TOKYOオリンピック物語

著者 :
  • 小学館
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  • Amazon.co.jp ・本 (283ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784093881043

感想・レビュー・書評

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  • 1964年(昭和39年)に開催された東京オリンピック。
    数多くの素晴らしいストーリー、伝説、名言がある中、本書は大会を裏で支えた人たちについて取り上げている。

    赤い太陽のポスターをつくった人、競技結果の速報システムを構築した人、選手村の料理を提供した人、はじめて民間として警備組織をつくった人、記録映画を残した人、グラフィカルな案内板であるピクトグラムをつくった人だ。

    戦後の荒廃を乗り越え、世界第二位の経済大国へ躍進する日本の象徴的なビッグイベントであった東京オリンピック。

    無報酬で、まさに手弁当持参で立ち上げに尽力した人々。

    「お国のため」という精神がまだ残っていた当時、未曾有のイベントを大成功に収めることができた。

    果たして今の日本で可能なのだろうかと考えさせられた作品であった。

    印象に残った箇所

    ・待っていても、何も起こることはない。待ちの姿勢が日本社会の元気を奪ったのだ。

    ・そこで活躍した人々は、従来の仕事のやり方にとらわれることなく、自己変革を繰り返しながら目的を達成した。他人任せにして、いつかは問題が解決する、いつかは景気がよくなると念じていた人間ではない。

    ・ワールドカップなどの国際的なイベントで大会独自のマークやロゴタイプが作られるようになったのも、オリンピック東京大会の先例があるからだ。

    ・ふところに残ったのはわずか5万円だ。しかし、金じゃない。オレは日本のために引き受けた。

    ・画家のタブロー(油絵)は、紳士が玄関から訪問するようなものだが、ポスターは強盗が斧を持って窓から闖入するようなものだ。そのくらいでないと大衆は注意を払ってくれない。

    ・「役人は前例踏襲が命」と言われているが、当時の役人、国鉄関係者の頭脳は躍動していた。

    ・村上は毎日、必ず現場にいるようにした。選手がどのように料理を気に入るか、食べ残ししている選手がいるかいないかをチェックするには食堂にいるのが一番だ。

    ・フランス人の料理人は日本人が手を洗わなかったり、下着姿で働いているんじゃないかと邪推していたのである。

    ・彼らがとかく「お国のため」と言ったのは、オリンピックは久しぶりに国家に身をささげる思いで働くことができた場だったからだ。

    ・「結局、誰が勝つのかは走ってみなきゃわからない。俺たちがやるのはどういう展開になろうとも、それなりの絵を撮ることだ。

    ・廃墟から立ち直った日本の先頭に立って働いてきた世代です。その人たちが総力戦で立ち向かったのがオリンピックでした。とにかく、先生やまわりの先輩たちは夜も寝ずに、神経を張り詰めて、ひたすら働いていました。

    ・日本人が大好きな絵文字の元祖がピクトグラムなのだ。

    ・著作権料を要求したら、ピクトグラムは普及しないと思ったのでしょう。

  • 出張先の所沢駅前ドトールで読了。

  • 亀倉雄策氏の件が抜群に面白い。この部分だけを深堀して一冊にした方がよかったかも。その他は今ひとつ。特にセコムの部分は付け足しのような印象。

  • 亀倉雄策は言った。
    「日本人は時間を守るとか団体行動に向いているというのは嘘だ。どちらも東京オリンピック以降に確立したものだ。みんな、そのことを忘れている」

    戦後まだ十数年の頃、ただ好況を待つだけの姿勢は持たなかった人々が、一斉にひたむきに東京オリンピックを作り上げた、その縁の下を描く。
    焦点が当てられるのは、グラフィックデザイナ、シェフ、映画監督ら。特にデザインの話と選手村で供する給食の話に面白みを感じた。

  • 東京オリンピックを開催するために、多くの“はじめて”物語が生まれた。赤い太陽のポスターに代表されるライトパブリシティ亀倉雄策による広告制作。記録を速報するための日本IBMの競技データオンライン処理システム開発。1万人に及ぶ選手に飲食を提供する帝国ホテル料理長村上信夫をはじめとする一流ホテル料理長による選手食堂運営。日本で初めて生まれた民間警備会社(現セコム)の会場警備。記録映画「東京オリンピック」制作のため市川崑監督のもとに集まった各社ムービーキャメラマンによる記録映像。勝見勝の統括によるデザイン計画とシンボル部会が作った世界初ともいえるピクトグラムの開発。この本には高度成長期に向かう時代に生きた人々の熱意が記されている。彼らは手探りながらがむしゃらに様々な工夫をしオリンピックを作り上げた。そしてその工夫は現代の我々の生活にしっかりと結びついている。今年は大きな災害に見舞われ、国や生活の在り方が問われている。そんな時、1960年代の彼らのバイタリティは参考に・・・いや、手本になると思う。良い時期に良い本に巡り会えた。

著者プロフィール

野地秩嘉(のじ・つねよし)
ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経て現職。人物ルポルタージュ、ビジネス、食、芸能、海外文化など幅広い分野で執筆。著書は『サービスの達人たち』『イベリコ豚を買いに』『トヨタ物語』『スバル―ヒコーキ野郎が作ったクルマ』『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『ヤンキー社長』『新TOKYOオリンピック・パラリンピック物語』『京味物語』など多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。

「2022年 『伊藤忠 財閥系を超えた最強商人』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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