- Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101005126
感想・レビュー・書評
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随分前から積読してあった本です。
何度も途中で挫折してこれは大人になったら面白さがわかる本なのか(十分大人なんですが)と思ったら『世界は文学でできている』で楊逸さんが中高生にお薦めしていたので、慌てて読んでみました。
読んでいるうちに、だんだん面白くなってきて、読むスピードが上がっていきました。
『細雪』というタイトルですが、雪の降る場面はどこにもないそうです。
昭和十年代の大阪船場に古いのれんを誇る蒔岡家の四人姉妹、鶴子、幸子、雪子、妙子、そして幸子の娘の悦子の五人の女性の物語です。
大変雅やかな文章です。
三女の雪子は姉妹のうちで一番美人ですが、縁談がまとまらず、三十歳を過ぎ独身で、幸子夫婦の世話になって見合いを繰り返しています。
妙子も独身ですが、妙子は奔放で、若い頃駆け落ちのようなことをしたことがあります。
鶴子だけは東京に住んでいます。
京都での春のお花見の場面が美しくなんとも印象的でした。
p149より
「それはこの桜の樹の下に、幸子と悦子とがたたずみながら池の面に見入っている後姿を、さざ波立った水を背景に撮ったもので、何気なく眺めている母子の恍惚とした様子、悦子の友禅の袂の模様に散りかかる花の風情までが、逝く春を詠歎する心持を工まずに現わしていた。以来彼女たちは、花時になるときっとこの池のほとりへ来、この桜の樹の下に立って水の面をみつめることを忘れず、且つその姿を写真に撮ることを怠らないのであった」
P150より
「忽ち夕空にひろがっている紅の雲を仰ぎ見ると、皆が一様に、「あー」と、感歎の声を放った。この一瞬こそ、二日間の行事の頂点であり、この一瞬の喜びこそ、去年の春が暮れて以来一年に亘って待ちつづけていたものなのである。彼女たちは、ああ、これでよかった、これで今年もこの花の満開に行き合わせたと思って、何がなしにほっとすると同時に、来年の春も亦この花を見られますようにと願うのであるが、幸子一人は、来年自分が再びこの花の下に立つ頃には、恐らく雪子はもう嫁に行っているのではあるまいか。花の盛りは廻って来るけれども、雪子の盛りは今年が最後であるまいかと思い、自分としては淋しいけれども、雪子のためには何卒そうあってくれますようにと願う。正直のところ、彼女は去年の春も、去々年の春もこの花の下に立った時にそう云う感慨に浸ったのであり、そのつど、もう今度こそはこの妹と行を共にする最後であると思ったのに」
以下中巻に続く。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
まことさんのレビューを見て、読んでみました。
大阪船場の旧家、薪岡家の四姉妹、鶴子、幸子、雪子、妙子。両親は何年か前に亡くなり、長女鶴子夫妻が本家として一家を仕切っている。本家の旦那(婿養子)は、三女の雪子や四女の妙子に疎ましがられているので、雪子、妙子は本家よりも、芦屋の幸子夫婦の家に居着いている。
時代は昭和の初め、戦争前。雪子(30歳くらい)と妙子(25歳くらい?)はまだ独身。妙子には結婚を約束している恋人がいるが、姉の雪子を追い抜いて先に嫁ぐ訳にはいかない。雪子は美しく、年齢よりもかなり若く見えるが、何故か縁遠く、結婚がなかなか決まらない。良家のお嬢様であるので、条件が難しく、良い話があっても、本家の綿密な調査により何か相手に問題が見つかり、断ることになってしまうのだ。上流階級のお嬢様も大変だ。羨ましくもならないが、戦争前の喧騒を他所に、おっとりした優雅な美しい世界。長女は「姉ちゃん」、次女は「仲姉ちゃん(なかあんちゃん)」、三女は「雪姉ちゃん(きあんちゃん)」、末の娘は「こいさん」と呼ばれている。
