のため?』(日本評論社)、『はじめての哲学的思考』(ちくまプリマ―新書)、『「学校」をつくり直す』(河出新書)、『教育の力』(講談社現代新書)、『子どもの頃から哲学者』(大和書房)など多数。

「2022年 『子どもたちに民主主義を教えよう』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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