資本主義の終焉と歴史の危機 (集英社新書)

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  • / ISBN・EAN: 9784087207323

感想・レビュー・書評

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  • 資本主義は、イノベーションが限界を向かえ、資源が枯渇した時に終焉すると、何気なく思っていた。それに比べて本著は、明確。資本の自己増殖が機能不全となる場合、つまりゼロ金利が資本主義の終わりだという。そう、見落としていたが、資本主義を維持するには、カロリーの確保、言い換えれば、一定の就労の確保が必要なのだから、著者の言う通りなのだ。就労を確保するためには、仕事が必要だ。だから、継続的成長が必要なのだ。国家間のやり繰りはあるにせよ、カロリーと交換するための労働が不要になれば、カロリーを得られなくなる。では、皆が食糧生産に従事すれば良い、とはならない。生産性を求め、収奪に備え、自然を支配するには、工業の比率に最適値がある。確かに資本主義は終わりに見えるのだが、この事は価値交換を手段とするあらゆる主義に共通する理念ではないか。

    人は神に近づいているという。この発想が嬉かった。自分の見方と一緒だ。神を全能と定義するなら、人は全能を目指して営んでいるのだから。

  • 資本配分を市場に任せれば、労働分配率を下げ、資本側のリターンを増やすので、富む者がより富み、貧しい者がより貧しくなっていく。

    M (貨幣数量)v(貨幣の流通速度)=P(物価水準)T(取引量)
    「貨幣数量」を増やせば、「取引量」が増えるか物価水準が上昇する(貨幣数量説)というマネタリスト的金融政策の有効性は1995年で切れている。 何故なら、低金利のもとで「貨幣の流通速度」が落ちているため、「貨幣数量」を増やしても変化が生まれないから。さらに、「取引量」の中には金融市場での株や土地の売買が多く含まれる為、グローバーリゼーションによって金融経済が全面化してしまった1995年以降の世界では、マネーストックを増やしても国内の物価上昇にはつながらない。

    歴史的に、利潤率を高めてきた「地理的、物的空間」がこれ以上広がらなくなると、資本家は「電子、金融空間」にその資本をシフトした。現在では、実物経済の規模は74兆ドル。金融経済の規模はストックベースで140兆ドルあり、これに数倍、数十倍のレバレッジをかけたマネーが徘徊する。簡単に実物投資10年分の利益が得られるのだ。このような状況下で、量的緩和政策によってベースマネーを増やしても、物価ではなく資産価格の上昇、つまりバブルをもたらすだけ。

    自国通貨安策で輸出を増加できるのは、先進国のパワーで途上国をある程度押さえつけるような仕組み、つまり資源を買い叩く事ができる交易条件があった1970年代まで。今はグローバーリゼーションによって新興国が台頭しており、新興国は雇用創出、国内経済を拡大させる為に、国内生産を促し、先進国から輸入をしない。

    先進国の国内市場や海外市場はもはや飽和状態に達している為、資産や金融でバブルを起こす事でしか成長できなくなった。こうしてバブルの生成と崩壊が繰り返される。

    先進国の中で最も資本主義の限界に突き当たっているのが日本。これは、1997年から現在まで超低金利である事、近代化のバロメーターである鉄の消費量が、この40年間横ばいである事、1974年に、合計特殊出生率が総人口を維持できる限界値である2.1を下回った事等、あらゆる指標が「地理的、物的空間」の膨張が止まった事を示唆している。

    金融バブル発生の2条件
    1. 貯蓄が豊かである事に加え、時代が大きく変わるようなユーフォリアがある事。
    2.「地理的、物的空間」拡大が限界を迎える事。

    「自由主義とは、最弱の者と自由に競争でき、抗争の主役ではなく、犠牲者であるにすぎないか、弱い大衆を搾取できる完璧な力を最強の者に与えたかったのである。」ウォーラーステイン
    金融の自由化も同じ考え方。最弱の貧者は自己責任で住宅を奪われ、最強の富者は公的資金で財産を保護される。

    資本主義の限界とは、資本の実物投資の利潤率が低下し、資本の拡大再生産ができなくなる事。

    バブルが崩壊すれば、2年分のGDPの成長を打ち消す信用収縮が起き、賃金の減少や失業が待っている。これに対処するという名目で、国債の増発とゼロ金利政策が行われ、超低金利時代と国家債務膨張の時代へと突入する。


    利潤の極大化を最大のゴールとする資本主義は、自らがよって立つ原理、すなわち、資本の自己増殖の為にバブル経済化も厭わない事によって超低金利というさらなる利潤の低下を招く。

    既存のシステムはこれ以上膨張できない為に機能不全に陥っている。にも関わらず、既存のシステムを強化したところで新しい空間は見つからない。改革者の意に反して、既存のシステムの寿命を縮め、時代の歯車をいっそう早回しする事になる。

