繁栄――明日を切り拓くための人類10万年史 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
- 早川書房 (2013年7月10日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (624ページ)
- / ISBN・EAN: 9784150503888
感想・レビュー・書評
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啓発的な本で面白かった。原題は"The Rational Optimist"。『合理的な楽観主義者』というわけだ。悲観主義者の方がお利口に見えるかもしれないけれど、そしていつの時代も悲観主義者が幅を利かせてきたけれど、人類史を見ると実際は悲観的に見るのがバカバカしいほど繁栄を重ねてきたんだよ。今流行の地球温暖化だって、悲観的に見過ぎだし、歴史を鑑みれば、きっと人類の英知はそうした困難を乗り越えていけるはずという話。
確かに少し前は酸性雨がどうとか、環境ホルモンがどうとか騒いでいたが、いつの間にか話題にのぼらなくなり、解決したのかどうなのか分からないまま記憶の彼方に飛んでいっている。経営学の理論と同じで、次々に巷間を賑わす環境問題等は、全部がそうではないにせよ、ただの流行でもあるのだろう。
また、日本では原発反対が世論だと思うが、この本を読むとまた違った視点が得られた点でも有益だった。
ただ、2点、読んでいて引っかかったところがある。
「一ギガバイトのハードディスクに記録できるソフトウェアプログラムの数は、この宇宙に存在する原子数の二七○○万倍にもなる。」(424頁)-これが本当なら16~20GBのディスク領域が必要なWindows7は、どれだけのプログラムから構成されているというのか!
「二○○○年代末、アフリカはアジアの虎の水準まで経済成長を遂げた。」(496頁)-アジアの虎の最下位の台湾の一人当たりGDPは2万ドル程度、アフリカ首位の赤道ギニアのそれも2万ドル程度だが、アフリカの国の大半は1万ドル未満だから、どういう基準で言っているのかよくわからない。単なる事実誤認か、誤訳か。アフリカはではなく、アフリカのごく一部の国はという意味なのか。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
人類の10万年史を振り返ると、近現代の生活水準の向上は驚くべきものである。現代社会の抱える恐るべき貧困でさえ、個別的な事例の悲惨さはさておき全体的な視点から見れば、過去の歴史における破局的な貧困よりはマシであるのは間違いない。ことによると我々人類がマルサスの罠に捉えられていたころの平均的な生活水準でさえ、現代人の感覚からすれば貧困状態と言っても間違いかもしれない。我々は、ともすれば、この科学技術社会を語る際に、産業革命以前の社会のノスタルジックな側面と対比しがちであるが、ノスタルジックな幻想を抱くことも多いが、「世界は常に良くなってきた」ことを、もっとキチンと認識すべきである。
というのが、本書の主題。そこまでは文句なしに☆5の内容。そこから派生的に、「世界はこれからも良くなるだろう」という主張が繰り広げられるが、その部分は☆3かな。 -
分業、専門化、交易が知識と情報の発展を促した。
この本に通底する楽観論に同感。
具体的な例を多く盛り込んでいるが、もう少し簡略化したほうが読みやすいのでは。 -
合理的楽観主義。交換と専門化により集団的進化してきた人類は、今後も外的変化に適応して発展し続けるだろう。悲観的予測より楽観的予測がこれまでもこれからも正しいのは、知識の専門化とアイデアの交換で、発見や発明が枯渇することなく生み出され、益々、加速して行くから。
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酸性雨。小学生の頃、授業でやたらとその恐怖を強調された記憶がある。当時、『買ってはいけない』みたいな本で食品添加物の恐ろしさが煽られたり、ゴミが多すぎて埋立地が限界みたいな話も聞いたことがある。が、現在、中国の大気汚染が話題になっても、一向に酸性雨の話はされない。食品添加物は色んなところで使われてるし、ゴミ処理場も埋立地も足りないなんて話は聞かなくなった。小さい頃から、隣の席の人の咀嚼音は気になっても、お菓子のパッケージの『遺伝子組換え食品ではありません。』 を見て「遺伝子組み換えの方がかっこいいのに…。」と思う程度の鈍感力であった自分はあまり気にしてなかったが、これらの環境問題と、騒いでた人達は今、どうなっているのだろうか。その後の経緯は誰か正しく検証しているのだろうか。現代は本当に、過去の幸せな時代を経て辿り着いた、環境問題に汚染されたディストピアなのだろうか。
