食べごしらえおままごと (中公文庫 い 116-1)

著者 :
  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (167ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122056992

作品紹介・あらすじ

食べることには憂愁が伴う。猫が青草を噛んで、もどすときのように-父がつくったぶえんずし、獅子舞の口にさしだした鯛の身。土地に根ざした食と四季について、記憶を自在に行き来しながら多彩なことばでつづる豊饒のエッセイ。著者てずからの「食べごしらえ」も口絵に収録。

感想・レビュー・書評

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  • 「椿の海の記」を先に読んでおいてよかった。
    グルメエッセイって苦手なのだが、本書は作者自らグルメではないと主張、印象的なタイトルへつなげる。
    実際読んでいて浮かぶのは食べ物そのものではなく、そんな食事や料理を営んできた人々の姿だ。
    特に作者の父母や弟の顔が、もちろん知らないけど浮かぶかのようだ。もちろん「椿の海の記」の影響。
    石牟礼道子は1927年生まれ。わが祖父と同じくらいか。ちなみに、
    三島由紀夫は1925年生まれ。
    水木しげるは1922年生まれ。
    育ちや環境は全然異なるが。
    以下メモ。

    父の歳時記への拘り。
    母が子を五日で喪う。
    馬の背さながらの俎板。
    子を寝かしつける母は即興詩人。
    流産した産婦さんに、赤ちゃんはすぐまた、のさりなはります、と母。
    誕生日も命日も夫に任せきりだった母。亡くして初めて困る。笑い泣き。
    子油徳利を語るうち、こわくなる母。
    みんみん滝。おみよが身投げして蝉に生まれ変わって。
    獅子舞の口を開けて、アーンしなはりまっせ、ほら、と正月の料理を若衆に。
    リヤカーで行商にいくとき、5つの娘を連れることで、夜道のこわさを紛らわせる母。
    菖蒲を切りにゆくときは主人公のように思っていた弟。父が息子に、菖蒲を鉢巻きのように巻いて。
    から薯→おさつ。
    どっさり作る→ものごとをする。
    宮沢賢治が特別の位を与えて、苹果と読んだ。
    解説は池澤夏樹。

  • 食にまつわるエッセイ。
    食べ物だけでなく、その背景にある自然や人々の暮らしが見える。里芋の「いもがら」を触ってかぶれないだけでなく、アクも抜いて美味しく仕上げる「相性の良い手」を持つ人の話は民話のようでもある。

    著者の振り返る食卓風景は賑やかかつおおらかに人々を包むが、対照的に都会・現代(執筆当時)の食に対して辛辣すぎでは…と思う所もあり。
    食のエッセイなので温かく美味しい話を読みたかったな、とも思うので、悩んで星3に

  • 土と海、四季の恵みと農と暮らしがひとつながりだった頃の天草や出水やらの食べごしらえ。親戚や女衆がより集まってその手づから生まれる食べもの。今はないそれらの香りも滋味もしみじみとゆたかで、その土地の言葉もうつくしい。すべてのものへの敬いがある。

  • 『食べることには憂愁が伴う。猫が青草を噛んで、もどすときのように』
    美しい言葉ね。郷土料理には儀式に似た神聖さがある(のだろう)。

    私からしたら一種の儀式だと思われるものが石牟礼さんにとっては懐かしくあたたかいにおいのする日常である(であった)こと。私の過ごしてきた日常の暮らしの様子とはかけ離れているからか、本を閉じてしばらくすると、本の中に書いてあったことが実際のできごととは思えなくなってしまって寂しい。

  • 食卓から紡ぎ出される
    思い出は、人生を豊かに
    すると思います。

  • 今のようにどこかで買ってくるのではなく、自分で収穫して、自分で作ってたべるのがあたりまえだった時代のたべものの話。

    時代は昭和初期で、もちろんその頃自分は生まれていなかったのに、まるで、自らが同じような経験をしたことがあるかのように光景が浮かんでくる。
    つくづく、文章の力というのは素晴らしいと思う。

    話し言葉もすべて方言で書かれていて、天草弁がどんな調子で話されているのか、想像しながら読むのも楽しい。

  • 作家が磨き抜かれた言葉で振り返る、天草、水俣で過ごした幼い日々の暮らしと食べごしらえ。味わい深い土地の言葉、凛とした父母の生き様、地に根差した食べ物。すべて失われて帰らぬからこそ、輝き、せつない。

  • ふむ

  • 本書をどこかで手にすることがあったら「あとがき」だけでも読んでほしい。「ときどき東京に出ることがあって、そのたびに衝撃を受けるのは、野菜のおいしくなさである。」「ねっとりもせず、ほくほくもせぬ里芋。色と形はあるが、うま味も香りもまるでない人参。・・・」「・・・高くさえあればおいしいと感じるのは舌の白痴化ではあるまいか。」「・・・農薬まぶしの農産物をどんどん輸入して、添加物まみれのグルメとやらをお腹いっぱいやってください。真の百姓だけが、日本という国の伝統あるよき性向の種を保存するために、土を汚さぬよう、物心両面にわたって独立を保ち、亡びの国のゆく末を見届けると宣言なさったらよい。」「わたしは昔の作物の大地の滋味ともいうべき味わいを思い出さずにはいられない。」品種改良をして何でもおいしくなっているはずだけれど、もともともっていた自然のうま味のようなものを僕たちは忘れてしまっているのかもしれない。どこかに出かけたとき、人の運転する車で移動していると、見たい景色などがあっても、なかなか停めてくれと言えないとどこかで書かれていた。なんでも合理的に、効率よくと言われる。そのためにぜいたくな時間の過ごし方を忘れてしまったのかもしれない。古き良き時代を懐かしんでいるだけでなく、本書を読みながら、今を生きる我々にとって本当の幸せって何だろうかと少し考えてみたい。

  • 【紙の本】金城学院大学図書館の検索はこちら↓
    https://opc.kinjo-u.ac.jp/

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著者プロフィール

1927年、熊本県天草郡(現天草市)生まれ。
1969年、『苦海浄土―わが水俣病』(講談社)の刊行により注目される。
1973年、季刊誌「暗河」を渡辺京二、松浦豊敏らと創刊。マグサイサイ賞受賞。
1993年、『十六夜橋』(径書房)で紫式部賞受賞。
1996年、第一回水俣・東京展で、緒方正人が回航した打瀬船日月丸を舞台とした「出魂儀」が感動を呼んだ。
2001年、朝日賞受賞。2003年、『はにかみの国 石牟礼道子全詩集』(石風社)で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2014年、『石牟礼道子全集』全十七巻・別巻一(藤原書店)が完結。2018年二月、死去。

「2023年 『新装版 ヤポネシアの海辺から』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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