毎年、幸子一家と雪子、妙子で京都へ花見へ行く恒例行事がある。その日のために彼女たちは選りすぐりの着物を用意して、平安神宮、嵐山、御室など、京都の桜の名所を巡る。桜は勿論美しいが彼女たちの姿も目を見張るくらい美しく、「写真を撮らせて下さい」という人が必ずいる。幸子は思う。来年もここでこうして、三姉妹で桜を見られるか?と。雪子と妙子が娘さん(とうさん)でいてくれる間はこのように三人揃って桜を見られるが、二人が嫁いだらこの行事はなくなってしまうと。二人の行く末(特に雪子の)を案じながらも、二人が娘さんでいてくれる時を惜しんでいる。
下巻の解説を読んでみたら、三島由紀夫が「谷崎潤一郎は戦争の影響を受けていない唯一の作家で、源氏物語の世界を現代に蘇らせた人」というようなことを言ったとか書いてあったが、なるほど、源氏物語の世界と同じで、滅びゆく上流社会の美しい世界を文学という形で残して下さったのだと思う。
感情が揺さぶられる類の小説でもないし、続きが気になるタイプの小説でもないと思いながら読んできたが、終盤になって少し続きが気になり出した。本家の旦那さんが東京に転勤になり、大阪の本拠地がなくなったのだ。東京に引っ越した本家。慌ただしく見つけた借家は手狭で、呼び寄せられた雪子の部屋もないほどであるが、丁度親の財産も尽きてきて、「蒔岡家」の名前も通っていない東京で上流家庭のプライドを通して暮らす必要もなく、世間並に節約し、中流家庭のような暮らしを始めるようになり、雪子たちのことにもうるさく言ってこなくなった。
雪子の縁談がまた破談になった。見合いを口実に神戸に帰ってこれた雪子もまた、東京本家に戻らねばならなくなった。時代の変わり目、この先、雪子は?蒔野家は?どうなるのだろう。
中巻に続く。
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Macomi55さん。こんにちは。
Macomi55さんは近代文学のレビューが大変お上手だといつも思っていました。
芥川龍之介、私も...Macomi55さん。こんにちは。
Macomi55さんは近代文学のレビューが大変お上手だといつも思っていました。
芥川龍之介、私も好きで、再読してみたりしているのですが、何しろレビューが書きにくくて。Macomi55さんのレビューから、コツを盗みたいと思うのですが。なかなかですね。2021/05/03 -
まことさん、こんにちは。
いつも「いいね」有難うございます。
私は遅読であるため今までの読書数が少なく、今はとにかく「死ぬまでに読んで...まことさん、こんにちは。
いつも「いいね」有難うございます。
私は遅読であるため今までの読書数が少なく、今はとにかく「死ぬまでに読んでおきたい名作」を中心に読んでいます。
谷崎潤一郎に関しては私好みでなさそうで、今まで避けて通っていましたが、まことさんのレビューを読んで「細雪なら読めそう」と思い、今回挑戦しました。
私も大人になって○十年経ちましたが、十年前に読んでいたとしたら投げ出していたかもしれません。
他の方のレビューが助言になって読む経験が出来る本、沢山ありますね。
有難うございました。2021/05/03
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谷崎潤一郎と言えば、言わずとしれた文豪。
恥ずかしながら、28歳にして初めて読んだ。それがこの「細雪」だった。
最初こそ文章に少しだけ難解さを感じた。けれど同じ言い回しが頻出するので、慣れてくるとスラスラと読めてしまう。例えば「入ってくる」は「這入ってくる」と書かれるのだけど、読みすすめる内にルビ無しでも読めている自分がいた。
内容はと言えば、果たして、面白かった。
あらすじはこの通り。
> 大阪船場に古いのれんを誇る蒔岡家の四人姉妹、鶴子、幸子、雪子、妙子が織りなす人間模様のなかに、昭和十年代の関西の上流社会の生活のありさまを四季折々に描き込んだ絢爛たる小説絵巻。
なるほど。上流階級の4姉妹とのことで。高飛車な話かもしれないと気構えたいたのだけど、全くの杞憂だった。
それぞれに個性の違う4姉妹を愛しいと思えれば、この小説にはハマれると思う。自分の嗜好として、女たちがやいのやいのしているだけで好きなので、存分に楽しめた。
4姉妹に限らず、細雪で描かれる人々はとても可笑しくて愛くるしい。人間臭さが全開で、愛おしくて仕方なかった。谷崎潤一郎の人間への愛と、真っ直ぐな観察眼があってこその作風だと思わされた。
