- Amazon.co.jp ・本 (448ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101132181
感想・レビュー・書評
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今年の6月5日にオープンした有吉佐和子記念館(和歌山県和歌山市)に先日訪れた。建物は氏の東京都杉並区にあった邸宅を故郷和歌山市に移したもので書斎も見学できる。しかし…あろうことか著書を一冊も読まずに来てしまい、帰宅後多くの方からオススメの作品を教えていただいた。「大変失礼致しました…」と氏に謝意を表しながら、その内の一冊から読むことにしたのである。
ある雪の日、仕事帰りの昭子は離れで暮らす舅 茂造が、コートも着ずにあてもなく雪道を歩く現場に出くわす。この茂造の様子がどうもおかしく、タイトルの通り恍惚としていた…
これは言わずと知れた認知症だが、1970年代を生きる登場人物らを見ていると、老化によって発生する自然現象とでも認識しているように思えた。実際「認知症」という名前は2004年に銘打たれたものらしい。
単なる「耄碌(もうろく)」と見られていた認知症をただならぬ病だと捉えた著者の見識たるや……作品が長く受け入れられているのも非常に納得した。
発症前から昭子をいびり倒していた茂造を彼女が主体となって世話しなきゃいけないのがまず不憫でならなかった。息子 敏を除く家族・ご近所・老人向けレクリエーション施設や福祉事務所の職員とヘルプを求める範囲が広がっても、結局は「家族が見てあげるのが一番」と振り出しに戻(され)る。
自分の近親者に該当する者はおらず、何がお互いのためになるのか今でも分からずにいるが、ワンオペがアウトなのは想像に難くない。
本書に出てくるような、健康体で頭脳明晰な高齢の方をどこでも見かける一方で『認知症世界の歩き方』といった関連本が今でもよく売れている。手に入れたのが不老長寿の長寿だけだったとしたら…?
昭子や夫の信利が、茂造の衰えを通して自分達の将来像に不安を抱くのも無理はない。人生100年時代の現在、50年も前の作品を前にしていると言うのに、やっぱり著者の見識たるや…(以下略)
昭子があの境地に至ったのは驚いたが、気難しかった茂造をあそこまで生まれ変わらせたのだと思えば、彼女の苦労も偲ばれる。
「ママ、エキスパートになったね」
たった一人でエキスパートになっても、全てが終われば今まで通りの、自分らしい人生がちゃんと返ってくるのだろうか?
涙ぐむ昭子に視線を注がずにはいられなかった。
度重なる感染拡大によって、またもや気軽に会えないご時世が続くなか、ブクログ以外でオススメ本を教えてもらえたのが今回何よりも幸せでした。勿論ブクログでもこうした交流を継続させていきたいです。今後とも宜しくお願いします!詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
◯名作。大変面白かった。
◯現代人であれば必ず読むべき一冊。将来の自分をあらゆる意味で見通す。
◯現代における個人の孤独を鋭く描写している。鋭角過ぎて突き刺さるほどである。
◯文章表現・演出も巧みである。言葉の選び方が場面を活かしている。
◯昔から認知症はあったはずである。しかし、核家族化が進む中で、認知症の存在は忘れられ、血縁である家族ですら、認知症を忌避することとなった。
◯また、個人を尊重する世界の中では、他者のことはまさしく他人事なのである。それは家族であっても。現代の孤独の構造を先鋭化して我々に突きつけるのが認知症であり、その故に文明病なのである。
◯この小説が描かれたのは高度経済成長の最中であり、今以上に福祉制度が発達しておらず、それを補完する形で家族制度が維持されているという悲しい幻想の中で、極めて個人・個が浮き彫りとなってしまった実態との乖離が人々を悩ませている。
◯現代においては、介護保険制度が成立、運用され、老人への福祉制度は充実したかに見えても、今度は子育て世帯が孤立を深め、虐待へと繋がってしまう。あわせて少子化がどんどん進んでいく。現代人の孤独の構造は全く変わっていない。むしろ、制度が充実するほどに、矛盾してより深い傷となっているのではないか。現代の孤独が、現代の社会問題すべての原因とも考えられる。
◯この小説に出てくる人間たちは、実に現実的で、それ故に我々の共感を呼ぶが、全員自分の事しか考えていない。結末で孫が言ったことは悲しい。それに涙した母は、最後に義父と家族になったのかもしれない。
◯登場人物たちのそれぞれに共感する。しかし、その共感には違和感を覚えていいのかもしれない。我々の孤独に対してどのように対応していくのか、今もって結論は出ていないのだから。-
突然の投稿、スミマセン。確かに社会にインパクトを与えたという意味では貴重な作品なのですが、この領域でお仕事させていただいている身としては違和...突然の投稿、スミマセン。確かに社会にインパクトを与えたという意味では貴重な作品なのですが、この領域でお仕事させていただいている身としては違和感しかありません。
心理行動症状にフォーカスしてしまい、当事者の生き辛さがないがしろにされている。
このラベリングによる弊害は今も払拭できていないのです。
正しい当事者理解に繋がればと思います。2020/06/10
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最近どうしても読みたくなって、30数年ぶりに再読した。このベストセラー本が私の実家の本棚に入ったのは、確か昭和48年。私は中学生だった。読んだのは、高校に入って数年後、埃をかぶった箱カバーを開けた。夏休みの無聊を慰めるためだったと思う。この物語の一人息子敏くんとは同年代になっていた。
当時の私の家には「老人問題」が勃発していた。80歳後半になろうとしていたおばあちゃんは、もう一人で外出は出来ず、家族の顔も時々間違えるようになっていた。廊下に失禁の後が延々続くのは、もう少しあとだったか?
