- Amazon.co.jp ・本 (275ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163262901
感想・レビュー・書評
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小林さんの作品 久しぶりに読みました。
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バビロンとは、メソポタミア地方の古代都市で、語源はBab-ilim(神の門)に由来する。
街はユーフラテス川から引いた堀に囲まれ、貿易で栄えた商人の町だった。
隅田川に隣接する現・東日本橋は、かつて西両国と呼ばれ、明治終わり頃まで屈指の歓楽街として栄えた、やはり商人の町だった。
鍵屋、玉屋は両国の花火屋である。
明治~大正に生きた筆者の祖父と、大正~昭和に生きた父の思い出を綴りながら、
かつて栄えた下町 両国を、実生活の目線で描いている。
ブームに乗った下町礼賛でなく、お茶の間目線で描かれている点が特徴で、
リアルな下町の生活を垣間見れるのが貴重であり面白い。
江戸時代から九代続く老舗和菓子屋の長男として生まれた筆者。
祖父はやり手の商人で、父は商人に向かないモダンな人だった。
婿養子だった祖父は周りに恐れられながらも強引にぐいぐい家業を大きくしたが、
今際の床で「(生まれ故郷)に帰りたいよう」とうなされたというエピソードに、
人の強さと裏腹の弱さを見たようで切なくなった。
父の代で暖簾を畳むことになったが、筆者の文化的素地は父に育まれた。
今は廃墟のバビロンとかけて、下町の栄枯盛衰を感じさせるタイトルだが、
抗いがたい時代の変遷と、人の心変わりという、一言では表せない事情が丁寧に描かれた、筆者版「平家物語」の読後感であった。 -
和菓子屋の少年よりもう少し自伝的エッセイの要素が強い小説。母方を書いたものが
今年2011年に出たのでそれも読みます。 -
以前読了した「和菓子屋の息子―ある自伝的試み」の焼き直しに一部加筆した程度の内容で、またか、という印象。小林氏のことは嫌いじゃないし、戦前の東京下町の風俗が知れる回顧録はそれなりに面白いんだけど、彼のごく個人的な過去や血族への飽くなき執着と形ばかりの遠慮でそれを一般読者に読ませようとする素人臭い厚顔さ、果てはそんな代物を「叙事詩と受け取って欲しい」などという爽快なまでの勘違いも、もはや呆れるまでもなく大御所の気ままな繰り言と介護士ばりの微笑で受け流すべきなんだろうなぁと巻を閉じれば、氏の新刊を楽しみに追う自分の気持ちにまで疑問を差し挟んでいることに鼻白む己に気付くのである。
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作家小林信彦氏の、実家のお店の年代記。
読めば読むほど、東京生まれ東京育ちということに、この人がどれだけプライドを持っているかということが伝わってきます。しまいにはもう鬱陶しいほど。(すみません…)
たしか谷崎潤一郎の評伝で読んだんだけど、どちらも確かおうちが傾いてしまってるのね。ゆえに、「本来自分にはあったはずの権利」というものを強烈に意識しているとかなんとか。 -
隅田川に架かる両国橋の西岸、今の東京都中央区東日本橋2丁目辺りが物語の舞台。
「両国」といえば、隅田川の東岸、国技館のある辺りをわれわれは思い浮かべるが、三十数年前までそこは「東両国」(もしくは「向こう両国」)であり、本来の「両国」あるいは「西両国」こそ、江戸時代以降、浅草と並ぶ繁華街であった。ところが1971年に地名変更で名前が消えてしまったという。
小林氏は、創業享保八年、江戸から明治、大正、昭和と続いた老舗和菓子店〈立花屋〉の9代目。ところが、関東大震災、東京大空襲という惨事により、日本橋という街は没落。重なり合うように、店も父の代で途絶えた。街と家の歴史と栄枯盛衰を描いたのがこの本。
年代記(クロニクル)小説にならないように、私小説にもならないように努めた・・と、筆者はあとがきに当たる「創作ノート」で説明している。土地の人間の心情を描くのが狙いだと述べるとおり、抑制した筆遣いで、そして深い愛情をにじませながら書きつづった、まさに「叙事詩」というのがふさわしい。
そんな淡々と書き進められた最後にやってくるクライマックスがすごい。
戦後、筆者は両国を離れ、再びそこを訪れるのは戦後40年後。昔を思い出させる面影はほとんどない。でも、鳥肌が立つような、あっと驚く結末が待っている。
菓子屋の歴史は、文字通り、そこに埋もれていたのだ。「祖父のこの土地への強烈な執念を私は感じた」と小林氏は感慨をつづる。読者も、心にしみ入るような読後感を味わうことになる。 -
生まれたのは日本橋両国の9代続く菓子舗〜創業享保八年の菓子舗・立花屋本店の入り婿だった祖父は八日市場出身の職人だったが,関東大震災に見舞われて立て直し,エンジニア志望だった8人姉弟の長男を9代目にした。戦争で焼かれて商売は復活せず,長男は英文科から小説家を目指し,次男はイラストレーターを目指す。父が結核で死ぬと,暖簾を処分して山の手に移った〜確かに,川向こうは東京の内に入らないという気配があったし,その手前の現東日本橋も彼岸の手前という雰囲気だった。江戸から明治に掛けて繁華街だったというのは作者にとっても意外な発見だったのだろう。家族と親戚との確執を描くというのは冒険だから,筆が滞りがちになるのも納得できる。北杜夫の『楡家のひとびと』にしてもそうだった。エンジニア志望の9代目が自分の息子の手を左右に握って銀座を歩くのが夢だった・・・というのは弟・泰彦氏の証言
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内容的には面白いんだけど、あいかわらず文章は癖が強くて読みにくい(^^;
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その仕事を大事にして、継続させたいという思いを持つ人がいないと、個人商店や小規模な会社は存続が難しい。只漫然と事業を継続させても、いずれは廃れてしまう。年代記というか、小林家のレクイエムみたいだった。じいさんは、偉大だったんだなあ。