反哲学入門 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (302ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101320816

感想・レビュー・書評

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  • 【「自然(フュシス)と制作(ポイエーシス)】p92
    「超自然的原理」を立て、それを参照にしながら自然を見ようとする「超自然的思考様式」や、それによって基礎づけられる「制作的存在論」と、自然を死せる物質と見る「物質的自然観」とは密接に連動しており、これが以後の西洋の文化形成の方向を決定していくのです。p95

    プラトンのもとでは「イデア」が、アリストテレスのもとでは「純粋形相」が、キリスト教神学においては世界を創造した「人格神」が果たしていた超自然的原理の役割、つまりなにが存在しなにが存在しないかを決定する役割を、デカルトのもとでは「人間理性」が果たすのです。p160

    【カント哲学の体系】p185
    カントは、理性そのものの自己批判によって、理性の純粋な―経験にいっさい頼らない―認識にも、それが有効に成り立つ場面―つまり幾何学・数論・理論物理学―と、もはやそれが有効に成り立たない場面―神学や形而上学―とがあることを明らかにしました。
    『純粋理性批判』という表題も、理性のおこなう純粋な認識の有効・無効の範囲を批判的に画定するという意味なのです。

    【ニーチェによる「価値」の定義】p234
    「<価値>という目安は、生成の内部での生の相対的持続という複雑な機構にかかわる確保と高揚の条件となる目安である」p234

    【「芸術」に関して】p240
    ニーチェ「芸術は溌剌と花開く肉体性が形象や願望の世界へと溢れ出、流れ出ることだ」

    <叡智(ト・ソフォン)>との調和がそれへの<欲求(オレクシス)>、それへの<愛(エロス)>に変わり、<叡智を愛すること(フイレイン・ソフォン)>が<愛知=哲学(フィロソフィア)>に変わってしまいます。プラトンによって準備された知のこの欲求・探求がアリストテレスによって、「(存在者であるそのかぎりでの)存在者とはなにか(テイ・ト・オン)」という問い、つまりは「存在とはなにか(テイス・ヘー・ウーシア)」という問いに定式化されたのです。ハイデガーは、このプラトン/アリストテレスの<哲学(フィロソフィア)>をギリシア的思索という「偉大な始まりの終焉」と見ています。p284

  • ① 1ソクラテス・プラトンからヘーゲル【超自然的思考 超自然的原理を設定して、それを参照にして自然を見る】2ソクラテス以前【自然的思考 自然に囲まれて生き、その中で考える思考】3ニーチェ以降 【2を復権、反哲学、哲学を批判し、解体しようと企てる】

  • 哲学史をなぞりながら、なぜ哲学は西欧特有の思考であるか、キリスト教をはじめとする諸宗教と哲学の関連が強いのはどうしてか、なぜニーチェ以降反哲学の潮流が起こったかを平明且つコンパクトに述べられており、非常に分かりやすかったです。

  • 哲学とは存在(ある)を考える学問。これには、「なる」と「つくる」の2種類がある。後者には、自然を俯瞰するメタ的な視点が必要とされる。日本はもともと「自然の一部」という感覚が強かったため、前者だったが、時代の進歩とともに後者にシフトした。欧米は早い段階で後者にシフトしたが、後者の不自然性をもとに、ニーチェ以後前者に回帰しようという流れが生まれた。

  • ひゃー難しかった。
    最後のニーチェあたりは比較的すんなり読めたけど、
    (あくまで比較的)
    それ以前は寝落ちと戦いながらの読書。
    なんかこう
    (´・ω・`)<・・・・・・ちょ、ちょっとまってもっかい
    日本語話してるのに内容がするりと理解できない。
    あんだけわかりやすくを意識したこの本がこのありさまなので、
    哲学ってのは向き不向きがあると思います。
    私はケセラセラで生きる人間だから向いてないなー。