決して劇的にストーリーが展開されるわけではないけど、ゆっくりと流れる時間の中で、人間が愛おしくなるような小説だった。
谷崎潤一郎はこんな作家だったのかと。純文学にはこんな小説があったのかと。新鮮な発見をした想い。少しだけ自分の純文学嫌いが解消されたかもしれない。
細雪はなんと三部作。中巻と下巻を読むのが今から楽しみ。
(書評ブログの方もどうぞ、宜しくお願いします)
https://www.everyday-book-reviews.com/entry/%E4%BA%BA%E9%96%93%E3%81%8C%E6%84%9B%E3%81%8A%E3%81%97%E3%81%84%E3%81%A8%E6%80%9D%E3%81%88%E3%82%8B_%E7%B4%B0%E9%9B%AA%E4%B8%8A_%E8%B0%B7%E5%B4%8E%E6%BD%A4%E4%B8%80%E9%83%8E -
昭和7年、谷崎から結婚前の松子御寮人への手紙
「もし幸いに私の藝術が後世まで残るならば、それはあなた様というものを伝えるためと思し召してくださいまし」
昭和10年、谷崎、松子御寮人と結婚(3人目)
昭和17年、「細雪」執筆開始
昭和18年、上巻刊行後、掲載を止められる
松子夫人から谷崎への手紙
「私の手でできる限り写したく、一二年全力を注いでみようと存じます」
◇
戦前の彼女らに、胸がこがれる上巻。 -
戦争中は言論統制によって発表の場を奪われていた『細雪』だけれど、上巻はどこに差し支えがあったのかわからないのんびりホームドラマ。というか雪子がはっきりしなさすぎで驚き呆れる。上流なのか関西なのか、まったく別文化の世界。
着飾った三姉妹が外出するシーンが、においたつようなうつくしさ。これは映画化されるのがよくわかる。あと、ウサギの耳というか足の話は、谷崎らしいなと思った。 -
俄然、おもしろい、うまい。ま、当たり前なんだけど。大作家谷崎潤一郎なればこその名作。
のっけから船場言葉「こいさん」だの「とうさん」だの「ふん、ふん」が頻発なのだが、そこは江戸っ子作家からみた関西なのでくみし易い。谷崎潤一郎は上方の生活文化を愛情込めて書き込んだ。
さて、あらすじ、没落はしたが船場育ち四人姉妹の三女雪子が30歳なのにお嫁にゆき遅れている。
昔よ(昭和12、3年ころ)、びっくり!だから最初から最後までお見合いの連続。
あいまに、物見遊山、観桜、蛍狩り、年中行事、食べ歩き。そして、大洪水の恐さ、大病、などの事件、大阪神戸と東京を行ったりきたりの変化、ほんとあきさせない。
でも、観桜のきらびやかさとか着物の派手さだけでは終わらないのがこの物語。
いろいろな読み方はあるだろうが、私は物語が進むにつれ明確になる四姉妹、鶴子(長女)幸子(次女)雪子(三女)妙子(四女)のキャラクターをことさら楽しんだ。特に主人公雪子のキャラは想像力を掻きたてられる。何を聞いても自分を出さずに「ふん、ふん」といっていてとらえどころがないようだが、芯が強い性格、でなければあの行動力はなんなんだということになる。意見だってことさら言わなくても通すしぶとさを持っているのだ。
阪神の土地勘を知るのもよし、意外や(といっては悪いが)当時の第二次世界大戦前夜のきな臭い感じ、庶民のせつなさも書き込まれているのでを味わうもよし。終わりまで完璧に引っ張っていかれる。
勿論、構築がきちんとした格調高い耽美派の名作ではある。堪能した。
うーん、山崎豊子の「女系家族」[華麗なる一族」の世界はきっとここから来たのね、とちょっとひらめいた。「女系家族」[華麗なる一族」も格別おもしろかったから。 -
大阪の旧家の四姉妹が繰り広げる、四季折々の物語絵巻。
この作品を読んだころ、私は「名作って、読まなきゃいけないのかなぁ」なんて考えていた。
というのは、高校の図書室の先生と仲良くなって、彼女に名作をもっと読むことを薦められていたからだ。
そこで漱石とか三島とか、ちょびっと読んでみたのだが、どうにものめり込めない。
怠け者の私は、「ああ、やっぱり私には早いんだ」と単純に考えて、名作からしばらく離れていた。
ところが、ちょっとした偶然から(?)私の敬愛する作家である恩田陸氏が「自分の中で面白い小説」とかいう本を3冊紹介しているのを読んで、その中にこの『細雪』が挙げられていた。