昔読んだ時は、茂造老人の人格の豹変、家族の名前をいびり抜いた嫁と孫しか覚えてない、突然の徘徊、キリのない食欲、夜中の幻覚、そして糞の畳への塗り付け等々にショックを覚え、それぐらいしか覚えていなかったことを読みながら思い出した。
今回再読して、ものすごく新鮮だった。いま敏世代は介護する側に回っている。私も数年前には父親の最期を看取り、一昨年から叔母夫婦の介護計画を立て悩んでいる。嫁の昭子の右往左往、仕事を辞めないで介護しようとする彼女の工夫と努力と間違いには、大いに共感した。今回は完全に昭子の立場で、あるいは茂造老人の立場で読むことができ、景色は大きく広がった。
昭和47年刊行のこの時代、介護保険はおろかヘルパーさえいない。高度経済成長の最中の老人介護問題という面であらゆる矛盾が噴き出てくる直前に、この本が出てきたのだろう、と今ならわかる。
私のおばあちゃんは結局看護婦長をしていた叔母が毎日介護にきてくれて、刊行から約10年後92歳で家の中で往生した。その叔母ももういない。
恍惚の人は認知症の人と名前を変えて、私の現在と未来を未知のモノにしている。
2014年2月8日読了 -
昭和47年刊行された小説。空前の大ベストセラーだったらしい。
今でいう認知症の老人(老人性痴呆と書かれていた)を介護する息子の嫁。当時は老人ホームに預ける=親の面倒を見るという義務の放棄という世論だったことがよくわかる。50年後の今は施設やヘルパーが増えて介護問題がだいぶラクにはなった。公共の老人クラブはデイサービスの原型かな。いろいろ興味深い。 -
乾いた筆致で有吉さんが「老い」や「死」、「家族」を淡々と描く。特段の美化も遠慮もなく、今の時代であればおおよそ差別的意味合いを以てして使ってはならないとされている単語が跳ねる。
夫の両親と敷地内同居しながら、法律事務所で職業婦人として働く女性昭子。
専業主婦が当たり前であった時代、仕事と家事、受験生である息子のサポート、加えて義理父母の老いや死に全速力でぶつかり切り拓く昭子の姿は当時新鮮だったことだろう。
老いの現実、死に伴う儀式の空虚さ等々、飾ることなく淡々と粛々と。疲れ果てながら舅の老いに向き合う自分の不寛容さや、不甲斐なさが細やかに綴られ、また自らの親でありながら介護に逃げ腰の夫に不満を感じながら時間が経過する。
よく言われることだが、同じ苦労でも成長していく育児と異なり、ゴールや前進が定まらない介護。目標も充足も見いだせず時が経過するのは辛い。
世間体に右往左往し、医療と福祉のはざまのどうにもしようのない事態に困難を極める様に読み手の心も塞ぐ。
年を取ってこうはなりたくないと、老いて生産性がなくなるどころか、周囲を困らせる舅の行動の連続に介護する昭子と夫が自分の将来の老いに絶望する。
私も子どもたちを食べさせること、育むことに無我夢中だった今までの時間。
子どもたちが巣立った今、気づくとコントロールできない老いが足元にあった。
自分が年を取るなどと想像だにできなかった若い頃から一足飛びに時間が経過する。
高齢化と少子化に待ったなしの現代。有吉さんの1974年の作品は今を予言していたかのようだ。
嗚呼、ピンピンコロリが私の夢。子どもたちには迷惑をかけたくないなあ。 -
有吉作品の代表作として押さえておきたかった一冊。
老人の問題に自分の行く末を見るから憂鬱になる。それがよくわかった。
身近な人がこうなったらどうするかを考えておくためにも、読んでおいたほうがいい。でも現実的には全然どうしたらいいかわからない・・・。 -
認知症がいる家庭がリアルに描かれていて、亡くなった祖父母を思い出しては泣いて考え、を繰り返して読み終えるのに時間がかかりました。それほど影響力のある本だったと思います。
若い世代は老後の面倒を見るところまでは考えられるけれど、自分が見られる側になる想像までは至らないというところにまるで自分だったのでひどく納得しました。
泰山木の白い花を見つめるシーンがとても印象的です。
昭子さんよう頑張った。。
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高校生くらいの頃から、自分が年老いたらどうなるんだろうと考え続けてきた自分にとってはとても読み甲斐のある作品だった。あまり表立って語られることのない介護の問題は、現代の日本においては年齢問わず必ず皆が知っておくべき事で、この本にはそうした学ぶべき事が多く書かれていた。それは単なる事実に依らず人間としての在り方も含めて。
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「ひとごとが自分になったとき」
と思いながら再読した
才女といわれた作家の文章はやはりすばらしい
てだれている
読みやすいとはこういう文章をいうのだ
大ベストセラーになった
あの時、 読んだわたしは30代だった
それから40年あまり
「恍惚の人」は「認知症」と言う病気なり
と世間で認知され進化しているが
老人人口がますます増え
老人問題も多角化してしまったこの時代
あの時の衝撃が
今や違った意味での衝撃と共振になった
まず
この小説は主人公の昭子を40代後半に設定してあるので
昭子が舅の老化現象から「老い」を看取るの大変さと
自身が「老いに向かう不安」を感じたようには
まだまだわたし自身深刻に考えていなかったこと
そして
わたしが当年になった現在の状況を踏まえたとき
どーすらゃいいのか、ひとごとではないのだから
なんとも皮肉な小説であることよ
もちろん
冷静なふりをして、この老後問題に
理知的な行動をとっているつもりになっているんだ
けどこころのなかは不安だらけ、、、、、