堕落論 (集英社文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (268ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087520026

感想・レビュー・書評

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  • 歌手安藤裕子が好きな本で挙げていて気になって手にとった。私には読めなかった。

  • 堕落は一言で言うと、無為自然なのだろうと思った。坂口安吾と言う人物は、そのように凝り固まった常識や、あまつさえ価値観と言うものでさえ超越し、あらゆる物事の枠を外し、冷静なまなざしで物事と対峙する、そう言う鋭い感性を持っている人間だと感じた。これは堕落論だけではなく、日本文化私観における文化と言うものへの冷静な姿勢、ファルスについてにおける、戯作文学、道化に対するスタンスにも共通していた。常識や社会と言うものに骨の髄まで侵されてしまっている人間から見ると、いささか逆説的過ぎるように見える彼の文章も、冷静に読み解いていくと決してそれが逆説を弄しているわけではないことに気付かされる。どこまでも冷静で、冷徹で、独立した強靭さを備えた彼の精神が見ている世界を考えると、我々こそ、我々の社会こそ下らない逆説に満ち溢れているものであった、そう言う気持ちが伝わってくる。

    また正直に言うと、戯作文学を重視する無頼派として、彼のことを誤解していた、むしろ見くびっていたと言う面を反省させられた。
    彼の記していた文学観は、私が常々持っていた芸術論とピタリと一致していた。むしろ彼は、私の芸術論の最大の理解者の一人と位置づけるほうが正しいものだと思った。やはり思想と言うものは、直接触れて見なければいけないのである。
    色には色、音には音、文字には文字の、代用としてではない純粋で絶対的な領域があるはずである。芸術表現が何かの代用になってしまっては終わりなのである。彼はそう言う風に思っていた。現実を表したければ地球にカバーをかけるのが一番良いというのは、本当に痛切な言葉である。

    また彼は文学が専門性を失うレベルまで、表現者が大衆に合わせて降りていく必要はなく、そのレベルまで読者が届いていないというのなら、自らがそのレベルまで上がっていく努力をしなければならないと述べている。これは正に現代に必要とされる警句である。池上彰のわかりやすい解説などと言うものが持て囃されているが、そう言う一種の反知性主義による大衆への迎合は、世界をどれだけでも歪めてしまっている。『世界は思ったほどに複雑ではない』と言う逆説は一人歩きをし、『誤解を恐れずに言うと』が誤解を無視する免罪符へとなっている現代において、大衆が顧客の地位に胡坐をかいているお陰で専門家は専門家たるプライドをかなぐり捨ててでも大衆と言う巨大な凡人のおこぼれ預かろうと必死になっている。奇怪で歪な光景である。このような風潮の走りを、坂口安吾は正確に見抜き、鋭く指摘していたのである。

    桜の森の満開の下は、『文学のふるさと』で述べられていた、透明で、切なく、悲しい『ふるさと』の姿を鮮やかに描き出していた。最後の場面、桜の森の満開の下での透明な悲劇的結末に、我々は突き放され、文学のふるさとを見せられるのかもしれない。

  • 無頼派の一人として、題材治と同じ時代を生きた作家、坂口安吾による書。

    狂人でありつつも、世を俯瞰した文章で綴られた「墜落論」と「続墜落論」。
    思考を戦時中、戦後にスリップさせて読んでみると、その時代の価値に真っ向反逆したような論説。そして現代に貫かれる視線を感じることができる。

    むしろ、坂口安吾が見通した価値が現代に活性されたような感さえある。
    人間は合理的に生きているんだなと感じる。
    坂口安吾は墜落のススメを書き通したのだが、どうだろう、その墜落の果てのようなの現代を、彼はどう見るのだろうか・・・?

