虞美人草 (新潮文庫)

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (496ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101010106

感想・レビュー・書評

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  •  久し振りの夏目漱石。職業作家としての第1作とのことで、他の有名な作品と比べるとかなり力の入った(ところどころ難解で読みにくい)文体だなと感じる。ただ、内容は男女の恋愛を主軸に物語が展開しており、描写を全て理解してやろうと思わなければ、けっこう楽しめる小説だったと思う。

     哲学を学んだ甲野欽吾、その勝気な妹の甲野藤尾。欽吾の友人である宗近一と、あどけなさの残る妹の糸子。藤尾を嫁にと考えている男、小野清三。清三の恩師である父を持つ、清三との婚約の約束がある内気な娘、小夜子。この6人を中心に物語は展開する。
     藤尾と小野が両想いであるが、小野には許嫁である小夜子がいる。謙虚でおとなしい古い価値観の象徴のような小夜子(作中でも「過去の女」(p.151)と言われる)と、新しい時代の女性だと言わんばかりに勝気で野心的な藤尾の描写が非常に対照的だ。この小説は、例えるなら坪内逍遥『当世書生気質』のような、分かりやすい勧善懲悪の側面を持っており、小夜子は善、藤尾は悪と描かれているように見える。
    特に藤尾に至っては、ウィットに富んだ会話についてゆけない者を小馬鹿にしたり、我が強いが故に自分の言うことを聞く相手が婿として相応しいなどと言ったりと、性悪としてのキャラ付けが非常に強い。
     藤尾を選ぼうとする小野についても、小夜子を断るのが言いづらくて知り合いに頼んでやり過ごそうとし、不真面目で姑息な印象を付けられている。
     善玉として描かれる糸子や小夜子がいかにも「昔の女性」っぽく描かれているせいか、男に不都合な藤尾を悪玉扱いする家父長的小説だ!と捉えられそうにも見える。そもそも今の時代からすれば本小説内に出てくる結婚観はもはや化石同然であり、ますます「時代遅れの小説」という匂いを漂わせる。
     しかしながら、想像ではあるが……明治時代が進み急速に西洋化が進んでゆくなかで、人から道義心が失われてゆくように思われた。よって、「人生の第一義は同義にあり」(p.452)との考え方から物語がつくられ、道義を失った者の典型として藤尾と小野が描かれ、彼らに天誅を喰らわせた。ということではないだろうか。
     時代の価値観を蹂躙する者(小野・藤尾)、蹂躙される者(小夜子とその父)、これを仰ぎ見る者(欽吾・一)という3つの視点で描かれた、明治という激動の時代の功罪を描いた小説なのかな、と思った。

     『こころ』を初めて読んだ時から、夏目漱石に対しては真面目な人だという印象があった。この本の裏表紙に「許して下さい、真面目な人間になるから。」という作中の台詞が書かれており、この小説もまさに「真面目」さを希求した物語だと感じている。もちろん、真面目といっても、真面目に生きることとは何かという問いに明確な答えはないのかもしれない。嘘偽りがないこと?飾り気がないこと?正直であること?真心がこもっていること?などなど。真面目なつもり、誠実なつもりであっても、自分にとっても相手にとっても必ずしも良い結果をもたらすとは限らない。この小説で描かれた勧善懲悪にしても、本当に善・悪と呼べるものなのかは分からない。ただ、だからこそ、登場人物が思い悩む、漱石の小説が好きで様々な小説を読んできた。
     明治時代の小説であり、結婚観、恋愛観、男女観、道徳観、物語全体に古さを感じる。だからこそ、時代によって変わってゆく価値観と長い間変わらない価値観とは何なのか、何を大切にすべきか、真面目さとは何かについて深く考えることができたと思う。

