- Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101121024
感想・レビュー・書評
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自己とはなにか?名前とは何か?世界とは何か?神とは何か?
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シュルレアリスムの世界に触れた。あらゆる壁を文学で表現するとこうなるのかと圧倒されるばかり。歪んだ空間に出入りし続ける気持ち悪さがあるけど、医療に携わる者としては、病気になり障害者となった人を想像した。アイデンティティの喪失、世間の目、居場所、肉体と精神、生と死。怖いもの見たさで読み進めたけど、一度では理解できない。おそらく、自分が不条理を受け入れなければならない時に沁みるのであろう。
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んー わかるようなわからないような
悔しかったからまた読み返したい -
冒頭の「S・カルマ氏の犯罪」はゴーゴリの『鼻』を思わせる。名前を失った男の内なる「壁」が成長し、果ては自身を飲み込んでいく。名前は他者と区別する一つの壁かもしれない。そもそも、生物か否かの条件は、外界と隔てる壁があるか否かだ。人は壁がなければ生きていけないのかもしれない。
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第一部〜第三部、全六作が収録された短編集。どれも荒唐無稽、意味不明、奇想天外な世界観で、入り込めるものと全く入り込めないものとあった。個人的には代表作かつ芥川賞受賞作の「S・カルマ氏の犯罪」が圧巻だった。読み始めてしばらくは頭の中がクエスチョンマークで覆われる。でも次第にその世界観に馴染んでくる。
ある朝、突然「名前」を失った男が、途方に暮れて公園を歩いていると、自分とそっくりの姿をした自分の「名刺」が、職場のタイピストのY子と仲睦まじく過ごしているのを目撃する。右目だけでみるとそれは自分と瓜二つの人間、しかし左目だけでみると一枚の名刺・・・え?
さらに男は、名前とともに身体の「中身」も失ってしまったようで、目の前のものを欲するとそれを体内に「吸収」してしまうという現象が起こり始める。最初に吸収したものは本で見た曠野(こうや)風景。次は動物園のラクダ。そして彼は吸収した罪で裁判にかけられ、傍聴しにきた人々は彼に吸収されまいと法廷内を逃げ惑う・・・え?
ナンセンスに次ぐナンセンスなのだけれど、読んでいるうちじ、徐々に受け入れ可能な態勢になってしまう。お笑い芸人のZAZYがネタのつかみで「ただ今、ZAZYに見慣れていただく時間です」と言ってしばらくニヤニヤしながら無言で壇上を歩き回るあの、妙な空気感のような。一旦入り込んでしまえば、あとはもうおもしろくて仕方ない。わたしは特に72-75ページが最高だった。だからこの本を読み始めたけれど頓挫しそうになっている人がいたとしたら、なんとかしてそこまでは読んでみてほしいと思う。
安部公房は高校時代の相棒がよく読んでいた。頭が良くてイケメンで「孤高」という言葉がとてもしっくりくる素晴らしい彼の世界に少しでも首を突っ込みたくて、頑張って読もうとしたのだけれど、伊坂幸太郎を崇拝していた当時のパッパラパアなわたしには全く対応できないタイプの作家だった。心が折れたまま10年以上経ち、先日たまたま通りがかった神保町の「神田古本まつり」でこの本を見つけ、もう一回挑戦してみようと思って購入した(100円だったからというのもある)。さすがに高校のときよりはいろいろと免疫がついたらしく、6つの短編のうち少なくとも3つはおもしろいと感じるようになった。成長!