「最近の若者は…」なんてセリフが古代から使われてきたということは最早周知の事実であるが、そんな事実が浸透しても、「昔は良かった」語りがとどまることはない。若さゆえのエネルギーに満ち溢れ、自分達のすることが一番新しかった楽しい楽しい時代に思いをはせ、新しい文化に馴染めず、昔に縋りつく。さらにはちょっと行き過ぎて、『江戸時代の生活が至上』『ルネサンスの文化こそ志向』<a href="http://mediamarker.net/u/akasen/?asin=4582765130" target="_blank">『経済成長はいらない』</a>なんてとこにまで辿り着く輩もいる。貧困、飢餓、病苦と無知は発展のおかげで加速度的に減少しているというのに。
斯様な発展は如何な力学でなされたのか。本書が示す繁栄の理由はただひとつ。分業と交易による時間の創出だ。1万年前、人は全てのことを自分でやらなくてはならなかった。しかし2,000年前。生産する人、指導する人、戦う人が別になり、1,000年前には田畑を耕す人、魚を捕る人、建物を作る人、服を作る人、神に祈る人などが別れ、今となっては牛を育てる人、交配させる人、飼料を作る人、屠畜する人、加工する人、運ぶ人、売る人、調理する人、ごみを処理する人全てが別の人、いや、別の”組織"だ。こうして分業と交易によりあらゆる工程が効率化され、人間は1人で1つのものさえ生産することができなくなった代わりに、ありとあらゆるものを消費できるようになった。真冬でも温かい部屋で1万km以上の彼方から運ばれてきた北欧のソファに腰掛け、1時間前にアメリカで販売された音楽を10秒かけてダウンロードして聞きながら、10年間適切な温度で管理されたフランスのワインを楽しみ、何人もの学者が数10年かけて調査した1万年前の南国の部族の歴史の本を読む。なんて今の時代世界中の10億人以上ができるようなことは、アレクサンダーやナポレオンのような英雄にも、エリザベス女王やルイ16世のような皇族ですら得られなかった贅沢だ。
どうやら贅沢で幸せな生活をしていようが、貧困の只中にいようが、いつの時代にも悲観主義者はいるものらしい。これからどうなるかなんて誰にもわからないんだから、備えることは確かに必要だ。だが、現状を見ることをせずにただ不安から無闇に蓄え、備え、対策をするとかえって色んなところで高くつくのは震災の時の買い占めを見なくても分かる。バカがバカに騙されて無駄な時間を費やしているだけならまだしも、現代の”問題”候補は山とあり、それを正しく見極めるのは学者だって難しい。だが、今日までのあらゆる問題を解決してきた分業と交易による繁栄を忘れず、”心配”に騙されないように心がけることは誰だってできるはずだ。石油資源が枯渇するかもしれない。地球温暖化により海面が上昇するかもしれない。寒冷化により食物供給に不足がでるかもしれない。それでも進むべき方向は後ろではなく、前だ。発展の速度は、さらに加速している。 -
根拠なき悲観主義に一撃を。
九州大学
ニックネーム:わらびもち -
交換と専門化が反映のキーポイントであるということを歴史を追って証する。中々面白い。
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未来はよくなる、絶対に。
恥ずかしげもなく抜かしてしまったが、そう言いたくなるくらい、清々しい読後感だ。
人類は「分業」と「交換」によって進歩し続けてきた。今後もそれは続くだろう。それどころか、ますますそのスピードは上がり、かつてない繁栄(!)がもたらされるだろう。
著者の主張は、このことに一貫している。ドキドキするくらい楽観的だ。
極端な悲観論者を、パオロ・マッツァリーノ氏が「スーペーさん」と呼んで茶化している。悲観論は後ろ向きになるだけで、いいところがないのだ。悲観論を打ち破り、楽観的になれ。実はそれこそが何よりも難しいことかもしれない。 -
マット先生の主張をまとめると「悲観主義にとらわれて萎縮するな、世界を良くするために、ただ進め!(確かに社会問題は数え切れないほどあって、悲観したくなる気持ちもわかる。だからこそ私のような人間が率先して、楽観主義者であろうと思う)」てなところ。その主張を確かなものにするために、膨大なデータと分析事例が詰め込まれており、噛みごたえはじゅうぶん。
生まれでた限りは、どんなに些細なことでも社会を前に進める義務があると思う。勇気が出る一冊。 -
人類はなぜ他の動物に見られない繁栄を可能にしたか?”交換と専門化”というシンプルな仮説とともに、アダムスミス、ダーウィンの思想をベースに人類10万年の歴史を紐解く一大ドキュメンタリー作品。 生殖による生物学的進化と、交換による文化的進化の累積が繁栄を解く鍵となる。その発想はネアンデルタール人の絶滅にも言及する。現在は通信速度の発展に伴い、”交換”の加速がイノベーションの進化を促す。膨大な過去データの解析に裏打ちされた強固な信念を持つ筆者の未来予想図は合理的な楽観主義だと。なるほど~。