隠された十字架―法隆寺論 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (602ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101244013

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  • 法隆寺は聖徳太子が建てた寺と信じられてきたが,それにしては,太子の子である山背大兄王子が自殺したときに火をかけられ一度焼失しているといった話もあるし,日本書紀には天智天皇九年に大火で焼失しているという記述もあるし,中門に向かって,西側は十間なのに対し,東側は十一間と非対称であることなど,建築様式も何かおかしく,非常になぞの多いお寺である。これらのなぞについて,著者は,法隆寺は聖徳太子の怨霊を鎮める寺だということを,様々な物証や,行事から推理している。怨霊鎮魂の寺ということは,太子自身が建てるわけはないということ。それは,太子子孫を殺害した者が建てたのであろうと。
    上古の日本人にとって最大の神はたたり神であった。崇神天皇はなぜオオモノヌシを祭ったか。それは,前王朝の支配者がオオモノヌシであり,それを滅ぼした天孫族側の支配者が崇神天応であり,オオモノヌシは正に前王朝の恨みを代表していると捉えられ,それを丁重に祭ることにより,その恨みを慰め,前王朝の遺民との妥協をはかったのだ。
    法隆寺とは,太子の子孫が殺害された場所。殺害した側で,帝の地位を後に得ることになった孝徳帝は仏教信者でああり,因果応報の原理を信じていたため,自分たちの行動に対し,報いが来ることを恐れたのではないだろうか。そこで,ここに対し鎮魂の寺を建てたということだ。
    法隆寺にある夢殿の建築については,太子の子孫を殺害する側に回った中臣鎌足の子孫である,藤原不比等の子供四人が相次いで死んだことがきっかけになったとされている。藤原氏は,四兄弟の死を太子のたたりと捉えたのである。
    古代の日本人の生活を知るにつけ,彼らが死者に対しもっていた恐怖が想像も出来ないほど大きなものであったのだろう。おおきな古墳も権威の大きさを現すだけでなく,大きな古墳にうずめられている巨大な石棺とその土山を壊して,まさか死者がこの世には現れまいと考えていたのではないか。特に偉大な人と恨みをのんで死んでいった人の霊は,よけいに手厚く葬られる必要があった。偉大な人間は,死後も偉大な力を持っていると考えられ,また,恨みをのんで死んでいった人は怨恨ゆえにしばしば人間世界に現れやすいと考えられていたからである。古墳の大きさは,その人の偉大さと,怨恨の大きさに正比例する。聖徳太子は,偉大にして最も深い恨みを持つ霊なのである。しかし,太子は日本固有の神より,異国の神(仏)を信じていたから,もはや古墳では鎮められない。ということで仏が太子の鎮魂を引き受けねばならない。四天王寺,橘寺,法起寺,広隆寺,法輪寺,法隆寺と,太子の霊に対する鎮魂寺が続々と建てられてゆく。奈良時代の仏教に対する人間の意識は,平安時代の意識と違っており,極楽浄土を行くのは自分自身ではなく,むしろ,自分の敵どもを極楽浄土へ無事送り届けることによって自分の政治的権力を安泰化しようとしたのである。
    法隆寺には建築様式としてあまりそぐわない原理で建てられている。それは,偶数の原理である。というより四の原理である。中門の一階と二階,金堂の二階,それは寺院の建物としては異例の四間であった。偶数の原理では,正面がとれず,子孫断絶の証であると言われる。また塔の高さをみると,十六丈である。四カケル四である。死の二乗である。これを我々は笑うことが出来ない。今現在でも,日本の病院やホテルは四の番号がないところが多い。西洋では十三番がない。人間はそういう数字の持つ不気味な暗示に平気でいられない動物なのである。科学が発達した現代でもそうであるのに,古代において,死と言うことばがどんなに人々の心に響いたことだろうか。
    また,法隆寺には聖霊会という祭りが行われ,その中で,大会式は50年ごとに行われる。そこでは,お神輿という,葬儀のお棺担ぎのような行列がねり歩く。全国にある,お神輿も元を正せば,この棺担ぎから来ているのではないか。死者の弔いの儀式はやがて怨霊鎮めの儀式となり,ついに祭りの儀式になったのではないか。おそらく古代神道において,死の儀式は最も重要であったに違いないが,それが,仏教の輸入によりとってかわられた。そして,神道は死の儀式をすっかり仏教に任せてしまい,もっぱら生に,結婚や誕生などの儀式にたずさわるようになってきたのではないか。著者は,そういう形は神道の堕落形態であるに違いないと言う。死に対して何らかの視点をもたいない宗教がすぐれた宗教ではないはずだからである。死の意味を見出し,死の儀式を復活させない限り,神道が日本人を指導してゆくことはないだろうと。
    本書は600ページ近い内容であるが,言わんとすることは,法隆寺は太子鎮魂の寺だということ。かなりの部分に,私見が入り, んっ と思うところも多いが,上述の感想部分は,私がなるほどなと,本書を読むことで今までと違った視点で物が見れるようになった箇所である。
    井沢氏と似たような感じの(歳からすると,井沢氏が梅原氏と似たようにと言った方が良いのかわからないが。。。)怨霊信仰をベースに話が進むが,井沢氏よりは,あくは少ないので読みやすいかも。でも,ページは多すぎ。この内容なら,半分で説明出来そうな気がした。