  • 小野は学問に優れた男で、東京帝大の銀時計を授与されるほどだが
    性格は優柔不断で、人の意見や雰囲気に流されるばかりだった

    宗近は呑気でいいかげんな性格のために、軽く扱われがちだ
    しかしその実、有言実行の男でもある

    甲野はいつも深刻な顔で超然ぶっており、周囲の反感を集めるが
    それは財産を独占しようとする母親への、愛と不信に引き裂かれてのこと

    藤尾は甲野の妹、美人で、才気走ってて、高慢
    クレオパトラに自らを重ね、男を意のまま支配することを愛情と信じる

    糸子は宗近の妹で、家庭的な女
    詩情を解さないとして、藤尾からひそかに軽蔑されているが、気にしない

    小夜子は小野の恩師の娘にあたり、暗黙のうちに許嫁とされている
    古いタイプの女だから、小野の心変わりに泣いてばかりいる

    これら男女6人の、友情と恋愛をめぐる青春残酷物語
    かなわなかった夢のつづきが、いずれ小野の未来を苛むのだろうが
    その意味で「こころ」の原型と呼べるのかもしれない
    「虞美人草」は、大学教授の地位を捨てて専業作家になった夏目漱石が
    朝日新聞に連載したはじめての作品で
    気負いはあったのだろう
    りきみ返った美文調をこれ見よがしに連ねており
    その読みづらさから
    今では漱石作品のなかでも敬遠されがちな印象にある
    ただし個人的には
    日本の小説で文章の美しさといえば、この時期の漱石と思うんよね

  • 【Impression】
    「虞美人草」が一体誰のことなのか、結局は藤尾さんであると分かるんだが、虞美人草の花言葉は「平穏、無償の愛、慰め」などであるらしい。

    作中の藤尾さんは全くの正反対である。
    最後は意中の人を得る事が出来なかったため死んでしまうような、気性の荒い人である。

    この正反対にある状況は一体どういうことを意味しているのか、いや、面白かった。
    文章が綺麗で、詩的で、漢語のにおいがする、また読み返したい本
    【Synopsis】
    ●宗近と糸子、甲野と藤尾、そこに小野が加わり、表面的には平穏に、内面では策略を巡らせた人たちとの恋愛もの。宗近と甲野はこの策略に飽き飽きしている、小野は利己的にこれを利用している、藤尾は母と共に何とか小野と婚約しようとしている
    ●表面的には比喩や揶揄、暗喩、皮肉、が飛び交い、ここぞとばかりに機を窺っているやり取り、それを分かっていながら策略に乗っかる甲野、策略に真っ向から戦う宗近、「真面目」をキーワードに小野は立ち直る。糸子は藤尾と宗近が婚約することに反対している、学問はないが非常にロジカルな面を持っている。
    ●虞美人草に例えられているのは誰なのか、恐らく糸子ではない。糸子は平穏ではない、慰めでもない。甲野の母親と真っ向から対立し、一歩も譲らない。藤尾は死んで漸く「虞美人草」になったのか、平穏を漸く手に入れたのか。

  • お祖母さん、母親、私、と三代それぞれの本棚に一冊づつ置かれています。大好きです。学生の時に授業で先生が「夏目文学の中でこんなに文学的価値がなくてつまらない作品はない」と仰って、え~っとショックを受けた思い出があります。

  • 7月7日読了。博士号取得に向け勉学に励む優柔不断なモテ男・小野さんと許婚の小夜子、哲学者の甲野さんと腹違いの勝気な妹・藤尾、外交官を目指す宗近くんとその妹の糸子、とその周囲の人々が他人と世間に気を使いながら自分の主張を通そうとして生きるさま。冒頭の山歩きの男連から始まる登場人物たちの会話のやり取りの面白さと、それをときに神の視点で見下ろしときに登場人物の視点から語る漱石の筆が実に軽快でスカしたユウモアに溢れ、面白い・・・。ぐじぐじ悩む自分も、神の視点から見下ろせば滑稽に見えるものだろうか(そうに決まっているが)。ラストの宗近君の一言の切れ味・余韻も絶妙。

