反哲学入門 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (302ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101320816

感想・レビュー・書評

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  • 20120309あかつき書房

  • 最近、経営関連の様々な分野で感じられる生態型のモデル―やや範囲を広くとるとソリューションフォーカス、河瀬氏の経営戦略本、脱予算会計等の考え方に共通して感じられるもの―に関心を持っているなかで面白いと思った一冊。

    西洋哲学の根本にある考え方とそれをニーチェやハイデガーの思想がどう乗り越えていったかという筋道が、まさに経営の領域での考え方の推移にかぶって見えてきて個人的には一つ頭がすっきりさせられました。

    欧米の思想界で、20世紀になって仏教思想が非常に大きなインパクトを与えた理由も本書を読めば良く分かります。

  • 哲学の本当の意味、ニーチェ

  • タイトルの印象に反して、割ときっちりした哲学史の本。読み易くてお勧め。
    口語で書かれているので、くだけた文体が読むハードルを下げてくれる。それでいてしっかり著者の主張が盛り込まれており、読み応えもある。
    ただぼくは、反哲学についてじっくり読みたかったので、ニーチェ以降の文量が少ないのがちょっと残念だった。実質、反哲学についてはニーチェとハイデガーを紹介するのみ。しかも、ハイデガーの思想そのものについてはあまり触れられていない。

  • 難解な「哲学」というものをわかりやすく説明し、哲学史、そして現在の思想状況を語る。木田元だからこそ書けた本。
    圧倒的な知性の前に跪くこの快感! 世界の秘密、叡智を知りたいと願いながら、同時にわたしなんかでは伺い知ることの出来ない深遠さを期待するこの気持ちに、見事に応えてくれています。

    デモクラシーへの疑問、一票が平等で良いのか?衆愚政治に陥るのでは? という箇所を読んで、集団として生きることは古代から最高峰の知性を以てしても未解決である、本当に困難な問題なのだなあと思った。知性も意欲もバラバラな個人が集まった社会を運営する厳しさ。しかしデモクラシーへの疑問は突き詰めると全体主義に陥る恐れがある。
    上記に関連して、アリストテレスの講義録の逸話「残るべきものが残る」ことについて。出版業界の衰退が顕著な昨今、時々いますよね、淘汰されて良いものが残る、って言うひと。でも知性には個人差がある。良いものを判断出来るだけの知性と、精神的・経済的余裕を持った人が一定数いないと成り立たない理想だし、そもそも流通システムが崩れてしまったらそのような知性を養うことも出来なくなるし、知性ある人に判断される機会も失うのではないか。つまり集団に期待しすぎてはいけないのでは、と思います。むつかしいね。

    カントのコペルニクス的展開。「対象がわれわれの認識に依存している」これだ、と、思った。その通りだ。
    ただしその後のヘーゲルの楽観的な理想主義は賛成出来ないし、何だか切なさすら感じる。人間精神の苦難の歴史は未だ幕を閉じていないし絶対精神は訪れていない。わたしだってそんなのあるなら欲しいよ。誰だって欲しいと思う。

    「反哲学」:ニーチェ以前の哲学、その知の本質は、まず超自然的原理を立て、それを媒介にして自然を見て自然と関わるような思考様式にある。最高諸価値の喪失、心理状態としてのニヒリズム。神は死んだ。これを乗り越えるには、最高諸価値を、そんなものはもともとなかったのだと積極的に批判、否定しなければならない。

    ハイデガーが意外と俗物で親しみを覚えました。偉大な思想家だって人間だね。人間としての社会的生活、身体性を伴った生活が無ければ多くの人に影響を与えるような精神性も獲得出来ないのだと思います。きちんと生きよう。