    デフレも超低金利も経済低迷の元凶ではなく、資本主義が成熟を迎えた証拠。退治すべきものではなく、新たな経済システムを構築する為の与件。

    デフレよりも、雇用改善のない景気回復の方がはるかに問題。雇用の荒廃は、民主的な資本の分配ができなくなった事を意味し、民主主義の崩壊を加速させる。

    資本主義を乗り越える為に日本がすべき事は、景気優先の成長主義から脱して新しいシステムを構築する事。

    「主権国家システムを超える5つの形態」ヘドリー・ブル
    1. システムであるが社会ではない、、、複数の主権国家は存在するが、国際社会が構成されてない。
    2.国家の集合であるがシステムではない、、、主権国家が相互の関係を持たない。
    3.世界政府
    4.新中世主義、、、権威と権力の分離。
    5.非歴史的選択肢、、、これまでの過去からは全く考えられないような形態。


    資本主義の始まり
    12-13世紀説:利子の成立を根拠とする
    イタリアのフィレンツェに資本家が登場し、彼らは為替レートを利用してこっそり利子を取り始めた。利子とは時間に値段をつける事である為、利子を取るという行為は神の所有物である「時間」を人間が奪い取る事であった。だが、1215年のラテラノ公会議で、利子が支払いの遅延に対する代償、あるいは両替商や会計係の労働に対する賃金、さらには貸付資本の損失リスクの代価とみなされる時には利子をとる事が偽善的に容認された。そしてこの時、なんと上限33%もの利子率が認められたのである。この頃、平均の市場金利は10%程度であった。また、ボローニャ大学が神聖ローマ皇帝から大学として認められた。中世までは知も神の所有物であったが、この時、神から人間に移転された。つまり、「時間」と「知」の所有の交代劇であった。
    15-16世紀説:海賊資本主義
    海賊国家であるイギリスが「海」という新しい空間を独占する事によって、途上国の資源をタダ同然で手に入れる事ができる「実物投資空間」を拡大させた。一方、「知」の所有については、宗教改革でラテン語から俗語への交代劇を出版により実現させた。
    18世紀説:産業革命

    資本の自己増殖という事を考えると、利子率こそが資本主義の中核。

    西欧は「蒐集」の為の最適なシステムとして、資本主義を発明した。

    どの時代であっても、資本主義の本質は「中心/周辺」という分割に基づいて、富やマネーを「周辺」から蒐集し、「中心」に集中させる事に他ならない。

    グローバル資本主義とは、国家の内側にある社会の均質性を消滅させ、国家の内側に「中心/周辺」を生み出していくシステム。

    世界人口のうち、豊かになれる上限定員は15%前後。先進国15%の人々が残りの85%から資源を安く輸入して利益を享受してきた。つまり、資本主義は、決して世界の全ての人を豊かにできる仕組みではない。

    全地球が均質化する現代では、新興国や途上国の57億人全員が資本主義の恩恵を受けるチャンスがあるという建前で進んでいるが、それでは「安く仕入れて高く売る」という近代資本主義の成立条件は崩壊する。

    サブプライムローンでは、国内の低所得者(周辺)を無理やり創出して、彼らに住宅ローンを貸しつけ、それを証券化する事でウォール街が利益を独占した。日本では、労働規制を緩和して非正規雇用者を増やし、浮いた社会保険や福利厚生のコストを利益にする。世界のあらゆる国で格差が拡大しているのは、グローバル資本主義が必然的にもたらす状況。


    1990年代末に世界的な流れとなった時価会計は、将来の数字がそのまま決算に反映されるシステムなので、将来これくらいの利益を稼ぎだすだろうという投資家の期待を織り込んで資産価格が形成される。この時、マーケットはその将来価値を過大に織り込む事で利益を極大化しようとするから、結果的には将来の人々が享受すべき利益を先取りしている事になる。これは常に前進あるのみで、空間が無限にある事でしか成立しえない。

    「もし我々が、これまでと同様の発想で右肩上がりの豊かさを求めて人間圏を営むとすれば、人間圏の存続時間はあと100年ほどだろうと考えられる。」松井孝典


    地球上から「周辺」が消失し、未来からも収奪している事態の意味は、経済の長期的停滞といった次元ではなく、欧州の理念、近代の理念であった「蒐集」の終焉が近づいている。資本主義の終焉とは、近代の終わりであると同時に、西欧史の終わりである。

    G20で世界GDPの86.8%を占める。

    日本の現在の金融機関は、800兆円の預金が年3%、24兆円づつ増えている。この多くは年金。年金が消費に向かわず預金として銀行に流れている。そして企業は99年以降資金余剰の状態が定着しており、2013年時点で1年間の資金余剰は23.3兆円にも達している。これらを合わせた48兆円(GDP比10%)が国債の購入に充てる事のできる金額。これで毎年40兆円の国債が消化されている。

