- Amazon.co.jp ・本 (502ページ)
- / ISBN・EAN: 9784151101052
作品紹介・あらすじ
ビリー・ミリガンのなかには、じつに23もの別人格が潜んでいた。性格だけでなく、知能、年齢、国籍、性別さえ異なる彼らはなぜ生まれたのか。一貫した意識を奪われ、自殺を繰り返し試みるほどに追いつめられた基本人格のビリーは、いかに混乱をのりこえていくのか。そして世間の好奇と不信の目にさらされつつ進む裁判の行方は…多重人格という驚異の世界を通じて見えてくる人間の真実を温かな筆致で描き出す傑作実録。
感想・レビュー・書評
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ひとりひとりが能力を磨くべしってルールがいい
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多重人格者と診断されたビリーミリガンの半生を描いたノンフィクションの下巻。
2章の続きから始まる下巻は事件を起こすまでのビリーの人生が語られます。
ただ上巻で各人格がどのように生まれてきたのか、という点は非常に興味深く、面白く読めたのですが、ここまで来るとすこしその日常描写が退屈に感じてしまいました。
でも一方で各人格たちがルールや規則を作って、体を支配する時間やルールを決めたりしているのが印象的で、面白かったです。
三章では病院に入院してからのビリーの話となります。裁判等で内容を書くことが難しかったり、出版の期限などもあったのかもしれないですが、
二章で細かく書いていた割に三章がちょっと大雑把に感じられ、尻切れトンボのように終わってしまったのがちょっと残念でした。
三章で印象的だったのはビリーについてのマスコミの報道でしょうか。改めて人って精神的な病に関しての恐れや偏見というものを捨てきれないのだな、と作中のマスコミの過剰報道の様子を見ていて思いました。
ただその思いはもちろん自分の方にも言えることなので、少しでもその思いを消していけるよう努力しないといけない、とも思いました。
続編もあるようで尻切れトンボで終わった感じはそこで払拭されるのかな、また機会があればそちらも読んでみたいと思います。 -
読み終わっても多重人格である人間が存在するのが不思議でならない。
ビリーのなかで24人もの人格が交替しては現れる。
その人格たちはビリーを守るため協力しあったりする。
年齢は3歳から26歳までの国籍の違う男女。
まるでファミリーのようだ。
これってノンフィクションだっけ??って混乱するほどの内容でした。
ビリーと作家が雑草に埋もれた墓地での散歩のシーンが印象的です。
墓石に番号しか記されていないその墓地への想いを語るビリー。
彼はやさしいのだろう。 -
(上)に書いてます。
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1人1人の人格がまるで違っていて不思議。
自分を守るための存在が自身を長い間苦しめるなんて・・・。 -
24の人格をもつビリーミリガンの人生を追ったノンフィクション。父親のチャーマーに強い憤りを感じながら前半を読み進めた。多重人格のせいでさまざまな辛い目に遭ってきたビリーだが、彼ら一人一人が魅力的で才能に溢れているので少し羨ましいと思った。
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850円購入2011-06-28
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表紙の絵がとても素晴らしい。
上巻では基本人格のビリーは塗りつぶされ別人格達に色がついていて、下巻ではその逆になりビリー自身が回復してきたことがわかる。
ビリーの中の23の別人格が統合され24人目の人格【教師(Teacher)】が現れたことでバラバラだった記憶が統合され、彼のこれまでの人生が明らかになった。
それは正に混乱(カオス)と言える。
別々の人格が、それぞれの趣味や思考に基づき1つの肉体を操作する。
しかも、人格の入れ替わりは制御できない場合も多い。
誰か一人が嫌なことがあって意識を手放したり、休むために眠ったりするとランダムで別の人格が出てきてしまう。
そのたびに突然全く状況のわからない場面に対処しなければならない。
別人格たちも苦労が絶えない…
統合された教師も世間の冷たい目や批判に晒され、分裂と統合を繰り返す。
人間の脳の中でこんなにも複雑なことが起こるとは。
人格というか、意識とはなんぞ?
という強烈な印象を受けました。 -
24人の主人公。物語の始めにそれぞれの名前と年齢、それに性格などが書かれている。僕はこれは一体どういうことなんだろうかと思った。24人もの人、それが1つの体の中に存在する。これは解離性同一性障害(多重人格)をわずらった1人の青年の物語である。しかし、それはすべて実話に基づく。本当にこんなことがあるのだろうか。そんな思いの連続だ。誰にでも自分の中に2つや3つの人格があるだろう。学校での自分、家での自分、1人で街を歩いているときの自分、どれが本当の自分なんだろうと考えたことはないだろうか。それらすべてが自分であるに違いない。でも、どこかで無理をしている。本当の自分を出し切れない。そこで自分探しが始まる。このビリーの物語を読んで自分探しを始めた人が多いという。さあ精神病に分類される多重人格とはどういうものか。たとえば知らない間に犯罪を犯している。たとえば知らない間に自分のお金を使ってしまっている。知らない間に外国に行ってしまっている。気がついたら3日くらい日が過ぎている。こんなことがあったらどうしますか。1つの身体の中にいくつもの人が存在する。誰かが意識を持っているとき、他の人は眠っている。記憶が全くない。自分がしたことではないのに自分がしたことである。一体全体どうすればよいと言うのだろう。しかし、理解のある医者に治療をすすめてもらえれば改善していくことがある。人格が1つに統合されていく。あるいは人格同士の会話が可能になる。誰がいつ何をしたかが分かってくる。それで自分の行動を制御することができる。ところがビリーが現れたのは1970年代のアメリカ。まだまだ、多重人格という病についての認知度は低い。精神科医でも信用せず、芝居をしていると思いこむ人もいる。そんな医者に治療されるとかなわない。よけいひどくなる。だが、大きな犯罪がからむため、そしてそこにメディアや政治の動きがからむため、最善の治療が施されることはない。それどころか、危険人物として最重警備室に入れられ、しばられ、暴力を振るわれたりなどする。物語はまだ終わらない。続編を読まなければいけない。500ページ2冊の長編。話は犯罪を犯し、裁判にかけられるところから始まる。多重人格であることが分かり、治療が始まる。そして、ビリー自身の過去が語られる。児童虐待。解離性同一性障害の原因になることが多いらしい。病院で、希望をなくし、あまり思わしくない状態のまま、進行形で話は終わる。続きを読まなければならない。この病気は非常にまれである、というわけではないらしい。