- Amazon.co.jp ・本 (512ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101010120
感想・レビュー・書評
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「ゆくひと」、ではなく「こうじん」と呼ぶのか、と最初にちょっとした驚きが。
妻、身内を信じられなくなった一郎の苦悩、葛藤、孤独が綴られている本作、決して他人事のように感じられない。
ただ、「もう誰も信じることが出来ない」と打ち明けることが出来る友人を持っている点には救いを感じる。自分の中で肥大化していく自意識や被害者妄想を少しずつ他人に吐き出しながら生きていくしかないのだ、この世の中。
以下、引用。
行人
p66
其処に自分たちの心付かない暗闘があった。其処に持って生まれた人間の我儘と嫉妬があった。
其処に調和にも衝突にも発展し得ない、中心を欠いた興味があった。要するに其処には性の争いがあったのである。そうして両方ともそれを露骨に言うことが出来なかったのである。
けれども浅間しい人間である以上、これから先何年交際を重ねても、この卑怯を抜くことは到底出来ないんだという自覚があった。自分はその時非常に心細くなった。かつ悲しくなった。
p293
そうして自己と周囲と全く遮断された人の寂しさを独り感じた。
p253
人間の作った夫婦という関係よりも、自然が醸した恋愛の方が、実際神聖だから、それで時を経るに従って、狭い社会の作った窮屈な道徳を脱ぎ捨て、大きな自然の法則を嘆美する声だけが、我々の耳を刺激するように残るのではなかろうか。 -
深く深く考えることが懐疑を深め、孤独を招き、そしていつか自我崩壊につながっていく。何も考えずに生きるのがいいことかというとそうではないし、近代知識人のエゴ、苦しみ、心の葛藤を描いた作品だろう。
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漱石の中ではこれが一番好き。一郎の悩みはわかるひとと永遠にわからない人がいるだろうなあと思う。
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一郎の悩み、実は誰もが多かれ少なかれ持っているのかもしれない。うーん、もう1回読んだ方がよさそう。
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現在では、精神的不具合は病気として扱われるが、医学が未発達のときはまだそれを性格的なこととか考え方の修正と捉えていた。その精神的不具合は、薬などで治るという意味では病気であり、それが今の考え方であるが、以前は治るにしても、環境を変えてみたり、当人の考え方を変えるしかなかったのだろう。しかし、いつの世にも共通しているのは、周りにいる知人がそれをしっかり理解して行くことが肝心であるという事だろう。そして、この病気の発見の難しさは、傍で寄り添うべき人がいかに客観的になれるかにかかっている、というところにあるのかもしれない。それをこの小説は教えてくれる。
しかし、本筋はというと、絶対と相対の関係をどう処理するかという事だろう。本人は絶対を信じたいが、そのように行動すると相対的にできている社会から弾き飛ばされ、馴染めなくなってしまう。しからばと、相対的な社会で相対的な行動を取れる人間はいいが、それをできない人間はどうしたらよいのだろうか?これがこの本のテーマだろう。結論の一歩手前での解決策は、そのような人間には、死、気違いそして宗教があると提示されるが、そのどれをも選択できない人間には、苦悩の日々しか残されないという悲劇が待っている。 -
同じぐらい傑作の「こころ」と比べて知名度が低いのが不思議でならない。
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100年たっても輝く漱石。
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二郎よりも兄の一郎がメインになるお話。頭が良すぎて繊細で外面がいい長男の苦悩なのか、妻さえ信じられなくなり家族から次第に孤立していく。
終いには弟に妻と外泊して、人となりを確かめてこいと依頼する。
1番わからないのは自分の心だと言うが、どうしてそうなった?ってところがH先生の書簡形式で明かされるものの、何だかよくわからないまま終了。
難しくて重いお話でした。