今回もなお読めなかったものは、50歳くらいになったらまたチャレンジしたい。
第一部 ◎S・カルマ氏の犯罪
第二部 ×バベルの塔の狸
第三部 ○赤い繭
○洪水
×魔法のチョーク
×事業 -
第25回 芥川龍之介賞受賞作
彼の眼に映る現実が奇怪な不条理に変貌し、やがて自身も無機物の壁に変身する物語で、帰属する場所を失くした孤独な人間の実存的体験と、成長する固い壁に閉ざされる空虚な世界と自我の内部が、安部公房特有の寓意や叙事詩的な軽さで表現されている。ある朝、突然自分の名前を喪失してしまった男。以来彼は慣習に塗り固められた現実での存在権を失った。自らの帰属すべき場所を持たぬ彼の眼には、現実が奇怪な不条理の塊とうつる。他人との接触に支障を来たし、マネキン人形やラクダに奇妙な愛情を抱く。そして……。独特の寓意とユーモアで、孤独な人間の実存的体験を描き、その底に価値逆転の方向を探った芥川賞受賞の野心作。
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・S・カルマ氏の犯罪
這篇是裡面寫得最有趣的一篇,也讓人連想到卡夫卡。主角失去自己的名字(名片逃亡了),胸口空虛荒無,跑去看醫生結果荒蕪的胸口居然把雜誌裡的荒漠給吸進去了。他感到恐慌就跑去附近動物園,沒想到他胸中的荒野吸引了喜愛荒野的動物,駱駝差點就被吸進去因此他被指控犯罪,進行一場荒謬論辯的審判劇,裡面只有打字小姐Y子是正常人,每個荒謬看起來都如此正經,認定他沒有名字所以也沒有人權,失去名字之後的他就是一個惡行的歸結,兇惡的犯罪者,然而每個人都怕被吸進去因此退避三舍。主角身邊的日常物品都在名片的挑撥下掀起一場有如共產主義手法般的掣肘罷工,阻止主角與Y子見面。主角感到沮喪,跑去動物園時看到名片跟Y子マネキン在約會,回程路上另外一個男性マネキン建議他可以逃到世界の果て,就可以不受法律的制裁。於是他去參加了一個詭異的說明會,由於地球變圓的,世界の果て其實就是大家各自的房間,牆壁就像地平線般的存在,「世界の果の出発が壁の凝視に始まる....そしてる旅行くものはその道程を壁の中に発見しなければならない」。最後,主角成為一片曠野中的牆壁。
・バベルの塔の狸
人的空想會成長為とらぬ狸,先偷走主角的影子,然後主角隨之居然倒果為因變成透明人,只剩下眼睛,一樣被歸咎為罪犯而被追殺,因此主角隨著狸來到巴別塔。巴別塔中個人意志是不被需要的,主角被要求捐出眼睛這樣他就可以變成水蒸氣,失去所有為人的形狀。
・赤い繭
似乎是早期的短篇,都很超現實主義,魔法のチョーク這篇還不錯。
安部的作品似乎有一種魔力,能夠把讀者完全帶離日常生活,沉浸在他所鋪陳的緊張之中,但確實也如卷末解說所說,他具有卡夫卡所沒有的明るさ與軽さ。同樣都是寫現代社會的疏外感,用荒唐凸顯現實社會的無稽,卷末解說者佐々木基一氏一語道破:「安部公房には、総じて、失われたものに対する郷愁は皆無である。....したがってヨーロッパ人であるリルケやカフカに見られるような底なしの不安も、安部公房にはない、と敢えて断言していいほどである。それこそが、安部公房の生みとされた世界であった。無限に開かれながら、無限に閉ざされた世界、白昼の闇、いやむしろ光を遮るものが皆無であるために無限の光にさし貫かれていながら光らない世界、人々が名前を持っていようが、持っていまいが、固有名詞が一般名詞や記号にふりかえられようが一向にさしつかえのない世界ーたしかなものは何もないそういう世界の状態を足下に踏まえて、安部公房は出発しなければならなかったのである。失われた名前に対する郷愁を感じようにも感じようのない状態が、彼の孤独な主人公たちのその後の運命を規定する。彼らはいずれも、幼児のような好奇心をもって、謎をはらんだ不思議な国に目をこらす。そして壁を凝視すること、あるいは果て無き曠野を旅することと云っても同じことだが、それが彼らに認識力と生活力を発揮させる、無限の可能性をはらんだ仕事になる。つまり、頼りなく不安定な、不条理にみちた現代の、疎外がまったく普遍化してしまった荒涼たる大都市の世界こそ、安部公房の主人公たちにとって、ほかならぬ行動と認識の場、即ち叙事詩的遍歴の場なのである。世界も空虚、自我の内部も空虚ーあるいは世界も自我の内部も、ともに固い壁で閉ざされているーということは、同時に世界も自我の内部もともに未来に向かって無限な可能性をはらんでいる場でありーあるいは、ともに突破し、変革すべき対象でしかない、ということである」。讀了這本才知道原來作者很喜歡沙漠,也怪不得可以寫出砂の女這樣的作品,解說者指出,對作者來說,牆壁跟沙漠其實都是一樣的同質的素材,也是同質的存在,無限擴展的沙漠跟阻擋視線的牆壁,在作者眼中其實是同一件事:「言い換えれば、壁によって仕切られた内部の空間と、壁の外に広がる外部の空間とは、まったく同質の素材からなる同質な空間ということである。この、内部と外部の同質性の発見、同質であるゆえに両者のたえまない相互浸透と自由自在な変換の可能性の発見ーそこにこそ、ほかならぬ安部公房の独創性がある」 -
自分が自分でなくなる感覚。
ふと「自分とは」を問われてる部分があって
考えさせられる作品。