車輪の下 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (246ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102001035

感想・レビュー・書評

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  • 12〜13歳の多感で傷つきやすい時代に父親や神学校の先生たちから抑制され次第に内にこもるようになる主人公。自伝的小説と裏表紙に書かれていたので衝撃のラストに呆然としてしまった。どん底の状況からの復帰を願い、そうなるであろうと読み進めるうち、神学校から帰ってのうだうだした日々とか就職後の同僚との掛け合いとか退屈する展開で頁か消費されていくうちの顛末で微妙な読了感です。
    ただ、自然の美しい描写は難解な言葉を選びつつも情緒がある。
    子どもを育てるあらゆる立場の人が読んでためになると思われる。

  • 勉強ばっかするのとか良くない
    あと自然が豊かな感じがすごく伝わる

  • 中学生の時から半世紀を経ての再読。中学生の時にはハンスの心の動きを中心に読んだのではないかと思う。今はまわりの大人たちにも目が行った。ハンスのためか己のためか行動する大人。そしてハンスを取り巻く自然。表現豊かに描かれている自然が胸をうつ。詩人の目。

  • 名作と誉れ高いヘッセ代表作。青春時代と違い、主人公の懊悩により添えなかった。

  • 人生の儚さを感じるとともにハンスの正直な生き方に心打たれた

  • あらすじにあった「期待に応えようとしてきたはずなのに、他人には理解してもらえそうにない理由で、志半ばで心が折れてしまった少年」にどうしても自分を重ねてしまって、なぞる必要性に駆られて。

    読んでいて終始感じていたのは、子供はなんと多くの恐怖や恥に一人で耐えないといけないのか、と主人公ハンスを「かわいそうだ」と思う気持ちで、それは乱暴に表現するなら「お母さん目線」(お父さん目線でもさほど問題はないにせよ、自分が女であること、そして舞台事情、等々)なのかしら、と思うと共に、ハンスに与えられなかったのがまさに「母」であることが解説されていて改めて納得しました。ハンスはほぼヘッセ本人が投影されている人物であるものの、幸いヘッセには母親がいたことで少年時代のいわゆる「危機」から救われたのだとあります。言われてみると、私も母の存在に救われた部分は少なくありません。その点についてはそれこそ恥ずかしくて、とても多くは語れませんが。

    そして「かわいそう」と強く思ってしまった理由がもう一つ。「危機」を自力で乗り越えられなかったハンスに対して彼のいた社会があまりに厳しかったということ。過去形にしたものの、今の世の中はますます彼のような存在に対して厳しいだろうと思ったこと。中途半端な無関心や注目、期待ばかりに晒されてきたハンスに真剣に寄り添おうとした者は誰もいなかったはずです。寄り添うとは、必ずしもあれこれ干渉するということではなく、彼が生き抜くための最後の助け綱となることです。SOSに気付くということです。そんな役割を誰も果たせないのなら、せめて社会は彼をもう少しばかり放っておけなかったのか、と。誰からの視線も気にしなくていい状態を長く続けることは出来ないかもしれないけれど、あまりに感覚が研ぎ澄まされてしまった人間にとって、一旦他者との積極的な関わりを遮断するのは、少なくともハンスがふるさとに戻った後の生活よりはまだマシだったのではないかと思わずにはいられません。たられば、の話しをしたいのではなく、つまるところ、物語の終わり方が悔しくて仕方なくて、それも彼の苦しみはきっと現代のどこか遠くないところで続いている、と思うと尚一層心が締め付けられてそう簡単には戻らないのです。

    特に、中途半端な期待のもつ責任は重いはずなのに、期待する側は大体の場合において無責任です。なぜなら期待すること自体は恐らく悪ではなく、むしろ期待される側にとっても善いようにしか作用しないはずだからです。だけど宙に浮いた期待は知らず知らずのうちに両者も思わぬ働きを見せ、次第に期待される側を苦しめることがあるわけです。それゆえ、期待の意思を示した者はその後をきちんと見届けなければなりません。ときには期待の呪縛からきちんと解いてあげないといけません。呪縛を解けるのは、期待した者本人のみである場合が多いはずだから。だけどハンスのそれは多分最後まで解けていないし、彼の周りの人間は諦めてあげるということが出来ないままだったことが最後のいくつかの発言から汲み取れます。

