- Amazon.co.jp ・本 (268ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087520026
感想・レビュー・書評
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‹内容紹介より›
「日本は負け、そして武士道は滅びたが、堕落という真実の母胎によって始めて人間が誕生したのだ」生きよ、堕ちよ。堕ちること以外の中に人間を救う道はない、と説く「堕落論」。救われない孤独の中に、常に精神の自由を見出し、戦後の思想と文学のヒーローとなった著者の、代表的作品を収録。
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☆4の評価は、『堕落論』と『続堕落論』に関してです。そして『日本文化私観』も参考になる作品でした。
他の作品群については、「読みにくいなあ」という印象で、正直なところ、坂口安吾の作品が好きなのかどうか、と言われると迷いが残ります……。
ただ、『堕落論』と『続堕落論』については、すごい作品だと読むたびに感じます。
世間で広く言われているような「道徳的」な振る舞いや思想は、そもそも人間の本質から外れている、という安吾の主張には、ハッとさせられます。
「農村の美徳は耐乏、忍苦の精神だという。乏しきに耐える精神などがなんで美徳であるものか。必要は発明の母という。乏しきに耐えず、不便に耐えず、必要を求めるところに発明が起こり、文化が起こり、進歩というものが行われてくるのである。日本の兵隊は耐乏の兵隊で、便利の機械は渇望されず、肉体の酷使耐乏が謳歌せられて、兵器は発達せず、根柢的に作戦の基礎が欠けてしまって、今日の無残きわまる大敗北となっている。」
天皇制についても、国民も支配者も"システム"としての天皇制を知りながらそれに進んで騙されていた、と喝破します。
「自分自らを神と称し絶対の尊厳を人民に要求することは不可能だ。だが、自分が天皇にぬかずくことによって天皇を神たらしめ、それを人民に押し付けることは可能なのである。そこで彼ら(歴史上の支配者たち)は天皇の擁立を自分勝手にやりながら、天皇の前にぬかずき、自分がぬかずくことによって天皇の尊厳を人民に強要し、その尊厳を利用して号令していた。」
そして安吾の求める"堕落"とは、
「人間の、人性の正しい姿とは何ぞや。欲するところ素直に欲し、厭な物を厭だと言う、要はただそれだけのことだ。好きなものを好きという、好きな女を好きだという、大義名分だの、府議はご法度だの、義理人情というニセの着物をぬぎさり、赤裸々な心になろう、この赤裸々な姿を突き止めみつめることがまず人間の復活の第一の条件だ。そこから自分と、そして人性の、真実の誕生と、その歴史が始められる。」
ということでした。
おためごかしや建前、メンツなどにこだわらず、自身の欲求に素直に生きることが大切だ、という安吾の主張は、今の社会でも十分に通用するものではないでしょうか。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
安吾の随筆は韜晦的というか、安吾が裡に持っているであろうものをこれぞとすぐ曝け出してくれないもどかしさを感じる。これだけ饒舌に語ってくれているのにそう感じるのは、私の理解力が乏しいのと、「〜は、〜だ。」という断定ではなく「〜は、〜ではない。」という否定の印象が強いせいだと思うけど。
何か私個人にとってもとても大事なことを言ってくれている気はする。ただどうも杳として掴めない。くやしい。いつかまた安吾に戻る時にはもう少し確かな感触を得たい。 -
敗戦によって、近代日本の茶番劇だったことは暴露されたが
それだからといって卑屈になることはない
背を向けるにせよ、居直るにせよ
誰もが地に足をつけて生きる必要にかられている
その真摯さを堕落と呼ぶならそれもいいだろう
ならば我らは生きるために堕ちるべきなのだ
といったような
茶番をなつかしむ感情と否定する感情の錯綜するうちに
混乱の中で編まれたエッセイ・短編小説集
「桜の森の満開の下」
美は崩壊する茶番劇にほかならない
それにとりつかれ、翻弄されて、茫然自失の男を描いた本作は
決戦を避けて生き延びた日本男児たちの戯画である
現実がそんな美しいものではなかったにせよ
太宰の「桜桃」と並べ、戦後無頼派の代表作と呼ぶにふさわしい -
久保帯人先生作画版の表紙のを購入。
小説…?かと思いきや、タイトルのとおり、随筆でしたね。
現代文学って、文章がかたくて読みにくいイメージだったのですが、安吾の文章はとても読みやすくて、現代文学に対するイメージを払拭される思いでした。
堕落論は、すごく共感する思考で、自分の中にあるものに言葉を与えてくれる本だなあと思いました。 -
2回目の読了。初めて読んだとき、
「私は坂口安吾の文章は、なんだかきらいだ」
と感じたのだが、数年ぶりに読んで、前回とはまた違う感想。
堕落論・・・悪くないかも。
それが、内的要因なのか外的要因なのかは分からないけれども。
私が文学に対して冷めたからなのか、
安保法案が問題になっているご時世だからなのか・・・
そして安吾の文章は、太宰治に通づるところがあるし、その内容は会田誠に通づるところもあるなあと。
(太宰治のことを、フツカヨイ的だと言っていたのはなるほどと思った)
坂口安吾のいう「堕ちる」とは、「存在する」ということなのかなあと思った。 -
アナーキー?ただただ饒舌です。
乱暴な文かと思いましたが、しっかり整合が取れていて愛も感じます。
桜の話は食欲なくすくらい気持ち悪いですが、最後が儚いというかなんというか、美しさも感じるようなお話です。
作中で仰っていたのはこういうことなのか? -
圧倒的否定力。それが彼の強みなのではないだろうか。世間の常識を撃ち抜く透徹とした視線。戦後悲嘆にくれる社会にあって彼の論説はスカッとさせるものでもあり、彼自身抑圧されてきた民衆にとっての代弁者であったに違いない。
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安吾は小説しか読んで来なかったのだけど、語り口が小説よりも気持ち良かった。
多少空回りに思える部分もあるけれど、そこもまた好感を持てる。
及び腰より勇み足の方がずっといい。
どれも面白かったけれど、太宰治について書いた「不良少年とキリスト」が特に。 -
一回読んだだけではこの坂口安吾の面白さは把握出来ない。この小説の力に圧倒されっぱなしで、何か大きな流れに唯々諾々と翻弄されていつの間にか読み終えていた感じ。レビューにもならないが、それだけ底知れない何かをこの人の小説に感じた。またゆっくりと読み直したい。