  • 優柔不断な男と、それに振り回される旧時代の親子と、それを振り回す新時代の女。
    と一行で片付くお話をすさまじく回りくどく美麗字句で飾り立てている。

    しかしその飾り立て方が、すばらしく美しい。
    怠惰で鬱々として暗い、墜ちていく時だけに見られる後ろ向きの不健全な美しさ。チェーホフをちょっと思い出した。かもめとか桜の園とか。

  • まさに 憤死

  • 深めたいような

  • 「草枕」と同じく、とてつもなく難解な地の文。いやぁ、すごいですね。よくこんな文章が書けるものだと感心します。恐ろしい教養です。
    それもすごいのですが、なんといっても会話がすごい。登場人物それぞれに何か秘めたるものがあり、自分の思惑に話を持っていこうとするが、相手はそうはさせじ意識的にか無意識にかする。そういったやり取りが、とてつもなくスリリングです。
    登場人物の中ではやはり「藤尾」が魅力的です。おそらく漱石としては、藤尾を完全な悪女として描きたかったのでしょうが、思いのほかに筆が進んでしまったのでしょう。欠点があるのも人間らしさとして、また魅力の一つになっています。
    その点で、最後の展開は納得がいかないです。浅井が孤堂先生に怒られる場面までは良かったです。その後の展開は作り事めいていて、なんかしっくりきません。おそらく同じように感じる人が多いと思います。
    小野さんが孤堂先生のところに行って、ぼこぼこに怒られてへこんでしまい、その後藤尾が小野さんの様子を見て愛想をつかす、みたいな展開だったらめでたしめでたしだったのではないでしょうか。諸悪の根源は小野さんでしょう。
    虞美人草は失敗作だという話もありますが、個人的には面白かったです。やっぱり会話シーンですね。全会話が名シーンです。小野さんと浅井とのあの馬鹿馬鹿しい会話ですら面白かった。

  • 漢語調の絢爛な文体は漱石の領分といっても過言ではないでしょう。東京帝大の講師を辞め、専業作家となってから書いた初の小説とだけあって、眩暈がするほど難解かつ華麗な文章からは、並々ならぬ覚悟が伝わってきます。

    大学卒業のとき恩賜の銀時計を貰ったほどの秀才・小野清三。彼の心は、美しく裕福だが傲慢で虚栄心の強い女性・藤尾と、古風で物静かな恩師の娘・小夜子との間で激しく揺れ動く。彼は、貧しさから抜け出すために、一旦は小夜子との縁談を断るが…。やがて、小野の抱いた打算は、藤尾を悲劇に導く。

    「潺湲(せんかん)」「瀲灩(れんえん)」「冪然(べきぜん)」「窈窕(ようちょう)」等々、これは正気の沙汰なのか?という語彙が乱れ咲く万華鏡の世界。その高雅な文体で綴られるのは、意外にも月並みなストーリー。真面目だが内気な青年・小野が、裕福な悪女・藤尾と貧しい乙女・小夜子の間で揺れ動くという安っぽいメロドラマを、「厚化粧」(小宮豊隆評)とも取れる絢爛たる舞台装置で見せられるというのはちぐはぐさ。まずもって人物の造形が平板かつ硬直的で、人間というよりは操り人形が話しているようなぎこちなさがついてまわります。漱石の豊饒な漢籍の素養と、迸る文才を疑う余地はありませんが、その漱石がなぜこのようなありふれた内容の小説を?という疑問を禁じえませんでしたね。

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著者プロフィール

1867(慶応3)年、江戸牛込馬場下(現在の新宿区喜久井町)にて誕生。帝国大学英文科卒。松山中学、五高等で英語を教え、英国に留学。帰国後、一高、東大で教鞭をとる。1905(明治38)年、『吾輩は猫である』を発表。翌年、『坊っちゃん』『草枕』など次々と話題作を発表。1907年、新聞社に入社して創作に専念。『三四郎』『それから』『行人』『こころ』等、日本文学史に輝く数々の傑作を著した。最後の大作『明暗』執筆中に胃潰瘍が悪化し永眠。享年50。

「2021年 『夏目漱石大活字本シリーズ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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