- Amazon.co.jp ・本 (477ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163226903
感想・レビュー・書評
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(9/24)
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これを読んで中年になることが怖くなくなったような気がする。中年もなかなかいいじゃないか、と。中年以降でも、絶望的な状況に陥っても、希望って持てるんだ、と思った。とても「いい」小説だった。へんに楽天的でも、絶望的でもなく、人生を、しかも過度に「アツく」なく、教えてもらった気がした。お勧め。分厚いけど。
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いまいちわからない
読み直してみます
次の7月にでも。。 -
「ラブ&ピースから遠く離れて、それでも、我らの七月は終わらない。」
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村上訳
村上春樹訳だから読んでるっていうのもあるけどティム・オブライエンの作品はほんとに良い。この作品で再確認。 -
まだ読みかけです。
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1969年に大学を卒業し、2000年の同窓会に集った人々の群像劇。登場人物達は皆50歳を過ぎてもいまだに過去をグダグダと引きずり、人間関係に思い悩んでいる。ベトナム戦争が泥沼化していた60年代末の時代的雰囲気が、色濃く全編を覆っている。登場人物達のある意味ドタバタした行動を、著者は、過度に感情移入せず、また突き放しもしない絶妙の距離感で描いており、ファルスと紙一重の印象深い作品に仕上がっている。短編を整理し直して長編にまとめたということだが、無理に長編として読まなくても短編集的に読んでも良い。
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村上春樹という作家の自作の小説はいまだ読んだことがないのに、最近、彼の訳すアメリカの作家の作品を読む機会が多い。といってもそれは、レイモンド・カーヴァーを読んでいるだけなのだけれど、それでもその訳文によい印象が残っていて、小さな本屋においてあった「世界のすべての七月」を手に取った。ティム・オブライエンである。この作家については作品を読んだことはないけれど「本当の戦争の話をしよう」というタイトルには記憶があった。
この作品に登場するのは、作家と同世代、ベトナム戦争の時に学生だった世代の人々だ。大学の同期生たちの人生がオムニバス的に語られている。正直に言えば、この世代に対する共感は余りないし、オムニバス的な散漫さに気が散ってしまって読み出すのに苦労した。何度も読み始めては、後から読み始めた別の本に追い越され、更にまた読み直すというギクシャクとした始まりだったのだ。それが途中から人物像が腑に落ち始めイメージが湧くようになってから、面白くなり始めた。
物語は、1969年の7月と2000年の7月という二つの七月をピボットの軸足(が二本あるのは可笑しいけれど)として、卒業後30年の同窓会に出席したもの、出席が適わなかったものの人生が少しずつ切り出されては語られる。各々の人生は、少しずつ重なり合い、離れ、再び交差している。そのような物語が語られ続け、背景では2000年の同窓会のダンスミュージックが鳴っている。先にも言ったように、この世代に個人的な思い入れはないので、自分にはさらりと読み飛ばされてしまう小物、あるいは思想、対立、といったようなものが、同世代の読者には書かれてあること以上の雰囲気、それは例えば、匂いや、温度や、湿度といったものを呼び覚まし、より郷愁を誘うのであろうなと想像する。そのことがこの本の価値をより引き出しているのか、それが反って障害になっているのかは、実は判断がつかないのだけれど、その同時代性のようなものを共感できない自分のような読者にこの本が訴えるものは、封印された思い、ということだ。この本には実に多くの封印された思いが語られている。そしてその封印は解かれそうになっている。そのあり得なさそうな展開の現実性を、30年後の同窓会という設定が裏づけている。
それを一つひとつ読みほどいて行くことは、確かに面白い。調子に乗れば一気に読み通せる。面白いのだけれど、それにしても、全員が全員、精神科医に掛かっている患者のような語り口になっているのは、いかにもアメリカ的だなあと思わざるを得ないことも事実だ。全ての封印は、あまりにあけすけに紐解かれ、語られた秘密は友人たちの、つまり同様の精神的やまいを持つ者の間で、共有される。そして、そのトラウマは自らに正直になること、というこれまた典型的な精神科医的アドバイスを含んだエピソードの中で、霧消していく気配なのだ。そのことが、とても胡散臭い感じを、さらに言えばやや反米的な感情を、掻き立てる。
全体として、民主党的でもなければ共和党的でもない、つまり、リベラルでもないし右翼的でもない、というはっきりしないバランスが上手く取られてはいるのだけれど、どのエピソードも詰まるところ、ラブ&ピース、というその時代のキャッチフレーズの泥沼の底に沈んで消えて行くかのようだ。つまり、やはりこの世代が根本的に持つノンポリと見せかけたリベラル、もしくはリベラルと見せかけたノンポリ、という少し左に偏った視点が浮き出てしまっているのは皮肉だと思う。
語られるエピソードには余韻が残されるように配慮されてはいるのだけれど、なぜかしら、その余韻に落ち着かない気持ちになることも事実だ。ここに登場するのは、選ばれた、生活に余裕のある若者、あるいは元若者の人生ばかりであって、いくら人生の中で苦悩を味わう様が描かれていても、どことなく皮相な感じがつきまとっているように思えてしまうのだ。だからこそ、主人公ではないわき役、例えば小人の男や、湖を管轄する警察官、などの方がより人間臭く、その部分だけまるで凸型の上に紙を置いてプレスしたかの如く浮き上がり、陰影がついているような印象になる。読んでいる時は面白いと思いながら読めても、読んだ後に胸の奥に嫌な感じが湧いてくる小説というのがあるとしたら、まさにこの小説がそんな小説なのだ。
大人はみんなわかってくれない、と言っていた人々が大人になった結果どうなるのか、そんなことが頭の隅から離れない小説だった。