- Amazon.co.jp ・本 (138ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163270104
感想・レビュー・書評
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ものすごくざっくり言うと女の人に関する話。
これは女性が読んだらわかるけど男の人が読んでも共感できないんじゃないか… -
なんとも濃厚な本でした。
作者の美人なイメージがあったので、こんな濃い話を書くんだな~と意外な感じでした。 -
読みにくい・・・!要領を得ん女の子の話をひたすら聞いてる感じ。
ふん、ふんそれで?結論は?ってオチ無いんかーい!ってつっこみたくなる。
大阪人やからやろうか、なんか、いらいらした。 -
独特の言い回しと文体。
でもそれがクセになって、
他の作品も読んでみたくなった。
女性にしか分からないような視点があって、
尚且つ人間の深層心理の部分も突いてきて、
多分それは小説のテーマにしやすいのかもしれないけど。
とにかく表現が印象的で、
歌の詞を読んでいるみたいだった。 -
第二次性徴期の女子(緑子)と,スナック勤めで生計を支えるその母(巻子)のやりとりが,母の妹の視点で語られる08年度芥川賞受賞作。
体が変化していくときのぎこちなさ,それを表現する言語を持ち合わせていない思春期の女子の前言説的な苦悩が鮮やかな感じで良いです。豊胸手術をするために上京する母との軋轢が,別れた父親との関係において発現するクライマックスの卵ぶつけあい戦争が絶妙。卵というのがメタファーとしては陳腐だけど。
句読点たりない落語風の文体は,町田康ぽい。経歴もかぶるし。
緑子の日記が挿話として登場するので,そこから少し引用しまーす。
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お金のことでお母さんといい合いになって,なんであたしを生んだん,ってこと前にすごいケンカしたときにはずみでゆうてしもうたことがあって,あたしはそれをよく思いだす。セリフ的にまずいなって思ったけど,いきおいで仕方なくて,お母さんは怒ってるねんけど,黙ってしまって,すごい後あじが悪かった。
(中略)
ケンカは,お金のまえに,ゆうてからあっとおもったけど,かわいそうやけど,お母さんの仕事のことでそうなったんやった,お母さんが仕事の服をきて,しかもあの紫のやつらしいので,自転車で走ってんのを男子にみられて,お母さんのことをみんなの前で面白おかしくゆわれたことがはじまりやった,そのときにみんなのまえで笑ってごまかしたあたしも厭で,んで色々あって,最後は泣きそうな顔で仕方ないやろ,食べて行かなあかんねんから,ってお母さんが大きい声で言ったから,あたしはそんなんあたしを生んだ自分の責任やろってゆってしもうたんやった,でもそのあと,あたしは気づいたことがあって,お母さんが生まれてきたんはお母さんの責任じゃないってことで,あたしはぜったいに大人になっても子どもなんか生まへんと心に決めてあるから,でも,あやまろうと何回も思ったけど,お母さんは時間がきて仕事に行ってもうた。
緑子
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なんだろうこの懐かしい気持ち。経験してもいないのに既視感ある物語をつむげるのがいいストーリーテラーの条件,というようなことを高橋源一郎が言ってた気がする。
クラスのあの子に「触れたい」,とか「話したい」とかっていう具体的な欲求にも未だ結晶していない前言説的な好意が,どこかで覚えてきた「好き」という言葉を与えられて凝固する瞬間。
「だれだれを好き」と発語する主体を獲得するとき。潜在的に存在したのか,その瞬間生み出されたのか分からないその「だれだれを好きになる」という行為を行為する主体の存在に気づき驚愕するとき。
初恋。その気づきに伴う興奮は,通俗的には「恋に恋する」と揶揄されます。
然るに,恋している主体(自分自身)の実感がもたらす存在論的な高揚感を抜きにした恋など成立しないのではないかと思う。すべての恋は「恋に恋している」的要素を内包しているものだと。(なんてまどろっこしい)
人は「好き」って発語すること自体から快感を紡げるものなのである。「この年になると恋ができない」などとお悩みの諸君は,体育館裏で告白でもしてみたらいいと思うよ。
レビュー関係なくなった。 -
卵子の「卵」と鶏卵の「卵」。卵の殻を割ると同時に、自分の殻も割る少女。母の豊胸手術に、自分の存在意義を否定する理由を見つける思春期の彼女が、ひどく愛おしい・・・とか何とか色々ぐるぐる考えちゃったけど、要は面白かった。
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豊胸手術に執着する姉と、筆談でしか人と交わらない娘、そして彼女たちを迎える妹という三者が三様に”女”というものを強く意識させます。姉はそれなりにいろいろな経験をして心の中にも人には話せないものを秘めているもののその関心は豊胸手術という即物的なものに向けられ、娘は娘で自分が生きていること女であることを抽象的に考えようとするけれどそこはまだ小学生で幼さが勝ってしまう。その二人の対比が際立つ。さらに、語り手である妹は最もバランス感があるものの、彼女自身の生活は停滞しきっており語るべきものも持たず傍観者になるしかない。それぞれが薄く交わりながら女というものとして生きていることが、ある夏の数日間を通して描かれます。
そうした話自体の面白さもさることながら、やはりなんといってもとにかく文体がすばらしくうまいこと。テーマ的に生々しさとか重さとかがあるのですが、文体のリズム感、スピード感が絶妙で読んでいて心地よさすらある。全体を通して倦まずにテンションが持続しています。ひとつひとつの言葉の選び方も非常に的確で、無造作に見えながら相当に計算された書きぶりです。同じ芥川賞でも「時が滲む朝」とくらべると、まったくレベルの違うことがはっきりとわかります。他の作品もよんでみたいものです。 -
よくぞここまで生命のグロテスクさや無理やり生まれさせられた不条理、女の身体への違和感を表現してくれたと感じます。自分の感じたものをここまで冷静に分析してうまく言葉に変換できる、その能力に脱帽です。
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くるしい気持ちは、誰の苦しい気持ちも、厭やなあ。なくなればいいなあ。
(P.107)