そんなわけで、名作素人の私はいきなり、上中下巻の大作の『細雪』を手に取ったわけである。
この本は私が今まで抱いていた「名作」のイメージとは、全く違う本だった。
まず、会話が全部関西弁というところからして驚きのはずなのだが、名作初心者の私はそんなことには全く気づかず、一文がとにかく長いことにびっくりした。
それまではなんとなく、名文と言うのは贅肉のない簡潔でストイックな文章のことだと思い込んでいたのだ。しかし、この本ではゆらゆらとしかし不思議にたおやかな文章が、取り留めなく語られている。それが不思議と心地よく、姉妹の会話がそのまま耳に聞こえてきそうで、面白かった。
また、人間の機微や心理描写など、じれったくなることを細々と書かない乾いた語り口にひかれた。私は基本的に、アンニュイな湿っぽい雰囲気が苦手なのである。
というわけで、この本は初めて「名作も面白いんだ」と思うことが出来た、私にとっての記念の本なのだ。
名作だからのめりこめなかった、というのではなく、新刊でも自分に合う合わないがあるのと同じように、名作にも相性があるだけなんだ、とこの本が気づかせてくれたのである。 -
1948年(昭和23年)。
しっとりとした日本情緒と、瀟洒な昭和モダンの雰囲気、双方が味わえる風雅な風俗小説。前者の象徴として雪子が、後者の象徴として妙子が配置されていて、その対比も面白い。それもステレオタイプに美化されているのではなく、内気な雪子が実は強情で口論となると舌鋒鋭かったり、怖いもの知らずにみえる妙子が案外意気地がなかったりと、人物造形がリアルで生き生きしている。世間体を気にする所や、金銭的にガッチリしている所も、関西人らしくて楽しい。幸子が桜に思いを馳せるくだりでは、日本人なら誰もが感じ入るところがあるのでは。 -
昭和天皇に献上され読まれたという大衆小説。
現代であれば芥川賞を受賞するタイプの作品。
そっくり百年間時計の針を戻したような、市中のとある旧家を描いた物語。
もったいつけたような表現が多いが、それが余計に登場人物の心情をようよう描いている。面白い。 -
第二次世界大戦直前の暗くなっていく世相のなかにおける旧家の4姉妹の生活を綴る。谷崎文学特有の悪女は存在せず、一人一人個性の異なる4姉妹のある意味のほほんとした物語だ(他作品と相対して)。かと言って平凡な小説かといえばそうでもなく、全体から芳醇に漂っている良くも悪くも現代の庶民感覚とは遠いどこか王朝時代の貴族的な、華やかさ、美学を堪能できる作品である。
会話文では柔和な船場言葉が使われており、より一層作品の温かみ、丸みを演出できている -
『春琴抄』『痴人の愛』に続き、同著者の小説もこれで3冊目。どれもこれも非常に魅力的だけど、いわゆるマゾヒズム的美しさ・妖しさがある前2作とはやや異なり、失われゆくものの美しさが上中下巻のいたるところに散りばめられている。溜息が出るような儚さと美しさを前に、何度も読む手を止めて感慨に耽った。
全体の感想は下巻にまとめ、上巻の感想をカンタンに。
いつの時代にもあるであろう旧世代と新世代の考え方の違い、大きな事件は起きないがありふれた喜劇と悲劇の交じった日常がこれでもかというほど美しくほっこりと描かれる。雪子がかわいい(「かわいい」風に描かれている、という感じもする。都合のいい、とでも言ったらいいだろうか)。
花は散りゆく故に美しい。燃え上がり、燃え尽きるまでの過程こそが美しい。そんな日本(海外にもありそうなもんだけど)の美学をひしひしと感じる小説だけど、自分の人生に置き換えたら散っては困るし燃え尽きても困る。細雪のような、手のひらに付いたそばから融けてしまう儚さ。それをどうして美しく感じてしまうのか。美しいって何なのか。 -
文庫版、上中下合わせて1000p超
ドラマの脚本の様な淡々とした筆致でここまで読ませられるのかと驚愕。
描写が美しい、言葉が美しい作家は巷に溢れているが、なにより本作は、というより谷崎は日本語が美しい。
特にこの『細雪』は谷崎の到達点だと感じる。 -