    日本のストックの1,000兆円の借金は民間の実物資産や個人の金融資産がそれを大きくうわまっている為、市場からの信頼を失わない。

    日銀の試算では、2017年には預金の増加が終わると予測されている。そうなると、外国人に国債を買ってもらわざるを得ないが、そうなると金利は上昇し、日本の財政はあっという間にクラッシュする。

    日本の借金1,000兆円は、債権ではなく、日本株式会社の会員権への出資と考えたほうが良い。

    民主主義の経済的な意味とは、適切な労働分配率を維持する事。1999年以降、企業の利益と所得は分離していっている。政府はこれを食い止めるどころか、新自由主義的な政策を推し進める事で、中産階級の没落を加速させた。その結果、超資本主義の勝利は間接的に、そして無意識のうちに民主主義の衰退を招いた。

    ゼロ金利、ゼロ成長、ゼロインフレが定常状態への必要条件。ゼロ金利は財政を均衡させ、資本主義を卒業するサイン。

    情報革命と利子率革命が同時進行するのは時代の必然。つまり、ある空間の政治、経済、社会体制が安定している時は情報を独占している人間に対する反旗を翻す事はないが、それが不安定化して富の偏在があらわになると、同時に情報は誰のものかが問い直されるようになる。

    この先の政治体制や思想、文化の明確な姿を見出す事。

  •  先日、水野 和夫 氏 による「資本主義の終焉と歴史の危機」を読み終えました。
     ちょっと堅いタイトルですが、かなり流行った本です。私も遅まきながら読んでみました。
     本書において、著者は改めて「資本主義」の発生・発展の歴史を振り返り、その研究から「資本主義の本質」とそこから導かれる「資本主義の終焉」を指摘しています。
     そして、そういった局面に相対して為すべきこととして、「脱成長」を基本テーゼとした「ゼロ成長社会」へのソフト・ランディングを提唱しています。

  • 新しいシステムに向かうための定常状態への移行。
    日本のアドバンテージとその活かし方。

    定常状態の条件としての財政赤字の安定的付け替え
    エネルギー問題の解決
    持続可能性

    ギリシャ問題のヨーロッパ思想を通じた理解。

  • なるほど!!
    資本主義経済って、こういう仕組みだったんだ。だから、一般人は経済的には切ないのね。
    初心者にも分かり易く問題点など載っている一冊。

  • 文明の逆説だな。資本主義の先は何だろう。

  • いままで、国単位で周縁・中心関係を保っていたウォーラーステイン的な資本主義がグローバリゼーションにより、国境横断的に周縁・中心関係ができる。つまり、国家の中に周縁・中心ができるわけで、非正規労働者などは新たな周縁と見なされる。このような国内における格差社会の進展は価値観を共有する中間層の没落を招き、中間層がになってきた民主主義の存続を危ぶめるというもの。非常にスッキリしたロジックでどんどん読み進めたくなる。

  • 子供の頃から、公害問題の影響か、自然環境と共存するゼロ成長社会が好ましいとずっと思ってきたし、実態経済と大きく解離したバブル経済には不快感を感じていたので、著者の考え方に大賛成。大体、これだけオートメーションやIT化が進んだのだから、高齢者があくせく働かなくても全人類が最低限の生活を送れる社会は築けると思うんだけどなあ。真面目に働くインセンティブを失わせる社会主義は機能しなかったが、資本主義から強欲さを排除した新しい社会システムは出来ないものか。

  • 話題になっており誰か(忘れた)も参照していたので、見てみるかと。
    著者はアカデミック以外の経験もあり。


    マネーの空間的拡大と利子率、資本主義の本質に関する洞察と経済・政治・思想の歴史の外観は示唆的。
    処方箋というわけではないが、今の世の中を見る視点として参考になる。

  • 現代のグローバル資本主義では必然的に格差は国境を越えてしまう。資本主義を延命させる『空間」も残されていない。近代資本主義は臨界点に達するだろう。成長を求めるほど危機を呼び寄せてしまう現在、近代そのものを見直して、脱成長システム・ポスト近代システムを見据える。資本家、支配層にとって社会秩序それ自体が本質的には蒐集である。ひとくちに資本主義と言っても時代によってその中身はことなるものの富を「中央/周辺」と言う分割のもとで富を中央に集中させる蒐集システムである点は共通している。飽くなき蒐集を止めない限り金融危機や原発事故や環境破壊等巨大な危機が再び訪れることになる。近代を超える非歴史的選択肢を探る。

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著者プロフィール

1953年愛媛県生まれ。埼玉大学大学院経済科学研究科博士課程修了。博士(経済学)。三菱UFJモルガン・スタンレー証券チーフエコノミストを経て、内閣府大臣官房審議官(経済財政分析担当)、内閣官房内閣審議官(国家戦略室)を歴任。現在、法政大学法学部教授。専門は、現代日本経済論。著書に『正義の政治経済学』古川元久との共著(朝日新書 2021)、『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』(集英社新書 2017)、『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社新書 2014)他

「2021年 『談 no.121』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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