空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む (集英社文庫)
- 集英社 (2012年9月20日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087468823
作品紹介・あらすじ
チベットの奥地、ツアンポー川流域に「空白の五マイル」と呼ばれる秘境があった。そこに眠るのは、これまで数々の冒険家たちのチャレンジを跳ね返し続けてきた伝説の谷、ツアンポー峡谷。人跡未踏といわれる峡谷の初踏査へと旅立った著者が、命の危険も顧みずに挑んだ単独行の果てに目にした光景とは-。第8回開高健ノンフィクション賞、第42回大宅壮一ノンフィクション賞、第1回梅棹忠夫・山と探検文学賞。
感想・レビュー・書評
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4/1読み始め
新年度にふさわしいスタートになるのか
1回目にツアンポーを攻略したと思ったら2回目挑んでた
なかなか読み切らず
どっちもいろんな難あり死にかけながら空白の5マイルに挑む
山登りもいいなあ、なんて思うけど絶対にツアンポーには登らない詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
探検は素晴らしい
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ノンフィクションといえば良いのか、若者の成長物語とも言えそう。死ととなりあわせの冒険に赴く人々の気持ちが、最後につぶやくように記されており、ために冒険者は続き、それを我々は追体験したいのかもしれない。
文章は平易で読みやすく、感情移入も容易。
「冒険は生きることの意味をささやきかける。だがささやくだけだ。答えまでは教えてくれない。」
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2011年7月27日のブログより
(内容)
チベットの奥地にツアンポー峡谷とよばれる世界最大の峡谷がある。この峡谷は一八世紀から「謎の川」と呼ばれ、長い間、探検家や登山家の挑戦の対象となってきた。チベットの母なる川であるツアンポー川は、ヒマラヤ山脈の峡谷地帯で姿を消した後いったいどこに流れるのか、昔はそれが分からなかった。その謎が解かれた後もツアンポー峡谷の奥地には巨大な滝があると噂され、その伝説に魅せられた多くの探検家が、この場所に足を運んだ。
第8回開高健ノンフィクション賞受賞作。読み始めて先ず、3世紀前にも”プラント・ハンター”なる職業があったという事実に驚いた。未開の地に咲く珍しい植物を採取したり種を自国に持ち帰り売って生計を立てる仕事だ。それだけ、先進国は昔から未知なる大陸や植物に目を付け憧れ、自然がもたらす大きな価値を知っていたということか。ドキュメンタリーには苦手意識があるが、とても読み易い文章で、最後まで飽きることなく読むことができた。開高健ノンフィクション賞に相応しい作品だと心から思う。
彼の挑戦は学生時代の2002年と仕事を辞めて挑んだ2009年の2回。良くぞ生還できた。生命をかけてまで冒険する彼らを突き動かす原動力となるものは一体何なのか。角幡が最初にかの地に向かう数年前、日中合同で組織された探検隊の隊員であった同じ大学の人物がこのツァンポー川で遭難し、亡くなっていた。武井氏は先を漕いでいた後輩のカヌーが転覆し後を追いかけて遭難しているが、本書の中の一章にこのカヌーイスト、武井義隆氏について追悼した文章が紹介されていた。
『あの時僕は本流に向かった君の本能的、直感的な判断に大きな感動を覚えました。そこに義隆君の勇気と偉大な人格を見たからでした。君はカヌーを通じて自然を考え、自分を見つめ、自らの人間性を高め、そうした体験の中から自然界の法則を識り人格を高めていったのですね。君の気高い精神は不滅です。あなたにとって冒険は「生きていくための新たな道を開く大きな扉」だった』。更に角幡さんは下記に続く文章を書いている。
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/af/0e325ff6733166b2e5f81767afab43b4.jpg
たぶん、冒険者と呼ばれる彼らは、私たちが営む日常の生活に満足できないのだろう。普通に起きて飯を食べ会社に行き、家庭を持つような平穏な一日は、生死をかけて生きる瞬間瞬間をつないで生きた者にはぬるま湯にしか写らないのではないか。平凡な生活を長く続けるのは不可能で、生きている感覚を感じとれなくなるのではないだろうか。高見に登った人々には孤独な闘いが与えられ、それを貫く生き方を選ぶ厳しく険しい道しかないのではないかと思える。
映像で「極夜」を観てもやはり同じ感想を持った。-
しずくさん、新年明けましておめでとうございます♪
ところで、しずくさんがいいね!をくださった私の『古本道場』のコメント欄にも、書きましたが...しずくさん、新年明けましておめでとうございます♪
ところで、しずくさんがいいね!をくださった私の『古本道場』のコメント欄にも、書きましたが、やっぱり、しずくさんのタイムラインが、私のスマホのタイムラインには、載っていません。
私も、最近、いいね!の数が通常の三分の一以下しか、こないことが、何度かあって、ブクログさんに「もしかしてフォロワーさんのタイムラインに載っていないのでは?」と、問い合わせ中で、年末年始のお休みになってしまいました。
しずくさんのタイムラインも、もし私以外のフォロワーさんのタイムラインに載っていない様子があれば問い合わせた方がいいかと思います。
私はしずくさんの、フォローはちゃんとチェック入っていますから。2024/01/03 -
まことさん、今年もよろしくお願いいたします!