初めて読んだ高校生時代、特に読書が好きでもなかった自分がかなりな長編にも関わらず夜更かしして読みふけった。数十年ぶりに読み返してみたけど、相変わらず魅了された。それぞれに個性の違う4人姉妹の一人一人をみずみずしく描いているところに、谷崎潤一郎の女性へ向ける愛情を感じる。また、庭の緑や天候など、身近な季節の移ろいの表現が素敵。京都への花見の場面で丹念に綴られる描写の中には現存する料理屋などもあり、それらを調べて想像にディテールを補う作業もひとつの楽しみでした。
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三浦しをんさんの「あの家に暮らす四人の女」を読んだことをきっかけに、神戸に暮らしているうちに読みたいと思っていた作品。
関西上流階級の浮世離れしたお話なんだけど、だからこそ美しくて、でも地名は耳慣れているものが多いから想像は膨らみやすくて楽しくて、予想以上に読みやすい。
長編苦手だけれど読めそう。 -
言葉が可愛いな。やっぱり大家族憧れる。あと京都の桜鑑賞コースいいと思う。
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言わずと知れた昭和の初めの四姉妹物語。四姉妹と言えば「若草物語」を意識せずにはいられない。
長女は生真面目で頑固、
三女は内気でおとなしく、
四女は明るく活動的。
そこまでは共通しているけれど、
次女の幸子はジョーのようにテキパキ快活ではない。どちらも姉妹の纏め役ではあるけれど、幸子ははんなりと悠長。
雪子の婚活を中心に、これと言った大きな事件もなく、日常が淡々と綴られているが、意外と読んでいて面白かった。 -
雪子、気持ち分かるぞ…と思いながら読んだ。古典なのでずいぶん読みにくいかと覚悟して読み始めたがそんなことはなく、すらすらと読めてしまうくらいの文章の美しさだった。古典はやっぱり斜め上くらいから眺めて、人物達にああでもないこうでもないと感情移入しながら読むのがとても良いね。
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鶴子、幸子、雪子、妙子
の4姉妹の話
格式高い家柄だった蒔岡家が衰退していく中でのドタバタ劇
みたいな
雪子の子どもの頃まではある程度豪華な暮らしができていたけど妙子はその暮らしを知らないという背景がある
題名から雪子メインかなと思いきや、案外妙子が1番話題になっていたような
あと、幸子の夫の貞之助視点で語られる場面が意外と多かった
印象に残る場面はたくさんあった
・ロシア人との食事で、ロシア人に呼ばれて行ったのに、家族全員で待っていないし、料理も出てこないのを蒔岡家の人達は日にちを間違えたと思う場面
・幸子が流産して、その日を思い出して涙する場面
・幸子と貞之助が2人で旅行に行った際のとてもロマンチックな描写
あと、最後は下痢で終わるんかいってツッコミたくなりました
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こんな暮らしがしたかった。
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関西の有産階級の家族を題材に、3女の見合いを中心に展開される物語。一読して平板な日常が展開する長編小説のように思えるも、感傷的に読み浸らせる何かがある。
傾きゆくこの家族の様子が、人生の後半戦にさしかかった自分のありようと重ね移しに感じるのだろうか、と思ったりもしたが、後書きを読んで腑に落ちる。
すなわち読者は雪子が早く縁付いて欲しいと願う反面、俗世間の穢れに染まらぬ"永遠の女性"のままでいてほしいと願う、エロティシズムに根ざした普遍的な二重構造をテーマにしている、と。 -
初めての谷崎潤一郎。
昭和初期から第二次世界大戦勃発前まで、明治時代より続く上流階級の一族が衰退を辿りながらも、その生活様式や価値観を失わず生活する四姉妹の様子が、優雅で実に美しい。
四姉妹が京都で花見をする場面は、目の前に満開の桜が咲き誇る景色が見えるようで、その文章の美しさに浸ってしまい、文庫の紹介文に書かれていた小説絵巻とは良く言ったものだと感心してしまう。
結婚話がなかなか決まらない大和撫子を絵に描いたような三女雪子、自由奔放な四女妙子の行方が気になる中巻下巻。 -
蒔岡家の四姉妹が生きた戦前の関西での日々。
