- Amazon.co.jp ・本 (160ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087716559
感想・レビュー・書評
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Round 0 イントロダクション
Round 1 心をつかむ
Round 2 組織論
Round 3 グローバリゼーション
Round 4 時間管理術
Round 5 どこに住むか
Round 6 才能
Round 7 大勢の考えを変える(マーケティング)
Round 8 未来
Round 9 正義
Round10 教養小説―大人になるということ
Round11 国語教育の文学
Round12 児童文学 読書は感想戦―あとがきにかえて詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
本の読み方。
何冊か気になる本を発見した。 -
なかなか面白かった
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20180723
世界という書物を直接読破するために、考えるべき視座を持つために、本を読むことが大事である。
インプットするのではなく、自分の思考と戦わせて、アウトプットの糧にしなくては読書に意味はない。
その思考と戦わせる方法の一助を説いたのが、『読者は格闘技』である。瀧本氏の思考様式である、細かい単位でメリットデメリットを比較して論点を深掘りする読み方が非常に参考になる。以下はそれぞれの章で感じたことを列記する。
・フラット化 VS 文明の省略
・影響力を与えるには合理性と、他人の不合理性を考慮する必要あり
・ストレスフリーのために、頭から出して管理する思想は共感。方法を自分なりに生み出したい。
・情報を得られる、かつ、対面での情報収集はとても大事。
一方、心を休めるリゾートの意味で地方も大事。
・才能を持って、行きて行くためにどう生かすか。資本主義。お金を稼ぐ必要はあり。
・キャズムは参考になる。ターゲットはとことんまで細分化して良い。
・未来はディストピアと思う。人間の愚かしさは終わらない。しかし、自分で未来を作るというユートピア発想は何かに活かせるかも。
・正義論。コミュニティでの対話で決めるしか無いという考えだったが、人も情報も移住が増えてきている現代では、地域のコミュニティで対話もむすがしい。かつ意義も薄れてしまっている?
・ヴィルヘルムマイスターとタッチは読んでみたい。
・国語の教科書に載せている理由など考察し直すのは面白いかも。
・ハリーポッターの世界観が進化していっているという発想は興味深い。映画を観たい。
インプットではなく、アウトプットするための読書法を学ぶ。
自分の考え方の視座を持っていないと論文への同意点、相違点が分からない。その考え方を意識して読む。 -
ちょっと読むだけで、著者が非常に頭の良い、多くの本を読んできている人物である事が分かる。
「格闘技」となっているけれども、全般的に穏健な内容。著者本人が、刃物を持って、取り上げた本に対して挑みかかる様な部分があっても良いように思えたが…
ハリポタシリーズのこと頁が一番楽しく読めた。
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似た題材を扱った本を2つ並べて批評した本。一度読んだことのある本でも、並べて比較したことはなかったので新たな発見を見せつけられた。かつて読んだ本を再読したい気分になった。
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だれかに紹介されたり、指示されたりして読む本が身につかないのは、読み手側の問題だと思います。
自分の考えを壊し、新しい考え方を提示するような本は、普通に読むと、文章は頭に入らず、読んでいて腹がたって不快に感じることが多いからです。
文字だけを追い、読了すること、感想を求められたときにとりあえずいっぱしのことを言うために読む本は、まったく読まないよりはまし、というだけで身にはなりません。
誰もが価値を認める二冊を対決させ、その両側から論じていく紹介方法は「矛盾」の対決を目の前で見せられているようでスリリングです。
何を読めばいいのかが分からないとき、古典に戻ろうと思ったときに、指針になる本です。 -
☆☆☆ 本を批判的に読むことが、本vs人間の『格闘技』であり、また、あるテーマについて、全く異なるアプローチの本2冊を比較検討することも、本vs本の『格闘技』だと言う。心をつかむ、組織論、グローバリゼーション、時間管理術、どこに住むか、才能、マーケティング、未来、正義、教養小説、国語教育の文学、児童文学の各テーマごとに2冊+関連本6冊を紹介している。取り上げる本のジャンルの幅広さと読解力に脱帽した。著者のように、読んだ本をもっと自分の血や肉にしなければ。
p15
極端な状況から導かれた理論であるから、読者はその文脈を捨象して自分の事例に当てはめて理解しようとし、その結果、よりその考察を自分のものとして理解することになるのである。
p33
書店には、成功した人物が書いた、多くの読者を対象にしたやや自慢話風の「天国のような話」が今日も並んでいる。しかし、本当に天国に行く方法を知りたいのであれば、地獄を見た人達の明日の生活をかけた、いわば、血と汗で書かれた書籍を読むべきなのではないだろうか。
成功には偶然の要素もあり、その要因は本人にもわからないことが多いのに対して、失敗は再現性がある。当人が高い授業料を払って学んだもので、そこから得るものは多い。もちろん、自分で高い授業料を払って学ぶのも一つの手ではあるが、時間もお金も有限なのだから、授業料は他人持ちにして、他人が失敗から得たものを学ぶ方が、コストが少なくて良いと思う。
p87
どのような問題に困っているどんな人向けのサービスで、今あるどのサービスとも違う何が提供できるのか、これを明確にしろ
p105
つまり、フィクションには読むことだけではなく、書くこと自体にも思考を広げる効用があるのだ。我々は、何らかの社会的な常識や既存の思考枠組みの制約に囚われ、それらは新しいアイディアを創り出す障壁になってしまう。 -
対立する見解を主張する本を戦わせるような形式で紹介する本。
組織論やグローバリゼーションについて多様な見方があることを知れる。 -
本屋に行けば「ブックガイド本」というジャンルの書籍が並び、雑誌『サイゾー』でも「本特集」は人気の企画のひとつ。いったい、どんな本を読めばいいのか? という指針を探している人は少なくないようだ。しかし、ブックガイド本を読むくらいならば、そこに紹介されている本から手を取るほうが早いのではないだろうか? いったいなぜ人は「ブックガイド本」を手にとってしまうのだろうか?