タイムライン(そもそも私自身がタイムラインを理解できていない)のご心配をおかけしています...まことさん、今年もよろしくお願いいたします!
タイムライン(そもそも私自身がタイムラインを理解できていない)のご心配をおかけしていますが、最近「いいね!」の数はあまり気にならなくなっております。理由は、最近レビューを書くのがしんどくなり(加齢かな?)、人様に読んでもらえるような感想を書けていないと恥じ入っていますから・・・。
縁あって来て下さるブク友さんには感謝のしようもありません。励みになり嬉しくなるのも本当です。
まことさんより年長の私も体調はすぐれません。
どうぞお大事になさってくださいね。
2024/01/04
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読後の脱力感が半端ない。
一人旅が好きで、単独登山も(かつてだけど)、冬山もやっていた自分(角幡さんの足元にもおよばないが)にとっては、共感するところが多かった。
情景だけでなく心の動きも見事に描写され、読みながらハラハラさせられた。
最後のことばより。
どこかに行けばいいという時代はもう終わった。どんなに人が入ったことがない秘境だといっても、そこに行けば、すなわちそれが冒険になるという時代では今はない。
濃い緑とよどんだ空気が支配する、あの不快極まりない峡谷のはたして何が、自分自身も含めた多くの探検家を惹きつけたのか。歴史の中に刻みつけられた記憶の像は、地理的な未知や空白などといった今や虚ろな響きのする言葉の中にあるのではない。自然の中に深く身を沈めた時、見えてくる何かの中にこそあるはずだ。
今の時代に探検や冒険をしようと思えば、先人たちの過去に対する自分の立ち位置をしっかりと見定めて、自分の行為の意味を見極めなければ価値を見いだすことは難しい。
パソコンの画面を開きグーグル・アースをのぞきこめば、空白の五マイルといえどもリアルな3D画像となって再現される時代なのだ。そのような時代に昔と同じやり方で旅をしても意味がない。
単独行で、衛星携帯電話といった外部と通信できる手段を放棄することが私の旅にとっては重要な要素だった。丸裸に近い状態で原初的混沌の中に身をさらさなければ、見えてこないこともある。
極論をいえば、死ぬような思いをしなかった冒険は面白くないし、死ぬかもしれないと思わない冒険に意味はない。過剰なリスクを抱え込んだ瞬間を忘れられず、冒険者はたびたび厳しい自然に向かう。
命の危険があるからこそ冒険には意味があるし、すべてをむき出しにしたら、冒険には危険との燃峙という要素しか残らないだろう。冒険者は成功がなかば約束されたような行為には食指を動かされない。不確定要素の強い舞台を自ら選び、そこに飛び込み、その最終的な責任を受け入れ、その代償は命をもって償わなければならないことに納得しているが、それをやりきれないことだとは考えない。
リスクがあるからこそ、冒険という行為の中には、生きている意味を感じさせてくれる瞬間が存在している。あらゆる人間にとっての最大の関心事は、自分は何のために生きているのか、いい人生とは何かという点に収斂される。
死が人間にとって最大のリスクなのは、人生のすべてを奪ってしまうからだ。その死のリスクを覚悟してわざわざ危険な行為をしている冒険者は、命がすり切れそうなその瞬間の中にこそ生きることの象徴的な意味があることを嗅ぎ取っている。冒険は生きることの全人類的な意味を説明しうる、極限的に単純化された図式なのではないだろうか。
ツアンポー峡谷の旅を終えたことで、私は生きていくうえで最も大切な瞬間を永遠に失った、ともいえる。 -
心が震えた。
著者の角幡さんに、そして同様にツアンポー川の激流に挑んだ武井さんに同じ人間とは思えない凄みを感じた。探検家とは何という生き物なのか。
彼らは自らも知らない「業」によって突き動かされている。
探検に挑み半ば意識的に己の命を死地に晒し、しかし全身全霊でその死に抗う。
ツアンポー川に挑み亡くなった武井さんの口癖が強く脳裏に残った。 「ちゃんと生きてるか」 -
探検家の気持ちは、本人にしかわからないかもしれない。それでもその衝動を知りたい、少しは味わいたいから、こういう本を手に取ってしまうんだろう。
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今更ながら角幡さんの初期の作品を読了。
最近の作品に比べて粗削りさや若さも感じるけれど、既に、到達主義的な探検感から、探検の深淵のようなところへ向かって行っているのも感じられて面白かったです。
この探検からさらに歳月が流れ、現在のツアンポー峡谷では、どのように人々の営みがあるのかも知りたくなりました。 -
チベットの奥地に、ツアンポー渓谷があり、人類未踏の「空白の5マイル」と呼ばれる場所がある。そこを目指す冒険ノンフィクション。
ノンフィクションを読んでいる。その中の一冊。
冒険心をくすぐられるが、段違いの熱量を持った著者が何度もツアンポー渓谷に挑み、時には危険な目にあっても実際に行かないと得られない経験を積む様が、スリルと少しの羨ましさを持って読む。実際にツアンポー渓谷に行ってみたいとさえ思う。