なかなかまとまらない三女の縁談など、静穏な暮らしの中での出来事が流麗な文体で綴られる。 -
上巻では物語にこれといった刺激がなく、ダラダラと話が進んでいく。しかし会話文に船場言葉を入れることで、間伸びした展開を優雅な落ち着きのあるものへと昇華させている。また、会話文以外の文体も明解かつリズミカルな、情緒的な構造となっており、読むにつれてどんどんと引き込まれていく。
上級国民のはんなりとした生活美に、期末レポートを書くことを忘れさせる、そんな作品。 -
『刺青』、『痴人の愛』と並ぶ谷崎潤一郎の代表作にして、近代の日本文学史上の代表作としても上げられる長編小説。
本書は、上中下巻の3巻構成の上巻です。
1900年前半の大阪、神戸、いわゆる阪神間モダニズム時代、大阪の旧家を舞台に、四姉妹の日々が綴られた作品となっています。
大阪の上流階級の生活様式と、終盤には太平洋戦争開戦によりその文化が滅びゆく様が描かれます。
本作は『中央公論』に掲載されましたが、第一回、第二回掲載時、軍部から"内容が戦時にそぐわない"との理由により、以降の掲載をストップさせられます。
徳田秋声の『縮図』同様、戦時下の思想・言論統制の対象となってしまった作品です。
ただ、執筆は続けられ、上巻は私家版として書き上げられ、友人や知人に配られます。
正式には戦後、1946年に中央公論社から出版されますが、GHQによる検問の結果、改変された版になりました。
ただ、本作は出版後ベストセラーとなり、世界各国で翻訳され、谷崎潤一郎は数多くの賞を受賞、ノーベル文学賞の候補にも何度も名前を連ねることとなります。
大阪の上流階級の家"蒔岡家"が舞台です。
本家が大阪にあって、蒔岡家の長女「鶴子」は、婿養子で蒔岡家に入った夫の辰雄とその子どもたちと住んでいます。
分家が蘆屋にあり、次女の「幸子」と、こちらも婿養子で蒔岡姓である夫の貞之助、娘の悦子が住んでいます。
また、三女の「雪子」、四女の「妙子」がいて、この二人は未婚で、本家と分家を行き来しています。
上巻では、雪子のお見合いの話が主な縦軸として展開されているように読めました。
妙子の恋人であったり、本家の引っ越しであったり、蒔岡家に起きるドタバタが書かれていて、時にはユーモラスに感じる場面もありました。
色々なことがドラマティックに展開され、テンポが良く、昭和初期に書かれた文学ですが、一般文芸のように楽しんで読める作品だと思います。
大阪の上流階級の斜陽が描かれますが、深く考えずに娯楽作品として読んで問題ない内容だと思います。
また、谷崎潤一郎といえば、耽美的な作風の印象もあるのですが、本作は今の所そういった感じはなく、四姉妹の連続ドラマが繰り広げられる作品でした。
クセが無く、世界中で一般的に愛読されているというのもうなずける内容でした。
上巻ラストは元の木阿弥という感じで終わります。
中巻も引き続き楽しみです。 -
昭和初期大阪上流階級の4姉妹がテンポの良い関西弁で淀みなく喋る、喋る。読んでいて気持ち良くなるくらいよく喋る。
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日本の近代小説のなかでも有名な作品。一度は読まなくては思い手にとってみた。
現代とは違った結婚観をその時代のリアルなそのお見合いをしている姉妹たち、家族、周りの人間の感情を知れたようで面白く読めた。 -
文学史上に燦然と輝く、下痢オチ小説。
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19歳か20歳かの頃によく読んだ谷崎潤一郎作品。
夏目漱石とか森鴎外よりも時代が近いからだろうか読みやすいと思った。
伏線や隠喩などなく、平易な言葉で、昭和初期の裕福な家庭の日常がさらりと描かれている。
会話が美しく、耽美派(美を最高の価値とする)とよばれている。
戦前、戦争に向かう切羽詰まる様子などもなく、
ただ豊かな女性達の平穏な日常に驚く。
当時、皆が皆、不幸せではなかったのだなと作品をみて思った。
谷崎潤一郎に傾倒するでもなく、
ただ読みやすい文体を美しいと感じていた。 -
『平成細雪』
NHK BSプレミアム/毎週日曜放送
2018年1月7日から