    「日本文化私観」もそうだが、彼の目でみた日本文化はもはや伝統文化を遺棄して、今を生きるナマモノの文化を滑稽に語っておられるし、「恋愛論」も、もはや諦観の域に達しており、その「恋愛」という言葉に魅力を感じることができない・・・。が、同時にそこにはウソがない。そんなもんだと思えてしまう。
    「不良少年とキリスト」では太宰治(の死)について言及しつつ、逆ベクトルの「生」について力強く書かれている。「戦う」だなんて、なんと強い言葉だろうか?
    「FARCE(ファルス)について」では、低く見られがちな道化をより高みに持ち上げている。というか芸術の最高形式とまでいっている。
    喜劇や悲劇を包含した観念としてのファルス。その具体については理解しきれなかった。
    「文学のふるさと」でいう”ふるさと”はもはや「ふるさと」の定義すら代えてしまいたくなる。
    坂口安吾は言いきる。「むごたらしく、救いのないもの」だと。
    「救いがないこと自体が救いなのだ」という。

    「風博士」・・・衝撃の結末にあっけにとられた。なんというダジャレだ!しかし、そこに落としどころを持っていくなんて、反則だろうと言いたくなる。

    もはや狂人めいた「桜の森の満開の下」では、狂人が狂人に喰らわれる浮遊観のようなものを感じる。
    桜を子のように表現する人もいないだろう。
    この狂気には不気味さを感じない。
    鬼、とでも言うのだろうか。

    ----------------
    【目次】
    墜落論
    続墜落論
    日本文化私観
    恋愛論
    不良少年とキリスト
    FARCE(ファルス)について
    文学のふるさと
    風博士
    桜の森の満開の下
    ----------------

  • 恋愛論が素晴らしかったです。

  • 「堕ちたら勝ち」
    堕天使だって堕ちてるよ。
    オチないけどね。

  • 旧表紙版を読了。ファンになってしまったかも。なんとなく持ってたイメージとは全然違った。世界を真っ直ぐ見て、その上でそのままの世界を肯定してる人。私の愛する小山田壮平と一緒!特に「不良少年とキリスト」がすごくおもしろかった。太宰の死を太宰を知る者として分析している。そこから見える安吾の生きる意志に感銘を受けた。

  • どうしようもない有事や、ふと見かけた工場の良さを自然体で受け止めるのがいいんであって…、ってことが書いてある気がするが、それを言い始めるとまたもうそれは自然体じゃないよなあと思い始めてしまったりめんどくさくなるw

  • 「日本は負け、そして武士道は亡びたが、堕落という真実の母胎によって始めて人間が誕生したのだ」生きよ、堕ちよ。堕ちること以外の中に人間を救う道はない、と説く「堕落論」。救われない孤独の中に、常に精神の自由を見出し、戦後の思想と文学のヒーローとなった著者の、代表的作品を収録。エッセイと物語。

  • 旧表紙版。
    っちゅーか、この表紙はちょっと違うだろ…と集英社に言いたい。
    代表作とその続編よりも、他の短編の方が面白かった。とても、面白いオッサンだと思います。アウトローで、図太くて、爽快で、とっても面白いオッサンだと。
    この時代の小説の中ではかなり読み易い方なのではないでしょうか。代表作の二作以外は。
    というかこの人の「桜の森の満開の下」が、こんなにあっさりと読めるものだとは思いませんでした。名前と時代的な文章のイメージから、もっと、かっちりした文章かと思っていたのに、十分程度で読めてしまって、肩透かし。
    ちゃんと、面白かったんです、よ?

  • 表紙買いだもん

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著者プロフィール

(さかぐち・あんご)1906~1955
新潟県生まれ。東洋大学印度倫理学科卒。1931年、同人誌「言葉」に発表した「風博士」が牧野信一に絶賛され注目を集める。太平洋戦争中は執筆量が減るが、1946年に戦後の世相をシニカルに分析した評論「堕落論」と創作「白痴」を発表、“無頼派作家”として一躍時代の寵児となる。純文学だけでなく『不連続殺人事件』や『明治開化安吾捕物帖』などのミステリーも執筆。信長を近代合理主義者とする嚆矢となった『信長』、伝奇小説としても秀逸な「桜の森の満開の下」、「夜長姫と耳男」など時代・歴史小説の名作も少なくない。

「2022年 『小説集 徳川家康』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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