- Amazon.co.jp ・本 (299ページ)
- / ISBN・EAN: 9784150119553
感想・レビュー・書評
-
映画も見たけど記憶がおぼろげになるなか
買い直し、読み直し。
すなわち、前の訳がどれほどのものだったか
覚えていない。
隊長は、なんであれほど引用できたのかね。
勿論読んだ感じもいいのだけど
映画の空気感も好きかな、と思った読み直し。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
想像力の入り込む余地があるすぎる。
状況説明がないまま、不自然な物語がはじまるため逆に色々なシーンを想像出来て楽しかった。
抽象的でシンボリックな話でとても満足できました。
本を焼いてしまう世界。
本を失うことにより、そこに象徴される記憶や考えることまでなくなってしまう世界。
現代がどんどんこの小説に象徴される世界に近づいている気がして怖いです。 -
本は焼かれ、本を愛する人々が追われるディストピア。このディストピアはある意味人々が望んだユートピアでもあるというのが暗澹たる気持ちになる。映像が、音声が、情報の波が後から後からやってきて、人はとどまって思考することをしない、しなくていい世界。何も考えなくて済む、真面目な事や悲しい事は罪悪だ、そんな世界。右から左へ大量の情報をただ浴びるだけ。空虚。思考停止。これは私たちの事じゃないか……。
部屋の三方をスクリーンに囲まれ、夫である昇火士モンターグをそっちのけに画面の中だけの"家族"と空虚な会話を続ける妻ミルドレッド。パソコン、スマホの画面に首っ引きでお互いの会話もお粗末などこかの夫婦とどこが違う?可哀想だ。みんな可哀想だ。
そんな世界のおかしさに気が付いて偽のユートピアから逃げ出したモンターグは、これから先も苦労の連続であろうけれど、そうだ、一度気が付いてしまったら、そうするしかない。かすかな希望をつなげていかなくてはいけない、そんなラスト。
伊藤典夫氏による新訳(旧版は未読)。非常に詩的な表現と、短い文を重ねて畳み掛けるテンポの良いシーンがとても良かった。 -
1953年、レイ・ブラッドベリ著。本が禁制品となった未来で、本を燃やす昇火士が、自分の仕事に疑問を持ち始める。
まず詩的表現がすばらしかった。猟犬の描写、警察に追われて道路を渡るシーンなど、比喩や暗喩の書き方がうまい。それによって、著者の思想がよりいっそう効果的に、作品全体として迫ってくる気がする。
「焚書」というものが形を変えて現代社会で進行していることは、疑いようがないように思う。本小説が今読んでも錆びないのは、一見古臭い「本を燃やすことが致命的」という設定が、思想を伝える道具として成り立っているからだろう。
だが、とすると私は、現代の読書自体のあり方にも、ある種の焚書が行われている気がするのだ。つまり、各人がある思想の書かれた本を読み、現実の自分の生き方や思想と照らし合わせ、他人事とは思わずに真剣に悩む、ということが本を出版する側や本を読む側から損なわれてきている、と言いたいのだ。本小説を読んでインターネットやテレビが危ないと思うのは一般的な意見だと思うが、そういう人が本の内容という点において、隠れた焚書に遭っているのかもしれないと思うと(私自身もそうなのかもしれないが)薄ら寒い感じがする。 -
1953年に刊行された本著を読んでいる。
耳にはワイヤレスイヤホンが刺さっているし、3枚の画面に囲まれて仕事してたりしている。 -
100分de名著で紹介されていた。
かなり面白い。 -
人間の不幸はすべてただ一つのこと、すなわち、部屋の中に静かにとどまっていられないことに由来するのだということである。
われわれの惨めなことをを慰めてくれるただ一つのものは、気を紛らわすことである。しかしそれこそ、われわれの惨めさの最大なものである。 /パスカル
本を燃やし、事実だけを垂れ流し続けるこの本の中の世界は、まさしくパスカルの言う「気を紛らわすこと」の極致のように感じた。
1953年にブラッドベリが思い描いたディストピアは、今やSNSの流布により現実のものになりつつある。「部屋に静かに留まること」から逃げないような人生を送りたいと切に思う。
-
1953年刊行とは思えない、より早くより短く情報が細切れになり、あらゆるものが消費されるアテンションエコノミーの現代へ示唆に富む一冊。本を燃やさずとも人々が自発的に本を読むことをやめてしまって考えることを軽視した社会へ一石を投じる。当時の米国で大衆が熱狂した赤狩り<マッカーシズム>への批判も込められいているとのこと。
-
詩的表現が多いことからか難解で読み進めるのが難しかった…。ストーリーは追えるが、文章から場面を思い描くことがなかなかできず、ストレスだった。名作から引用されたフレーズも多いようで、英語が分かれば原書で読んでみたかったなと思った。