『武器としての決断思考』(星海社)、『僕は君たちに武器を配りたい』(講談社)などで知られる瀧本哲史の新著『読書は格闘技』(集英社)は、「組織論」「グローバリゼーション」「教養小説」「児童文学」など、11のテーマごとに読むべき本を紹介するブックガイド本である。本書の中で、瀧本は「読書は格闘技」であり「書籍を読むとは、単に受動的に読むのではなく、著者の語っていることに対して、『本当にそうなのか』と疑い、反証する中で自分の考えを作っていくという知的プロセス」と持論を展開する。瀧本は、いったいどのような形で「格闘」を繰り広げているのだろうか? いくつかの例を見てみよう。
本書の中で、瀧本はテーマごとに、アプローチの異なる2冊の本を取り上げる。「心をつかむ」というテーマであればカーネギーの名著として知られる『人を動かす』(創元社)とロバート・B・チャルディーニの『影響力の武器』(誠信書房)を、「組織論」というテーマであれば、ジム・コリンズ、ジェリーポラスの『ビジョナリー・カンパニー』(日経BPマーケティング)と、マキャベリの『君主論』(講談社学術文庫)をそれぞれ「マッチメイク」している。では、瀧本の立場はその2つの間に立つレフェリーなのだろうか?
褒めるところは褒め、批判するべきは批判する瀧本は中立を保つレフェリーに似ている。しかし、彼の役割は、勝ち負けをつけることではなく、2つの書籍にどんな使える「武器」が眠っているかを掘り起こすこと。『フラット化する社会』(日本経済新聞出版社)と、サミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』(集英社)を紹介する「グローバリゼーション」のページでは、2004年に刊行され、もうすでに「古典」と化している前者を「どこが古くてどこが新しいのか、何が一時的なブームで何が大きなトレンドなのかを自分で考えるための素材」として紹介し、アメリカ中心で描かれ、事象を単純化していると批判されることも少なくないる後者を「この20年間を冷静に振り返ってみると、各地域で『文明の衝突』とみられる紛争が数多く起きている」と擁護する。
また、「教養小説」のテーマでは、ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』(岩波文庫)とともに、なぜかあだち充の『タッチ』(小学館文庫)が取り上げられる。「主人公が大人になるまでの過程を描く小説」と定義される教養小説というジャンルにおいて、両者を比較して見えてくるのは「大人」というイメージの変遷。方やヒロインの朝倉南をモチベーションとして、甲子園に出場しても野球を続けることに「疲れた」という個人的な自己承認の物語である『タッチ』に対し、「意識高い系学生」に似ているというヴィルヘルム・マイスターは旅をしながら新たな人物に出会い、自己を形成し、再び日常へと戻る。時代ごとに、「大人になる」という定義は異なっているようだ。
瀧本にとって、読書は、著者の高説を賜るものではなく、「武器」を引き出し「世界という書物を直接読破」するためのツールである。2冊の本を取り上げることによって、複眼的にテーマに迫る瀧本の姿勢から見えてくるのは、彼がどのように「世界を読解しているか」ということ。だから、文芸としての「読書の楽しみ」や狭い意味での「教養」はここには描かれていない(瀧本はあとがきで「教養について考えるのであれば、『自分にとって』読むべき本、読む必要のない本を判断することが『教養』と言えるだろう」と語っている)。
書物を読みこなすのではなく、世界を読みこなそうとしている瀧本の記した『読書は格闘技』は、単なる紹介には終わらない魅力を持っている。では、そんな瀧本の「格闘スタイル」から、読者はどのような武器を取り出すのか? ただのブックガイドにとどまらず、読者はそんな「格闘」に迫られることだろう。