  • 歴史検証もの。寺社仏閣好きなら、誰もが
    通るであろう法隆寺の神秘。
    梅原氏の話の概要は今まで把握しつつも
    真面目に読んだのは初めて。まぁ相対性理論は
    知ってるけど、読んだのは初めてというのと同じ。
    そういえば中学時代、大阪に転校して、真っ先に
    親に頼んで連れて行ってもらったのが法隆寺。
    ちなみに転校直前、最後に連れて行ってもらったのが
    鎌倉の大仏と鶴岡八幡宮。今でも当時の満足げな
    写真が残っている(笑)。
    しかし、奈良と言うと古代史の中でも近代的なイメージが
    あるが、飛鳥というと、ものすごく牧歌的なイメージがあるのは、
    なぜだろう。奈良時代も嫌いじゃないけど、飛鳥時代の方が
    もっと好きと言う人が多いはず…と勝手に思う次第。

  • 哲学者として名を馳せている梅原猛氏による法隆寺論。法隆寺は、そもそも聖徳太子の怨霊を鎮魂させるために設立されたことを仮説とし、理論立てて論を述べていく。本書の前半部では、法隆寺に関する七つの謎を提起。建造物の構造を鋭く考察しては古代国家の真実に迫っていく。法隆寺にはこれほど多くの謎が満ちていたのか。様々な発見があると共に恐ろしくも思える。
     後半部は、本のタイトルにもなっている隠された十字架、夢殿にある救世観音について言及する。後頭部に釘を打ちつけるなど、手厚く霊を慰めるのではなく、呪われた方法で太子は辱められていると本書では指摘されている。法隆寺に秘められている数々の常識を疑っては謎を読み解いていく過程は、非常に読み応えがある。
     三十年経った今も評価高い一つの評論として読み継がれている。法隆寺の正体を探るために、歴史を丹念に読みといていく本書は、良書と言える。

  • 法隆寺・聖徳太子を中心に書かれており、
    他の寺院には見られない山門の謎や夢殿はなぜ六角形なのか。といった著者の考えをもとに書かれており非常に興味深く読み終えることができた。

  • 私を歴史の世界へ踏み出させた本。
    名著です。

  • まだ前半ですが、とても読み応えがあります。
    お正月にマヤ族長老が、
    「それぞれの文化を大切にすることこそ平和の鍵」と
    話しておられましたが、
    まさに、それが今とても大切だと感じながら読み進めています。

  • 1300年前の名建築、法隆寺には多くの謎がある。その中から梅原氏が7つの謎を取り上げ、歴史的観点からその謎に迫っています。
    実際にはどうなのかわかりませんが、あの素晴らしいお寺が祟り寺というのはなんか悲しい気がします。

  • 2010/09/20 購入
    2010/10/03 読了

  • 歴史の面白さ・奥深さに目覚めさせてくれた本。
    既成の歴史観は勝者によって作られたものである、というフレーズがとても印象的でした。

    法隆寺は本当に聖なる寺なのか。
    法隆寺論争に大きな一石を投じた本です。

  • 面白かったー。法隆寺、行きたいっ!自分の目で見てみたいっ!
    このグラフィック版とか、映像にしたものがあれば見てみたい。(NHKあたりで作ってないかな?)

    高校の時の歴史の先生に薦められて、大学生の夏休みに1回手にとりましたが、あまりの長さに途中挫折しました。が、今回再チャレンジ。
    中盤は、読んでも読んでも「聖徳太子の怨霊」ばかりでなかなか先に進まなかったのですが、後半の仏像の話あたりから面白くて最後まで一気に読めました。

    この説「法隆寺=聖徳太子怨霊沈めの寺」が正しいかどうか、私には判断するだけの知識は到底ないですが、正しいか正しくないかということよりも、単純に読み物として面白かったです。

    あと、著者が本書を「エッセエ」と表現していることに驚きました。「法隆寺=聖徳太子怨霊沈めの寺」の正当性をえんえん510ページにわたって力説している大作ですよ。「エッセイ」ってもっと軽いものなんだと思ってました。

    聖霊会から帰ってきて、興奮のあまり奥さんや子供相手に自論の正当性を主張しすぎたあまり、翌日疲れが出てしまった梅原さん。なんか、チャーミングだと思います。(偉大な哲学者相手に恐れ多いですが…。)

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著者プロフィール

哲学者。『隠された十字架』『水底の歌』で、それぞれ毎日出版文化賞、大佛次郎賞を受賞。縄文時代から近代までを視野に収め、文学・歴史・宗教等を包括して日本文化の深層を解明する〈梅原日本学〉を確立の後、能を研究。

「2016年 『世阿弥を学び、世阿弥に学ぶ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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