    後は、覚書程度に。ところどころ「恐るべき子供たち」と「人間失格」が過ぎったこと。でも、「人間失格」は苦虫を潰したような感じで読み終えたのに対して、この作品は、ヘッセにとって浄化のような意味があったのと同じように、私自身の昔のことも勝手に許していいような気持ちには少しだけなれたのが救いだったということ。

    、、、年始最初に読む本としては、それなりに重かったかもしれないけれど、後悔なし。

  • 母の存在とか、ちょっと違うところもあるが、ヘッセの自伝的小説。
    彼は、詩人になるか、でなければ何にもなりたくない と神学校を15才で脱走(*´Д`*)
    破天荒(^◇^)

    そこが天才なのかなぁ。

    俗人のヨーゼフ・ギーベンラートの息子ハンス・ギーベンラートは間違いなく天分のある子供だと皆が期待した。
    過去8.9百年の間、天才というものはいまだかつて産んだことのない古い小さな町に神秘の火花が落ちてきた、ということになった。

    それで、金持ちでなかったから、ただ一つの狭い道があるきりだった。州の試験を受けて神学校に入り、次にチュービンゲン大学に進んで、それから牧師か教師。これがエリートの道。

    めちゃくちゃに受験勉強し、好きな釣りやもろもろの楽しみは奪われた。
    ハンスを心づかいと親切心をもってみてたのは、靴屋のフライク親方だけで他の人は、ハンスが子供だってことを忘れてると思った。
    試験は受かったけど、子供らしい楽しみをせずに勉強ばかりしてて不幸だな。
    試験に落ちたら一生平凡なみじめな人間のひとりで終わるだろう。ずば抜けた人間になるつもりだったのにって思ったのも不幸だな。

    その時代が監獄としてハンスを閉じ込めて飲み込んでいったのかもしれないけど、これは昔の話でない。子供を持つ親や教師にうってつけの本かな。

    あと、ハイルナーとの友情はハンスにとってどうだったんだろう。
    あの結末には、驚いたし、小さいのにあの結末は悲しい。

  • 名著に挑戦!という気持ちで読んだ。

    なんだろう、
    古典文学(と言っていいのかな?)を
    読みなれていないせいか、
    情景描写が長い割にストーリーの進みは遅いので
    読みづらく感じた。

    そこがいいのかもしれないけど。

  • 神学校に進学した一人の少年の話。ストレスを抱えながら勉学に励み、寮生活を行っているが、ついに耐え切れなくなって飛び出してしまう。若い心と苦悩を描いた作品。

  •  初ヘルマン・ヘッセ。以下引用
     "なぜ彼は最も感じやすい危険な少年時代に毎日夜中まで勉強しなければならなかったのか。なぜ彼から飼いウサギを取り上げてしまったのか。なぜラテン語で故意に彼を友だちから遠ざけてしまったのか。なぜ魚釣りをしたり、ぶらぶら遊んだりするのをとめたのか。なぜ心身をすりへらすような下らない名誉心の空虚な低級な理想をつぎこんだのか。"

     神から与えられた才は、彼を幸福にはしなかった。彼は賢く、社会の中で十分上の地位に達することができるほどの才を持っていた。それを生かさなければならないと周りの人間が効率を追い求め見かけ倒しの試練を与え続けた結果、彼は社会から転落した。確かにハンス自身、勉強をして知識を蓄え褒められることにかなりの優越感を感じ自発的にやっていたことは確かだけど、次第に勉強以外で他者からの承認を得られなくなり最後は勉強を強いられるようになっていった。そしてそれが失敗したとき、彼はアウトサイダーとして排除される。
     ハイルナーという孤独を餌にして生きる詩人がずっと傍にいてくれれば二人で傷を埋めあうことができたのかもしれない。
     詩人と勉強。努力の是非。アウトサイダーは俗っぽいことを批判して避けがちだけど最後に職人仕事の世界にちゃんと足を踏み入れたことは他と一線を画してると思った。自分はできないだろうから。

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著者プロフィール

ドイツ生まれのスイスの作家。主に詩と小説によって知られる20世紀前半のドイツ文学を代表する文学者。南ドイツの風物のなかで、穏やかな人間の生き方を描いた作品が多い。また、風景や蝶々などの水彩画もよくしたため、自身の絵を添えた詩文集も刊行している。1946年に『ガラス玉演戯』などの作品が評価され、ノーベル文学賞を受賞した。

「2022年 『無伴奏男声合唱組曲 蒼穹の星』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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