    内容は簡単に言えば「哲学史」ですが、
    ニーチェ以降は「哲学」じゃない!ってのが筆者の主張ですので、
    そういう意味で「反哲学」。

  • 西洋哲学史が分かった気になれる。
    ソクラテス・プラトンからデカルトを経てニーチェ・ハイデガーまで。
    「哲学」とはなんなのか?なぜ日本では生まれなかったのか?「反哲学」とは何か?
    ざっと流れが分かると、読みたくなる著者がたくさん出てくる(アリストテレスとかは馬鹿にしてしまうんだけど)。
    プラトンなんかは超自然原理を始めて提唱したことになるわけだけども、それは実際政治的な背景が大きかったわけで。
    アテネがギリシャのような自然主義では都市として機能しなくなってきたという背景が、西洋哲学あるいはキリスト教を作り上げてしまったという壮大な物語になってしまう。これってすごい面白いなあと思う。実際その後もガリレオとか、物理学における発見が哲学に影響するというのも。それに加えて個人的な背景もある。父親が自殺して厭世家になった(と思われる)ショウペンハウエルから影響を受けてニーチェが反哲学を提唱する。みたいな。

    この本では存在するとはどういうことか?という問いに対するスタンスを中心に哲学を分析しているので、西洋哲学史を分かった気になっていろいろな著者の著作を読む気がうせることは全然なくて、むしろどうしてこの人はこんなこと考えたのか?とか、こんなこといっちゃってる人ってどんな人生だったのか?ってすごい興味沸く。

    にしても哲学史におけるアリストテレスの扱い酷すぎワロタw


    内容(「BOOK」データベースより)
    「形而上学」「私は考える、ゆえに私は存在する」「超越論的主観性」―。哲学のこんな用語を見せられると、われわれは初めから、とても理解できそうにもないと諦めてしまう。だが本書は、プラトンに始まる西洋哲学の流れと、それを断ち切ることによって出現してきたニーチェ以降の反哲学の動きを区別し、その本領を平明に解き明かしてみせる。現代の思想状況をも俯瞰した名著。

    【目次】
    第1章 哲学は欧米人だけの思考法である
    第2章 古代ギリシアで起こったこと
    第3章 哲学とキリスト教の深い関係
    第4章 近代哲学の展開
    第5章 「反哲学」の誕生
    第6章 ハイデガーの二十世紀

  • ◎いつの時代も行き詰まるとクラシックに行き着く、かも

  • そもそも哲学書を読まない僕にはつらい内容。久々に読みながら寝てしまった。

  • ニーチェは、西洋文化形成の根底に据えられた超自然的原理の思考法が無効になったということを「神は死せり」という言葉で宣言しました。欧米人は、まだ神を信じているのだろうか

  • 哲学というものが「あるとは何か、存在とは何か」を問うものならそれは、古代ギリシア〜プラトン前と、プラトン〜ニーチェ前と、ニーチェ以降で捉え方が分かれていて、
    プラトンに始まるのが「西洋哲学」の流れであり、それを断ち切ることで登場してきたニーチェ以降は「哲学批判」、いわば「反哲学」の流れだと。

    ニヒリズムの発端になった「超自然」、その幻想をぶち壊す!
    ・・という第5章のニーチェ解説の流れは見事でした。
    面白かったです

    ニーチェ、ハイデガーの「反哲学」時代にたどり着く前過程として古代ギリシャやキリスト教世界、デカルト、カント、ヘーゲル・・と、哲学史がダイジェストされていて、理論の変遷がすごく整理されていて良かった。
    当たり前だけど著者の木田元氏はすーごく研究されてて、解説にも書かれてたけど、蓄積がもーーーのすごいんだな・・

    かなりおすすめ・・したいところですが、第1章にあったけど、どうも哲学というものは人を招き入れてはいけないらしい。
    すでに「哲学病」に罹患している自覚のある方のみ、読んでみて下さい。

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著者プロフィール

中央大学文学部教授

「1993年 『哲学の探求』 で使われていた紹介文から引用しています。」

木田元の作品

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