  • 西洋哲学と呼ばれるものの外観および歴史等が自然主義、反自然主義、
    なるもの、作られるものというキーワードによって非常にすっきりと整理されている。

  • タイトルから想像されるような、哲学に対する批判の本ではありません。

    でも、哲学者である木田氏が第一章で「(哲学は)社会生活ではなんの役にも立たない」、「人に哲学をすすめることなど、麻薬をすすめることに等しいふるまいだ」、「しかし、哲学という病にとり憑かれた人はもう仕方ありませんから、せめてそういう人たちを少しでも楽に往生させてやろう」、と仰るはおもしろいです。

    本の大半は、ソクラテス・プラトン・アリストテレス、デカルト、そしてカント・ヘーゲル、ニーチェ、ハイデガーと、哲学史に沿ってそれぞれの立ち位置を社会的・宗教的な背景も踏まえつつ紹介していくという流れです。

    はっきり言って、一回では内容を飲み込めませんでした。

    もう一回読みます。

  • 面白く、読みやすく、ためになった。
    一つの見方として、『反哲学』の言わんとしていることは理解できるが、ニーチェ以降の思想家が超自然から完全に抜け出せないどころか、むしろそれにこだわることで、逆に囚われている気がしないでもない。
    そこは、別の見方も読んでみて、自分の中で結論を出すべきところかと思う。
    (2011.10)

  •  ニーチェ以降の哲学の流れを「反哲学」と呼び、それ以前のものと区別している。が、それ(ニーチェ)以前の記述に紙幅を多く費やしてしまっているので、タイトルを見て「あぁニーチェ以降の哲学についてたっぷり読めるんだな」と勘違いした私としてはやや残念だった。

     でも、その前半の哲学史は非常に面白く、特に二章は噛り付くように読んだ。哲学の流れを分かりやすくまとめた本は探せばいくらでも出てくるだろうし、自分も理解のためにそれに頼ってきた。だが、この本ではそれに加えて哲学の流れを作り出した歴史背景についてじっくり解説してくれているので、また違った良さがあったと思う。

     本題とは逸れるが、夏目漱石の「夢十夜」が例として出されているところでは、「夢十夜」にはそんな意味が込められていたんだなぁと驚き。文豪の小説を十分に味わい尽くすには、それこそ一生分の知識があても足りないんだろうなぁと反省。

  • 初めて最後まで読んだ哲学の本。
    ニーチェ登場までは中身3割頭に入って、流れもぼんやり見えた。
    が、それ以降は中身1割もわからず、流れは寸断。

    日本人は自然に屈するので、哲学=超自然は理解しがたい。
    という前置きがあったけれど、反哲学もわからない。
    「存在するとはなにか」を考え続けるなんて、気がしれない。
    現在は科学的に細部を明らかにできるのでは。
    論理的に考える、ということを突き詰め続けるのだが、そこに非論理的な神の存在が出てくるのも解せない。
    確かに、もはや「知的論理ゲーム」。
    そもそも、明治に直輸入して一斉に訳語つくったから、原文と訳の単語のニュアンスが違いすぎて、訳本を読んでみても筆者の伝えたいことが伝わらない。その勝手に難しくした部分を楽しまれても。

    と、非難するのはかんたんだけど、
    哲学が生まれた西洋から科学的な思考が生まれ、他地域に先駆けているのは事実。
    かつ、そこで哲学哲学と騒ぎ続けているから、無視するわけにもいかん。
    中身よりも、その思考がどういう成果を生んだのか、というところに興味あり。

    すっと入った部分を引用
    「つまり、存在するものの全体を、生きておのずから生成するもののと見、自分もその一部としてそこに包みこまれ、それと調和して生きるときと、その存在するものの全体に「それはなんであるか」と問いかけるときとでは、存在者の全体へのスタンスの取り方がまるで違います。そんなふうに問う時は、問うものは問いかけられる存在者の全体の外の特権的位置、あるいはそれを超えた特権的位置に身を据えているにちがいないからです」

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著者プロフィール

中央大学文学部教授

「1993年 『哲学の探求』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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